第21話 名探偵オリビア
「この服については、君の方がよく知っているのでは? オリビア・クリスタルさん。君の領地で販売しているものだろう?」
オリビアの質問に、元王立騎士団団長で現貴族学院体術教師のシルベスタが答えた。
彼は余裕のありそうな笑みを浮かべていたが、反してオリビアは真剣で余裕のない真顔を向けていた。
「……おっしゃる通りですが、領地の中でも販売しているのは限られた店のみ。私の知らないところで広まるものではないのです。失礼ですが一体どうやって手に入れたのですか?」
「ああ、なるほど。着心地が良くて愛用していたのだが、そんなに貴重なものだったのか。これは知人にもらったんだよ」
「貰い物……ですか」
貰い物であれば購入経路がわからないのも納得できる。
しかし、その知人は領地で購入したTシャツをこの王都まで持ち込んでいることになる。それはあり得なかった。
オリビアは自分が開発した製品を厳重に管理しており、Tシャツに関してはまだ領内だけでの販売にとどめ、クリスタル領から出すことがないよう購入者の特定と領民との魔法契約でそれを守っていた。
それがなぜ、今ここに流出しているのだろうと、オリビアは眉間に皺を寄せて小さく唸った。
「知人というのは、君もよく知っている人間だ。クリスタルさん、私は君の秘密を知っているよ」
「秘密……?」
シルベスタが白い歯を見せてオリビアに笑顔を見せた。彼の笑顔はその言葉とは裏腹に何の含みも毒気もなく、オリビアにとってはそれが不気味で仕方なかった。
オリビアには「秘密」がある。ごく限られた信頼のできる人間しか知らない「秘密」が。それを彼は知っているというのだろうか?
一気に疑心暗鬼になり、オリビアは口を一文字に結び警戒の表情を浮かべる。
ふと教室の入り口に立っている護衛のジョージを見ると、彼もまたいつもの軟派な薄ら笑いではなく、厳しい目つきでシルベスタを警戒していた。
すると、オリビアの警戒と殺気にも近いジョージの眼差しに気付いたのか、シルベスタが両手を軽く上げ降参のようなポーズをとった。眉は下がり、困ったような顔でオリビアを見つめている。
「ああ、言い方が悪かった。すまない。その、秘密というのはリアム・アレキサンドライトのことだよ」
「え? リアム様……ですか?」
オリビアは何度も瞬きをしながら結んでいた口をポカンと開き、一部裏返った間の抜けた声で返事をした。
先日レオンと舌戦を繰り広げたときよりずっと気を張っていたいたので、シルベスタの答えがあまりにも拍子抜けだったのだ。
全身の緊張が一気に緩み、立っているのもやっとなくらい体の力が抜けた。
「そうだ。リアム・アレキサンドライト公爵家次男。君は彼の婚約者になるんだろう? 騎士団時代の私の部下なんだ。今でも慕ってくれていて、先日このお土産の服と共に報告に来てくれてね。君をよろしく頼むと言われたよ」
「そ、そうでしたか……」
力の抜けた声で、オリビアは何の気もきいていない言葉を呟いた。
そういえばリアムと自分が経営するカフェ『バルク』に行った。気付かぬうちに彼がTシャツを買ったのだろう。
オーナーの連れであればスタッフもおそらく購入拒否はしない。オリビアは全てに納得がいき、安堵の表情を浮かべた。
「ああ、リアムは騎士団員としても優秀で部隊の隊長として部下からの信頼も厚い。筆頭公爵家の人間なのに奢ることもなく真面目で誠実な人間だ。それに色男だしね。君は見る目がある。発表を楽しみにしているよ」
シルベスタが再び白い歯を見せて微笑んだ。白い歯に白いTシャツと袖から覗く彫刻のような素晴らしい筋肉が彼の爽やかさを演出していた。
オリビアは満面の笑みで「はい!」と元気よく頷いた。
シルベスタの問題が解決し、オリビアはジョージと並んでAクラスの教室へ戻るべく廊下を歩いていた。授業が終わり昼休みに入ったので立ち話をしていたり、食堂へ向かって歩いている生徒たちをぼんやりと眺め、次に視線を廊下の窓の外へ移す。
「あ……」
「どうしたんですか?」
視線の先には、クラブ棟があった。
ジョージが突然立ち止まった主人の顔を覗き込んだ。オリビアはジョージに視線を合わせ、彼の手を握りしめた。
「ねえジョージ、クラブ教室の鍵は持っている?」
「あ、それならここにありますけど」
ジョージが制服の内ポケットからレオンにもらった古びた鍵を出した。
「ナイス! じゃあお昼はクラブ教室でとりましょう!」
「え、食いもんなんてないですよ。食堂じゃだめですか?」
オリビアはクラブ棟に向かおうと歩き出すと、ジョージが顔をしかめ頭を掻き廊下の壁に体を預け、明らかに面倒だと全身で表現していた。
しかし、オリビアは気に留めることなく、スタスタと歩いて校舎の出口を目指した。
「うーん、いい天気。さあ、行きましょう」
「ええー。せっかくの食堂の豪華ランチが……。かわい子ちゃんたちも俺を待っていただろうに」
「ジョージ。あなたのそのブレない女好き、いっそ清々しいわね」
「別に嬉しくありませんよ」
ジョージがため息をついて歩き始めた。
校舎を出るとオリビアは両手を上げ背伸びをして外の爽やかな空気を吸い込んだ。
薄青色の空の高い位置に太陽が輝き、明るいものはより明るく、影はより黒く濃くそれぞれ際立っていた。オリビアの美しい銀髪も輝きを増し、絹糸のような滑らかさを物語っている。
今日はいつもよりすれ違う生徒の視線を感じた。リタがおらず自分でなんとなく髪留めを使っているので髪型が若干崩れているせいか思い、オリビアはジョージに小声で話しかけた。
「ねえジョージ、私の髪型、そんなにおかしいかしら? さっきからすれ違う人の視線が痛いわ。こんなの見つかったらリタにお説教されちゃう」
「そういう意味の視線じゃないと思いますけど、まあ崩れてますね」
護衛のはずのジョージが体の力を抜きながら、気怠そうに答えてオリビアの隣を歩いていた。校内なので安全なはずだが、何かあった時すぐに対応できるのかとオリビアは思った。
彼の返事の半分は意味がよくわからなかったが、夕方帰宅する予定のリタの説教の方が恐ろしかったので深くは追求しなかった。
「クラブ教室に着いたらこの髪を直してくれる?」
「しょうがないですねえ。今期はボーナス弾んでくださいよ」
「わかったわよ!」
「話のわかるご主人様だ、お嬢様は」
クラブ教室に着くと、ジョージの持っている鍵でドアを開け、オリビアはとジョージは教室の中に入った。
「さてと、今日はあの詮索殿下もいないし、この教室を調べましょう。これでも食べながら」
オリビアは先ほどの授業でジョージが作った『カロリー・ソウルメイト』を出してニヤリと笑った。
ジョージは大きなため息をついて差し出されたそれを一つ口に入れた。
「はあ……。で、何を調べたいんですか?」
「ここでは話せないわ。あとでね。……あ、あったあった。さあ、ジョージは私の髪を結い直してちょうだい」
「へいへい」
オリビアが教室の隅にある棚から、魔法陣が描かれた一枚の羊皮紙を取り出した。昔から貴族が使っている上質なものだった。
それを机に広げ、自分の持ち込んだ紙と万年筆を並べて椅子に腰掛ける。
ジョージがポケットから櫛を出し「失礼しますよ」と言ってオリビアの髪留めを外す。
「櫛まで常備しているなんて準備がいいのね」
「まあ、いつかわい子ちゃんの髪を解いてもいいようにね」
ジョージの持つ銀細工の櫛が、オリビアの髪の毛を滑った。
それはまるで何年も仕えた侍女のように手慣れていて、とても心地がよかった。オリビアはその心地よさにそっと目を瞑った。
すると、ジョージの手が止まり、オリビアは自分の髪の毛の一部がふわりと浮くのを感じた。そのまま数秒、動きは止まったままだ。
オリビアが目を開けてジョージに声を掛ける。
「ジョージ? どうしたの?」
「あ、いえ……。髪型どうしよっかなと思って」
「ああ、リタに怒られないなら何でもいいわ」
「わかりましたよ」
再び、ジョージの手が動きだす。そして、あっという間に髪が結いあげられた。
「はい! 出来上がりっす。鏡はないんで見せられないですけど、リタには及第点もらえる出来ですよ」
「ありがとう! さ、これで集中できるわ」
オリビアは万年筆を手に取った。次に自分の持ち込んだ紙へ、羊皮紙に描かれた魔法陣を書き写し始めた。
「何してるんですか?」
「模写よ。ちょっと調べたくて」
ジョージの質問に、オリビアは魔法陣から目を離さず答える。ゆっくりと丁寧に手を動かし魔法陣を描いていく。
「模写ですか……。これを持ち出しちゃダメなんですか?」
「ええ。ここで手に入れたものは殿下の管理下にあって信用できないわ。殿下の魔法が何なのかはわからないけど、もし私が彼の立場で私のことを探っているなら、十中八九盗聴や盗撮をするわ。何か理由をつけて記録媒体を持たせてね」
オリビアは模写を続けながら答えた。背後にいるジョージの気配が若干引き締まったのを感じる。
「たとえば、この教室の鍵とか?」
「そうよ。解析魔法が使えないと何とも言えないけど、あの鍵には何か細工がしてあると思っていいはずよ」
「だから持ち歩いてないんですか? もっと早く教えてくださいよ。もしデートの様子とかを聞かれたりしたら、俺のモテテクが流出しちゃうじゃないですか〜」
「だから今日教えてあげたじゃない。明日は休日だからデートでしょう? 置いていきなさいよ」
オリビアはジョージの不可解な発言については面倒なのであえて流し、話しながら模写を続けた。そして、魔法陣を描き終える。
「できた! よし、昼休みも終わる頃ね。もう出ていきましょう」
「戻るのは戻るので怠いっすね。サボりません?」
「ダメ! 行くわよ!」
「へいへい」
オリビアは素早く立ち上がると、羊皮紙を元の場所に戻し、模写をした紙と万年筆を持ってクラブ教室を後にした。
◇◆◇◆
「オリビア様、ただいま戻りました」
「リタ! おかえりなさい」
放課後、空腹だというジョージに食堂に連れ出されたオリビアの元に、帰宅したリタが挨拶にやってきた。
大規模お見合い会場の貴族学院では男女の寮が完全に分かれており出入りは禁じられている。そのため放課後は食堂、談話室、クラブ棟が生徒たちの出会いと交流の場となっていた。
授業が終われば従者たちも出入りが可能となる。
「本日はお休みをいただきありがとうございます」
「当然の権利よ。どう? 楽しめた?」
深々と頭を下げるリタに、オリビアは笑顔で声をかけた。すると、顔を上げ「はい」と言う彼女の表情がいつもとは違うことに気づいた。
この表情は、今までも何度か見たことがある。いつだったか思い返す。オリビアは記憶を遡って視線を頭の上方へ持っていった。
そして思い出した。口角を上げ、含み笑いでリタを見つめる。
「なるほど……。何かいいことがあったわね。もしかしてエルの店に行った?」
「は、はい……。偶然会って、そのあと彼の店に行きました」
肌の色が褐色なのでわかりにくいが、リタは明らかに頬を染めていた。
まるで自分の兄でリタ憧れの男性エリオットと話している時のようだ。
こうなるとオリビアは根掘り葉掘り聞かずにはいられない。ちらりと横目でジョージを見ると、同じようにニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていた。
「へえ、偶然ねえ……」
「ほ、本当に偶然なんです! あ、これはエルからのお土産です!」
リタが真っ赤な顔でオリビアに紙の箱を差し出した。オリビアは笑みを浮かべたまま受け取り、箱を開けた。
「ありがとう、開けるわね。何かしら……。あ、アップルパイ? 美味しそう!」
「え、俺のもある?」
すかさずジョージも箱を覗き込む。中にはアップルパイが二つ入っていた。甘酸っぱい香りがオリビアとジョージの鼻口をくすぐる。
「二人でどうぞ。今度、感想を聞かせてほしいと言っていました」
「嬉しい! じゃあ早速いただきましょう!」
「やったね! いただきまーす!」
オリビアは早速フォークでアップルパイを口へ運んだ。
甘く爽やかなリンゴとシナモンの香りが口の中に広がる。隣ではジョージが手づかみで一気に半分をほどを口に含み、目を細めていた。
「美味しい! 甘さと爽やかさが絶妙だわ。生地もサクサクだし!」
「んんー。うまい。最高」
「それはよかったです。エルが「また三人で来てください」と言っていましたよ」
リタが笑顔で紅茶を淹れ、オリビアとジョージの前にカップを出した。
彼女の声は心なしか弾んでおり、誰もいなければ鼻歌でも歌い出すのではないかと思うほどだった。オリビアは嬉しそうなリタを見て目を細めた。
「ええ。行きましょう。大丈夫、邪魔にならないよう私とジョージはテーブル席で大人しくしているから」
「オリビア様! な、何をおっしゃるのですか! 邪魔なんてそんな……」
再び顔を真っ赤に染めるリタ。オリビアは彼女の普段はなかなか見せないその表情を微笑ましく思った。
「ふふっ。さあ、お茶を飲んだら行きましょうか。ね、ジョージ」
そう言いながら、オリビアはテーブルに一枚のメモを差し出す。ジョージがメモを見て「了解っす」と言って小さく頷いた。
メモにはこう書かれていた。
『消灯の一時間前に私の部屋に集合。鍵は置いてくること』
>>>続く。
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