第70話 森の妖精王の指輪

 アクアスティードが演説をすると聞き、急だったにもかかわらず多くの国民たちが集まった。それもアクアスティードの人望あってのことだろうと、ティアラローズは誇らしく思う。


 演説を行う場所は、王城のすぐ横に作られた広場だ。

 一般人の立ち入りも許されている場所で、普段は公園として憩いや交流の場所となっている。今はそこに、多くの国民が集まっている。


 ティアラローズは、演説が始まる前に窓からそっと広場の様子を覗き見る。


「わ、すごい人……」


 国民の半数以上が来ているのではと思うほどの、人、人、人。広場に入りきらない人たちが道へと溢れ、今か今かとアクアスティードを待ちわびている。


 それから、少し視線を移して広場にある植物を見る。エリオットの報告を聞いてはいるけれど、まだ自分の目で枯れ始めた植物を確認してはいなかった。

 悲惨な光景が広がっているのではと思っていたが、まだ花は咲いていたし、木には葉が茂っていた。そのことにはほっとするが、よくよく見ると……色合いがどこかくすんでいる。まさしく、枯れ始めという表現の通りであった。

 フェレスの力が安定したら、この問題を解決することが出来るのだろうかと不安になる。枯れた植物を元に戻すなんてことは、死人を生き返らせるようなものだ。


「ティアラ」

「! アクア様……」


 じっと窓から外を見つめていると、アクアスティードが「大丈夫」とティアラローズを抱き寄せる。

 不安そうにしてティアラローズの髪を優しく撫でて、指で前髪に触れる。そのまま額をあらわにして、優しくそこへキスをする。


「心配ではありますが……きっと解決すると思っています。アクア様がいますし、何より……リリア様が、フェレス殿下のために頑張ってくださっていますから」

「そうだな。そのうえ私には、ティアラがいるから百人力だ」


 髪を撫でていたアクアスティードの指は、ティアラローズの頬へ触れる。その体温が心地よくて、ティアラローズは小動物のようにアクアスティードの手へとすり寄る。

 二人ともが、ずっとこのままでいたい――なんて、思ってしまう。そんな、甘い空間。どちらからともなく唇が重なりあって、互いの体温を確かめるように抱きしめあう。

 これからの厳しい状況を、乗り越えるためのエネルギーを補充するように。


「ん、アクア様……アクア」

「うん。もう少しだけ。国民に言葉が届くように、ティアラの祝福を私に頂戴」

「……ん」


 そんなの、いつだって差し上げますと、ティアラローズは微笑む。何度かついばむように口づけられて、気づけば演説が開始する時間となった。




 アクアスティードがティアラローズとともにバルコニーから姿を見せると、民衆がわっと声をあげた。人の声でこんなにも空気が震えるのかと、ティアラローズはぞくりと鳥肌が立つ。


「アクアスティード殿下、ティアラローズ殿下!」

「お二人がいれば、この国は安泰です!」

「妖精王の祝福をマリンフォレストに!!」


 ――これは、予想していた以上に期待が大きい。

 王族は、国民たちからのプレッシャーがこんなにもかかるものなのか。わかっていたつもりではあったが、いざ目の当たりにすると足が震える。ティアラローズは無意識に、ドレスの裾を握り締める。

 その重みを一身に受けるアクアスティードは、まっすぐに集まった人たちを見ていた。自分だけがアクアスティードの隣に立てるのに、震えている場合じゃない。ティアラローズも同じように、国民へしっかりと目線を向ける。

 ティアラローズも、今はアクアスティードの下へ嫁ぎ王族となった。のんびりスイーツばかり食べている、侯爵家の令嬢ではないのだから。


 アクアスティードが演説のために一歩踏み出し、喋る前にティアラローズへ振り返る。


「ティアラ、私の横に」

「は、はい……っ!」


 差し出されたアクアスティードの手を取って、ティアラローズも一歩二歩と踏み出しアクアスティードの隣に並ぶ。

 すると、国民から「ティアラローズ殿下!」という大きな歓声が沸き起こった。


「私の妃は、国民に愛されすぎているな」

「アクア様……」


 くすりと笑ったアクアスティードは、すっと右手を上げる。それを見た国民全員が口を閉じ、広場が静寂に包まれた。

 こんなにも大勢の人間がいて、これほど静かな光景が見られるなんて。


「急な告知だったにもかかわらず、ここへ集まってくれたこと、感謝する」


 国民全員の顔を見るようにして、アクアスティードが口を開く。

 その声は低いが、透き通り、広場を超えて――街中へと広がる。その声の大きさに、集まった国民は大きく目を見開いて驚いた。


 アクアスティードが使用しているのは、空の妖精王の指輪だ。これは、持ち主の声を広く響かせる拡張機能を持っている。王が国民に言葉を伝えるための、指輪。


「この国に住んでいるのだから、惨状は皆も把握しているだろう。夜空から星が消え、植物や作物が力をなくし枯れ始めていると」


 アクアスティードはゆっくり、深呼吸をする。


「――だが。ここは、妖精とその王が愛している国だ。私も、妖精の王に祝福をいただいている。だからこそ、断言しよう。マリンフォレストは枯れないと」


 力強く声を発し、アクアスティードは隣にいるティアラローズの腰を抱く。自分だけではなく、森の妖精王に愛されているティアラローズもいるのだと、改めて国民たちに示す。

 安心していいと、そう言うようにティアラローズは微笑んで手を振る。


「わたしはすでに、この事態を解決へと導くために動いている。しかし、今ここで植物を生き返らせるような力は、ない。ゆえに、私は皆に頼みたい。私が解決するまでの間、堪えてほしい」

「食料に不安があればすぐ、国庫を開放する準備も進めています。不安にならずに、アクアスティード殿下を信じてください」


 アクアスティードとティアラローズの言葉を聞き、国民たちはすぐに賛同の意を示す。


「普段、マリンフォレストのために動いてくださっているアクアスティード殿下とティアラローズ殿下だ。俺たちに手伝えることはないかもしれないが、信じて待つことは出来る! そうだろう? みんな!!」

「もちろんだ! 食料だって、備蓄がある。すぐに国庫を開かずとも、持ちこたえるくらいわけはない」

「問題解決に動く殿下を、俺たちの不満の声で足止めしちゃならねぇ!」


 街のことは問題ない、耐え抜いて見せる。そういった国民の声が、ティアラローズたちの耳に届く。思わず涙ぐみそうになるところを、ティアラローズはぐっとこらえた。


「とても素敵な、国民ですね。アクア様」

「ああ。この信頼を裏切らないよう、私は最善を尽くそう」




 ◇ ◇ ◇



 さしあたっての問題は、大きく分けて二つ。


 フェレスに腕輪を届けて、力を抑えて安定させること。

 消えてしまった星と、枯れ始めた植物の対応。


 フェレスがいる〝封印されし王の間〟へ向かう準備を終え、同行するメンバーを見る。今回はクレイルとキースも同行するので、比較的問題は起きないだろう。

 そう思っていたアクアスティードだったが、ふいに、思いつめたようになにかを考え込むティアラローズが目に付く。


「ティアラ? 何か、気になることがあった?」

「アクア様。その、フェレス陛下の下へ行って腕輪をはめたとして…枯れ始めた植物たちも生き返るのだろうかと」


 確かに、ティアラローズの不安はもっともだ。

 アクアスティードが返答に悩んでいると、キースが口を開く。


「枯れた植物を復活させることは、出来ない。フェルを安定させたとしても、消えた星が戻るだけだ。影響を受けた大地は、その影響が消えるだけ」

「つまり、影響が消えても枯れてしまったという事実は元に戻らないということね」

「そうだ」


 きっぱりと告げるキースの言葉に、空気が少し重くなる。


『ティアラ……ごめんなさい、わたしにもっと力があれば』

「リリア様のせいではありません、そのようなことをおっしゃらないでください」


 しゅんと項垂れるリリアージュに、それは違いますとティアラローズが告げる。それと同時に、大きく息を吸い込んで、何かを決意するように目を閉じる。


 その様子を見て、オリヴィアが心配そうにティアラローズの下へ行く。「どうしましたか?」と心配そうにするオリヴィアに、「大丈夫よ」と笑みを向ける。

 そして、決意するようにティアラローズはキースをじっと見つめた。


「ティアラ?」

「俺か?」


 アクアスティードが戸惑うようにティアラローズを呼ぶが、今はその瞳にキースだけが映る。


「キース、お願いがあるの」

「ん?」

「わたくしに……森の妖精王の指輪を託してほしいの」


 ティアラローズの言葉に、妖精王を除いた全員がはっとする。

 森の妖精王の指輪は、植物の豊穣を約束するものだ。確かにこの指輪を手に入れることが出来れば枯れた植物を復活させることも出来るかもしれない。

 キースはくつくつと笑って、「なるほどな」と呟いた。


「確かに、俺の指輪であれば枯れた大地を蘇らせることも出来るだろう。ティアラローズ。俺の指輪を受け取る覚悟が、お前にあるか?」

「あるわ!」

「おぉっ」


 キースの言葉を聞き、即答する。

 それに感心したのか、キースがにやりと笑う。


 森の妖精王の指輪は、豊穣を約束するものだ。

 ただ、それには条件がある。

 一つは、マリンフォレストの国内にしかその効果がないというもの。

 もう一つは、指輪の持ち主――ティアラローズが、この国を捨ててしまったとき。森の妖精王の指輪は効果を消し去り、キースの下へと戻る。

 今までの豊穣がなくなり、植物の成長具合が減少するだろう。その際に国民から不満が起こったとして、それを受ける覚悟があるのかとティアラローズに問うたのだ。


「わたくしがマリンフォレストを捨てるなんてことは、あり得ません。この地で一生を過ごすと、嫁いだときから……アクア様に手を差し伸べられたときから、決めています」


 決意を秘めたティアラローズの瞳を見て、キースは嬉しそうに目を細める。


「……私からも、頼む」

「アクアスティードも、か。そんなに頼まれたらしかたないか、いいぜ」

「!!」


 さらりと了承したキースに、ティアラローズは顔をほころばせる。


「ありがとう! これで、国民を飢えさせる心配はないわね」

「だな。……でも、それなら二手に分かれるぞ」

「確かに、フェレス陛下の下に向かいつつ指輪を手に入れるのが得策だろう」


 感激するティアラローズをよそに、キースはそう簡単な問題ではないと告げる。アクアスティードもそれに頷いた。ゆっくり一つ一つこなしている時間がない。


 それを聞いて、ティアラローズも頷く。

 指輪がある場所は、妖精王の隠しステージだ。そこへ行く資格があるのは、その妖精王に祝福された人間だけだ。ゆえに、キースの隠しステージに行くことが出来るのはティアラローズのみということになる。


「ティアラを一人で行かせるのは、心配だな……」

「それを言うなら、わたくしだってアクア様のことが心配です。ですが、今は国の一大事。わたくしはしっかり役目を果たしますから、アクア様もフェレス陛下とリリア様をお願いします」

「ああ」


 二手に分かれることが決まり、ティアラローズはキースと二人で森の妖精王の指輪が保管されている隠しステージへ。

 アクアスティードは、クレイル、リリアージュ、エリオット、オリヴィア、レヴィとともにフェレスが待つ封印されし王の間へと向かった。




 ◇ ◇ ◇



 ティアラローズとキースが向かったのは、王城の裏手にある森だ。

 実は小さなツリーゲートがあり、そこが森の妖精王キースの隠しステージになっている。


「こんなところに……わたくし、何度かこの前を通ったわ」


 たまに散歩で通るような、こんな堂々とした場所 に入り口が作られていたなんて。そう思うが、草木や花でぱっと見では入り口だとわからないようになっている。


「こんな場所にあるが、指輪への入り口はわかり難く作っているんだ。証拠に、今まで誰一人としてここがツリーゲートだと気付かなかった。そう考えると、自力でパールの指輪を手に入れたのはすごいな」

「あれは……まぁ、乙女の勘です」


 ゲーム知識を覚えていたレヴィがいたからだとはさすがに言えないので、ティアラローズはあいまいにごまかす。

 そっとツリーゲートをくぐり中に入ると、よりいっそう、緑の香りが強くなる。

 ツリーゲートとは、木々で出来たトンネルのことだ。どこに繋がっているのかわからない、不思議なトンネルだなとティアラローズは思う。以前妖精たちに連れてこられたときには、キースの下に繋がっていたなんてこともあった。


 ツリーゲートの中は、たくさんの花が咲いていた。それも、ただの花ではない。


「これって……宝石?」

「ああ。大地の恵みだ」


 花の中心に、蜜の代わりに宝石が埋め込まれていたのだ。それもあり、ツリーゲートの中はきらきらと輝いて、木々に囲まれているというのにどこか明るい。

 キースはそれを一つ摘んで、ティアラローズに渡す。


「宝石は、大地が作る。ここは環境がいいから、その栄養を十分に含んだ特殊な花が咲く」

「キースの領域ならではですね」

「まぁな。ここ以外じゃ、見ることは出来ない」


 ――むしろここ以外で咲いていたら、混乱が起きるわね。

 なんせ、宝石が花として咲いているのだから。植物は逃げることがないし、摘み放題だ。


「パール様の領域もそうでしたが、さすがは妖精王ですね……」

「なんだ、見直したか?」

「……もとより、わたくしはキースを尊敬しています」


 だから見直すとか、そういった問題ではないとティアラローズは突っぱねる。それを見て、キースは「面白いな」とくつくつ笑う。


「妖精王である俺に、そんな態度を取るのはティアラくらいだな」

「……キースがそうしろと言ったじゃないですか」


 様を付けて呼ぶことも禁止したくせに、よく言うとティアラローズはひとりごちる。そんなティアラローズの様子が面白いらしく、キースはまた笑う。


「もう! アクア様たちだってフェレス陛下の方に向かって大変なのだから、わたくしたちも急ぎましょう!」


 のんびりしている暇はないと、ティアラローズは歩くスピードを上げていく。普段はゆっくり歩いているくせにとキースはやはり笑う。


 ――早く森の妖精王の指輪を手に入れて、アクア様の下へ行かないと!

 自分の力はあまり必要じゃないかもしれないけれど、星空の指輪を持っているのだから何かの役に立てるという可能性はある。


 しばらく進むと、銀色の扉が現れる。

 植物で縁取られたそれは、荘厳で、どこか威圧感があり、思わず足を止めてしまう。

 そんなティアラローズを見たキースは、後ろから彼女の首に腕を回してくつくつと笑う。


「なんだ、怖気づいたか?」

「そんなこと……」

「別に、何も怖がることはない。ここは、ティアラローズを歓迎するぜ?」


 いつか我が城へ招いたときのように――そう言い、キースがゆっくりと銀色の扉を開く。

 中は小部屋のようになっていて、通ってきたツリーゲートとは違い花どころか植物もない、白い壁と中央に台座があるだけの静かな空間だった。


 どちらかといえば、派手を好むキースの部屋には見えない。


「ほら、こっちへ」

「……ええ」


 部屋に入らず中を見回しているティアラローズに、キースが手を差し出した。それを取ると、ゆっくり台座の前までエスコートされる。

 台座の上に置かれた指輪は、中指と小指に付けるダブルチェーンタイプ。チェーン部分は植物を模した装飾になっており、リングの部分には花のかたちの宝石が付けられている可愛らしいものだった。


 ――綺麗。

 それが、率直な感想だ。


 すぐ横にいるキースを見ると、頷きだけが返ってきた。早く手に取れと、キースの金色の瞳がティアラローズに訴えている。

 そっと手に取って、ティアラローズは指輪を眺める。色は、ピンクゴールドだけれど、光の加減によって緑色にもなるようだ。早速指にはめようとすると、キースからストップがかかる。


「え?」

「ティアラ、王である俺がここにいるのに、自分で指にはめるつもりか?」


 まったくもってわかっていないと、キースがティアラローズの手から指輪を奪う。


「キース!」

「妖精王からの贈り物を、無下になんてしないだろ?」


 してやったりとでも言うように、キースはくつくつ笑う。ティアラローズが否定出来ない、王の言葉。

 ティアラローズは大人しく右手を差し出して目を閉じ気持ちを落ち着かせる。

 キースがティアラローズの右手を取り、その甲に口づけ――そっと、指輪をはめる。すると、大きな力がティアラローズの中へ流れ込んでくる。


「――っ!」

「これが、俺の力だ。ティアラなら、うまく扱えるだろう」


 キースの力が、ティアラローズの全身をめぐる。その強さゆえに体がふらりと倒れそうになるが、キースがしっかりと抱きとめる。

 妖精王の指輪は、体になじむまで約一日時間を必要とする。なじむ前に外してしまうと、その反動が襲いかかってくる。ティアラローズが以前パールの指輪を外してしまったときは、眠りにつき、記憶を失ってしまったほどだ。


 ――でも、そのときよりも、ずっと大きな力だ。

 浅く呼吸を繰り返し、落ち着くのを待つ。


「……もう、大丈夫」

「馴染むまでは、気を抜くな――あ」

「え?」


 ティアラローズがキースから離れ、息をついた瞬間――ぽんと音を立てて、何もなかった地面から植物が生えた。

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