第95話 王妃アデル

 閉廷宣言ののち、国王が主任裁判官として次の裁判を案内した。


「一時間後に次の裁判を行う。証人や関係者は建物の中で過ごすように。解散!」


 オリビアは急いで控え席から離れて法廷を後にした。廊下で待つリタとジョージの元へ走る。


「オリビア様!」


「お疲れっす〜」


「リタ、ジョージ! ちょっと急いでこっちへ!」


 法廷を出た自分に駆け寄る従者たちを引っ張り、この場から離れようとする。とにかくこのあと出てくるであろう王族たちと顔を合わせたくなかった。しかし、背後でガチャリと扉が開く音が聞こえる。


「オリビア・クリスタル伯爵家令嬢、お待ちなさい」


 それは女性の声色だったが、よく通る、低くて冷ややかな声だった。あの場にいた誰なのかは、すぐにわかった。なぜなら彼女とだけは関わりたくなくて急いでいたのだから。オリビアは観念して「はい」と言って振り向き、首を垂れた。


「顔をお上げなさい、オリビア・クリスタル伯爵家令嬢」


「はい。ありがとうございます、王妃殿下」


 顔を上げると、目の前には声の主である第二王妃アデル・ダイヤモンド=ジュエリトスが自分を見下ろしていた。伯爵家の娘であるオリビアが直接話せるような相手ではない。黒く艶やかな髪を纏め、一本の後毛もない隙のなさは、彼女の神経質さを表しているように見えた。切れ長の目に輝く鮮やかな青い瞳は、彼女の生家サファイア公爵家の特徴だ。


「そなた、第三王子とは学友と聞いていたのだが……此度の裁判では忖度せず証人としての役割を全うしていましたね。素晴らしいことです」


「いいえ。証人として国法と創造神に誓った通り真実を話したまででございます」


 真犯人がレオンの護衛オリバーだという本当の真実は胸に秘めたのだが。そう思いながら気取られないように返事をする。アデルの真っ赤な唇の口角が上がる。


「そうか。大任、ご苦労様。ところでクリスタル家といえば辺境の貴族ながら純血を守っている由緒正しい一族ですね。まさかこんなに可愛らしいお嬢さんがいるとは知らなかったわ」


「たまたま、親族が皆ジュエリトス人なだけでございます……」


 純血。異国の血が混ざっていないことを表す差別用語だ。オリビアは言い返してやりたい気持ちを抑えて返事をした。その控えめな姿に気をよくしたのかアデルが笑みを深めた。背筋から首にかけて、ぞわぞわと虫が這うような不快感に襲われる。


「貴族学院の一年であれば婚約者はまだでしょう? うちのルイ王子もそろそろと思っていたの。あなたならルイと並んでも見劣りしないし妃教育も乗り越えられそうだわ——」


 嬉々としたアデルの言葉に、オリビアはめまいがしそうだった。せっかくいろいろ片づいてリアムと婚約できるというのに、勘弁してほしい。彼女の自尊心を傷つけることなく断る言葉を探していると、目の前にまるで盾になるように人が立つ。キラキラと輝く金髪を揺らして。


「アデル様! 彼女はすでに婚約者がおります。アレキサンドライト家の次男リアムと婚約しているのです!」


 オリビアを守るように前に立つレオン。彼が視界に入った途端、アデルの笑顔は醜く歪む。彼女は眉間に深い皺を寄せ、先ほどよりさらに低い声でなじるように言葉を発した。


「そなたには聞いていない! この王家の面汚しが! 貴族の子女が通う学院で事件を起こすとは! 恥を知りなさい!」


 一通り言い終えると、アデルはフンと大きく鼻から息を吐き、レオンとオリビアに背を向け歩き出す。


けがらわしい……気分が悪いわ。もう帰ります! 行きますよ、ルイ!」


「はい、お母様」


 カツカツと尖った靴のかかとを鳴らしながら、王妃が裁判所を去っていった。その後ろを従順についていく第二王子ルイの姿も相まって、彼ら親子がどこか異様に映る。


 二人の姿が見えなくなってから、レオンがくるりと振り返り大きな息を吐いた。


「いなくなった……。ごめんねオリビア嬢、変なところを見せて」


「いいえ。間に入っていただき助かりました。ありがとうございます」


 オリビアは苦笑いをして肩をすくめるレオンに向かい、丁寧なお辞儀をして礼を言った。被告人と証人という関係から裁判前は接触禁止だったため、これが彼との今日初めての会話だった。


「噂では聞いたことがあるかもしれないけど、僕はアデル様にはよく思われていないんだ」


「そうでしたか……」


「こんな事件まで起こしたし、しょうがないね。さ、みんなで所内のカフェテリアに行かない?」


「はい。ご一緒します」


 やや眉を下げ寂しげな笑顔を浮かべるレオンについていくオリビア。確かに第二王妃と第三王妃一家の関係が良好ではないと、噂で聞いたことがあった。そして今日、知ってしまった。それが紛れもない事実であると。レオンの罰が言い渡されたあのとき、オリビアは見てしまったのだ。彼女の毒々しく赤い唇がしっかりと弧を描いた、その瞬間を——。


>>続く

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