第53話 眠れる悪役令嬢
ティアラローズの身に着けた、海の妖精王の指輪。
一日以上付けているように――そう、魚たちに言われたのに。それなのに、味方なのかもしれないと思っていたレヴィに奪われてしまった。
ゲームのことを知っているというだけで、どこか信じたくなってしまったのだ。同じように、乙女ゲームが好きなのか……なんて。
まったくもって、ティアラローズには計算外の出来事だった。……もちろん、アクアスティードにも。
しかしそれよりも、何よりも計算外だったのは――アクアスティードが、レヴィにやられてしまったということだろうか。殺されたわけでも、致命傷なわけでもない。
でも。
地面に膝をつかされて、ティアラローズの指輪を奪われてしまった。この上ない屈辱で、あり得ないほどの敗北感。
「ティアラ、ティアラッ! お願いだから、返事をしてくれ!!」
「…………」
アクアスティードが必死にティアラローズを呼ぶが、指輪を奪われ気絶するように眠りに落ちてしまった。理由がわからず、ただただ混乱するしかない。
妖精王の指輪を外してはいけないということを、知っているのはティアラローズだけなのだから。
「クソッ」
アクアスティードの口から乱暴な言葉がはかれ、そのまま力任せに地面を殴りつける。レヴィに殴られた腹は赤黒くなっているが、それだけだ。
もちろん痛みはあるが、致命傷ではない。時間が経てばその痛みも治まり、普通に歩くことだって出来るだろう。
――なんで刺さなかった?
殺すつもりがないのは、最初の一撃を受けたときから気付いていた。しかし、気絶させるわけでもなく、ティアラローズの指輪を無理やり奪った。
何でそんなことをする必要があったのかと、アクアスティードは混乱しながらも考える。
「……確か、アリアーデル家の執事だったな」
自国の貴族を思い浮かべて、アクアスティードはティアラローズを抱き上げる。今は一刻も早く、ティアラローズを城へ連れ帰りたかった。
気絶しているエリオットを無理やり起こし、すぐに馬車へ戻るぞと告げる。
「……アクアスティード様! って、ティアラローズ様!? いったい何が……って、私は何を」
「お前は気絶させられてたみたいだな。覚えていないか?」
「…………」
馬車へ向かいながら、アクアスティードは起こったことをエリオットに報告していく。それに頷きながら、エリオットも待っている間のことを思い出す。
「首元を後ろから、殴られたんです」
「一撃か。……先ほどのやりとりでわかったが、優秀だな」
加減が難しい場所を、正確に一撃で打ち気絶させる。
経験がなければ出来ないだろうし、ただの執事ではなさそうだと思う。使っていた武器は、おそらく暗器と呼ばれるものだろう。
実際に扱う者と対面したのは、初めてだ。
いったいどこにあれほどの武器を、あれ以上の武器を隠していたのか。考えるだけで、背筋が凍るようだ。
ティアラローズを馬車に乗せ、その横に座る。エリオットが対面に座ったところで、御者に馬車を出させる。
こんなにも城への道のりが遠いと思ったのは、初めてだった。
◇ ◇ ◇
しんと静まり返った寝室に、低い声が響く。
「これは、いったいどうしたことか……」
初めて見る症状だと、医師が告げる。ティアラローズの脈を図り、魔法で全身の血液の流れなども確認するが――どこにも、異状は見られない。
それなのに、ティアラローズは一向に目覚める様子がない。
「先生、ティアラは?」
「アクアスティード殿下……。命に別状はありませんが、このようなことは前例がありません」
「…………ティアラ」
ベッドの横で膝をつき、アクアスティードは眠るティアラローズの手を握る。早く目覚めてくれと祈るように見つめる瞳は、不安に揺れる。
その様子を見ながら、医師はゆっくりと席を外す。過去にこういった症例がなかったかなど、調べなければならないのだ。
外で控えていたエリオットが、何かあれば呼ぶようにと告げたけれど――アクアスティードにその声が届いたのかは、わからない。
――ティアラが目覚めない原因は、指輪?
海の妖精王の指輪だと告げられたピンキーリングが、今は姿を消している。レヴィの狙いは妖精王の指輪だったのかと、今更気付く。
「ティアラ本人を狙っていたわけではないのか……」
アクアスティードは、指輪の使い道をしらない。レヴィが知っているのかはわからないが、王家の把握していないことを公爵家が把握しているのだろうかと考える。
ここ数日は、わからないことだらけだと小さく悪態をつく。
「ティアラ、早く目覚めて」
愛らしい青色の瞳は、固く閉じられている。
早くいつものように「アクア」と名前を呼んで、声を聞かせて、その瞳で自分を見つめてほしい。そう願うも、ティアラローズは目を覚まさない。
ぎゅっとティアラローズの手を握り、現状を思案したまま――気付けば、アクアスティードは夜を明かしていた。
――妖精王の指輪だから、クレイルから情報を得るのがいいか。
そう考えながら、アクアスティードはティアラローズの額にかかった髪を指ですく。愛おしむようにその額に口づけて、その温もりを肌で感じる。
「ティアラ……」
助けられなくて、何が夫だ……と、アクアスティードは自分を卑下するように考える。あんなにも普段から守ると告げていたのに、肝心なところで守れなくてどうするのだと。
「もっと強くなりたい。どうすれば、私はこれ以上にもっと強くなれる?」
鍛錬は欠かさないし、剣も魔法も腕がいい。留学というかたちで他国も回ったため、様々な技術に精通しているという思いもある。
――まだまだ、努力が足りない。
周りから見れば十分すぎるその強さも、ティアラローズを守れないという理由だけでまったく意味をなさないものとなる。
もう一度、口の中でティアラと小さく呟く。
助けるために出来ることを、今はしよう。
「必ず助けるから、もう少しだけ待っていて……ティアラ」
頬を優しく撫で、色づく唇に優しく自分のそれを重ねる。意識がなくとも、ティアラローズの唇は甘いな……と、そんなことが脳裏によぎる。
名残惜しむように唇を離し、アクアスティードは寝室を出た。
「アクアスティード様!」
「エリオット。首尾はどうだ?」
「アリアーデル公爵家に、遣いを出しました。……が、件の執事は数日前から姿を消しているようです」
公爵家とは無関係というスタイルを貫くのだろうかと、アクアスティードは考える。そうすれば、レヴィが今回のように大々的に動いたりへまをしたとしても、被害が少なくて済む。
しかしエリオットは、眉をひそめながら言葉を続ける。
「ただ、その執事――レヴィが姿を消す前日に、彼の仕えている令嬢が姿を消したという情報を得ました」
「何? そうか、あの男の主人はオリヴィア・アリアーデルだったのか」
直接会ったことはないが、夜会で姿を見たことはある。
物静かで、大人しいという印象だったが、それ以外は特筆すべきところはなかったように思う。ゆえに、アクアスティードの記憶にもあまりオリヴィアのデータはない。
――消えた令嬢と、それを追うようにいなくなった執事か。
関連はありそうだなと思いながら、しかしそれならば自分の
アクアスティードを祝福する〝空〟は、情報に特化している。森よりも、海よりも、空気に情報は溶け込んでいる。国民の噂話から、裏の取引まで――空に届かない音は、ない。
「空の妖精に話を聞いて、それからクレイルに――ん?」
「アクアスティード様?」
風を呼ぼうとした瞬間、必死で駆ける足音がアクアスティードの耳に入る。王城内は原則走ってはいけないため、非常事態が起こったのだろうということがすぐにわかった。
その音はまっすぐこちらに向かっており、間違いなくティアラローズに関することかレヴィに関することだろう。
「エリオット、ドアを開けて中に入れてやってくれ」
「わかりました」
すぐに響いたノックの音を聞き、エリオットは汗だくになりながら走ってきた騎士を部屋に通す。
膝をつき、息を整える間もなく一通の手紙をアクアスティードに差し出した。
「……これは? アリアーデル家の紋章、か」
「執事からでしょうか? ……これ、当主が扱う物より一回り小さいサイズですね。オリヴィア嬢の物だと思われます」
「だろうな」
破き捨てるように封を開け、アクアスティードは中の手紙に目を通す。そこには綺麗で流れるような文字が綴られていた。
―――――――――――――
海の妖精王の指輪を返す条件として、牢獄にいるオリヴィアの解放を要求する。
―――――――――――――
最後にレヴィという名を見つける。内容からしても、あの執事が書いたものに間違いはないだろうとアクアスティードは確信する。
のだが――。
「牢獄にいるオリヴィア嬢の解放とは、なんだ」
そんな事実は、ない。
確かに王城に牢屋はあるが、今は誰も収容されてはいない。念のため空の妖精に伝え調べさせたが、やはり自分の知らないうちに人が入れられた形跡はない。
手紙を覗き込んだエリオットも顔をしかめ、「どういうことでしょうね」と声をあげる。
エリオットは考え込みながら、牢獄のある場所を列挙していく。
「王城の地下に、城の中にある騎士団、街にある騎士団の詰め所、確か教会にも小さいのがありますね。あとは上級貴族の家ならば、念のため牢や私兵をもっているはずです。最悪なのは盗賊の類ですが、その程度の輩であればあの執事が自分で助けだすでしょうし」
「そうだな……。空の妖精よ、風に溶け込みこの国にある牢の情報を私に」
エリオットのあげた場所を空の妖精に伝え、オリヴィアが捕らえられていないか確認する。
「…………」
静かに目を閉じ、アクアスティードは空の妖精からの情報を受ける。しかし、捕らえられた人間の中にオリヴィアと思わしき人物はいない。
どういうことだと、顎に指を当てて考える。
「いないな。しかし、牢獄なんて、そうそうあるものじゃない」
「まさか、他国? それなら、アクアスティード様に取引を持ち掛けるのも頷けますが」
「……いや」
あれだけ実力のある執事が、他国という理由だけで自分にこのような取引を持ち掛けるだろうか? それはないと、アクアスティードは断言出来る。
あの執事であれば、こっそり侵入をすることも容易いだろう。もちろん問題は起こるだろうが、オリヴィアをさらった時点で相手もやましい理由があるはずだ。国としての問題に発展する可能性は、低い。
消去法で絞り込んでいくと、たった一つの可能性にたどり着く。
――私が入れて、執事が入れない場所。
すなわち、先ほどのような場所が関わってくるということ。そうであれば、レヴィが取引を持ち掛けたことも頷ける。
――祝福がこんなかたちで役に立つとは思わなかった。
「すぐ、クレイルに確認を取る」
「はいっ」
アクアスティードは新しいシャツに袖を通し、着替えを済ませ部屋を後にした。
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