【本編完結】美女と魔獣〜筋肉大好き令嬢がマッチョ騎士と婚約? ついでに国も救ってみます〜

松浦どれみ

第一部 仮婚約者はマッチョ騎士!

第一章 クリスタル領で再会

第1話 魔獣との遭遇


「きゃあああ!」


「ま、魔獣まじゅうだ! こっちへ来るぞ!」


 ——ジュエリトス王国、クリスタル領。


 辺境の平和な街のはずが、領民たちは叫び、逃げ惑っていた。


 市街地の真ん中にある噴水の広場。普段は観光客や領民たちで賑わう憩いの場。悲鳴は主にそこから聞こえていた。


 広場の入り口に大柄な熊のような生き物が、両肩に血まみれの人間を抱えていた。


 人間の生死は定かではない。


 そして、その生き物は返り血なのか自身の血なのか、身体中が赤黒くなっていた。外見からは獣なのか人間なのか、はたまた魔族なのか全くわからなかった。人々は恐れ、魔獣だと騒いで混乱している。


「リタ! ジョージ! 街のみんなを屋敷の方へ誘導しましょう!」


「オリビア様、いけません! 逃げましょう! あなたに何かあったら大変です!」


 手入れの行き届いた銀髪に、薄紫の瞳。明らかに貴族の少女が従者たちに領民たちの避難を指示している。従者はまず自分の主人を避難させようと必死だ。


「自分の領地の民を守るのが私の役目です! 私を逃したいのなら早くみんなを避難させなさい! 私なら大丈夫!」


 クリスタル領、クリスタル伯爵家の娘オリビア・クリスタル。彼女は改めて侍女のリタに命令した。


「オリビア様っ! 必ず戻ります!」


 主人の意思を汲み、リタは領民の避難を進める。

 護衛のジョージもオリビアを視界に収めながら、領民たちを誘導する。

 オリビアも領民を誘導しながら、混乱する領民をしずめようと必死だった。


「みなさん! クリスタル家の屋敷へ向かってください! 大丈夫です! 落ち着いて!」


 混乱の中、オリビアの声は周囲の数名にしか届かない。声の届いた数名だけでも誘導し、また混乱する領民の元へ走る。


「みなさん、落ち着いて!」


「うるせぇ! どけ!」


「キャッ」


 慌てて逃げる民に押され、オリビアはその場に倒れ込む。ジョージが気づいて駆け寄ろうとするが、人混みの中でなかなか近づけない。


「お嬢様!」


「いたた……」


 オリビアが起き上がると、すぐ近くに例の魔獣がおり、彼女の元へ向かっている。

 オリビアは足がすくんで動けなかった。


 一歩。一歩。魔獣がオリビアに迫る。


「き、きゃぁああああ!」


 オリビアはぎゅっと目を閉じ、叫び声を上げた。



◇◆◇◆



 魔獣事件の一ヶ月前、クリスタル伯爵家。

 ジュエリトス王国の辺境にあるこの家では、長女オリビアの婚約話が進んでいた。


「オリビア、実はアレキサンドライト公爵家から、次男のリアム様との婚約の打診があったんだがどうだろう?」


 クリスタル家当主で自分の父でもあるジョセフがそう切り出したので、オリビアは一瞬ちらりと彼に上目遣いで視線を送って返事をする。


「リアム様。お兄様のご友人でもありますわね」


 オリビアは視線を父から外し、興味がないということを全力でアピールしながら紅茶を飲んだ。しかし、ジョセフはその様子に気づかない様子で話し始めた。彼はいつも言葉の奥にある本当の意味に気づかない。


「そうなんだ。アレキサンドライト公爵家は王族とも繋がりのある筆頭公爵家だ。本来なら田舎の伯爵家である我が家との婚姻はあり得ないんだが……。公爵様が友人のエリオットの妹でもあるオリビアにぜひにと仰ったんだ」


 どこか誇らしげに経緯を説明した父に、オリビアは小さく息を吐いた。鈍感すぎるのもいささか面倒だ。


「なるほど。我が家よりずっと格上のアレキサンドライト公爵家からの申し出だから、お引き受けするしかないということですね」


「せ、先方からは、断っても構わないが前向きに検討してほしいと言われている」


 ジョセフが娘の意地悪な問いに眉を下げ、困ったような顔で返事をする。そんな父の顔を見て、オリビアはさらに意地悪な返事をした。


「では、お言葉に甘えてお断りしてもよろしいのでしょうか?」


 ジョセフがさらに狼狽ろうばいし、すがるような視線を向けてきたが、オリビアは返事をくつがえさない。


 すると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。オリビアとジョセフは部屋の入り口に注目した。


「オリビア、あまりお父様をいじめるな」


「お兄様!」


 ドアを開け部屋に入ってきたのは、帰宅した兄エリオットだった。彼はすかさず父に助け舟を出した。


 オリビアは「人聞きが悪いですわ」と口の先を尖らせ、拗ねたふりをした。


「リアム様は良い方だ。公爵家へ嫁ぐのは大変かもしれないが、彼は次男だから家は継がなくていい。それに領地や、うまくいけば王都で商売もできるかもしれないぞ」


「そうだぞオリビア! リアム様の姉のシャーロット様は、王太子殿下と婚約している。こんな優良な縁談、今後二度とないぞ!」


 オリビアの性格を熟知しているエリオットがさらに援護射撃する。ジョセフもそれに乗っかるようなかたちで良縁を主張するが、逆効果に近い。


 オリビアはこれ以上引き伸ばしても仕方ないので覚悟を決め、紅茶を一口飲み、にっこりと微笑んだ。


「それは魅力的なお話ですわ。確かにリアム様は幼い頃何度かお話ししたことがありますが良い方でしたし。つつしんでお受けしますとお返事してください、お父様」


「オ、オリビア〜。良かった〜。本当に断ったらどうしようかと思った〜」


 ジョセフは目に涙を浮かべ、心底ホッとしたという様子だ。思わず情けない声が出てしまっている。オリビアは笑いをこらえ、若干肩が揺れた。


「確かリアム様は騎士団に入隊しているんですよね?」


「そうだ。確か現在は遠方で訓練中と聞いているが……。お父様は何か聞いていますか?」


「実はその訓練が隣のペリドット領で行われていてな。もしオリビアから婚約の承諾がもらえたら、演習の終わりに会いに来たいと言われている」


 オリビアは顔色をうかがうように覗き込んできたジョセフに気づかないふりをしつつ微笑んだ。


「お待ちしておりますとお伝えください」


「早速返事の手紙を出そう!」


 ジョセフは弾むような足取りで部屋を出ていった。オリビアは見送りながらクッキーに手を伸ばす。


「お前の商才を考えるともったいない気もするが……。おめでとう、オリビア」


「ありがとうございます。お兄様」


 兄からの祝福の言葉に、オリビアは静かに微笑んだ。


◇◆◇◆


「オリビア様。ご婚約、おめでとうございます」


「ありがとう。でもまだ返事をしただけよ、リタ」


 婚約話があった日の夜。オリビアは寝室で、侍女のリタにいつものように髪の毛の手入れをしてもらっていた。


 美しく輝く滑らかな銀髪。薄い紫の大きな瞳。透明感のあるなめらかな白い肌。ほんのりと赤く染まった唇。


 ここ数年、王都には顔を出してはいないため知れ渡ってはいないが、オリビアは国内でも一、二を争う美しい令嬢だった。今年は十六歳になるため、社交界デビューも控えている。


 また、二ヶ月後からは王都にある貴族学院に入学することになっている。


 そこは貴族の令嬢令息が通う学校で、大規模なお見合い会場みたいなものだった。在学中の生徒の七割程度が学院で婚約者を見つける。


「正直、入学前に婚約が決まるなら助かるわ」


 オリビアは結婚に興味がなかったが、貴族の娘として結婚の義務があるのも理解していた。学院での婚約者探しなど面倒だと思っていたところに舞い込んだ今回の話は、とても都合が良かったのだ。


「アレキサンドライト公爵家のリアム様は、以前に何度かお見かけしたことがあります。大変お美しい方で、オリビア様とお似合いですね。お二人が並ぶお姿、早く見たいです!」


 リタが当時を思い出し、うっとりとしたような目をして言った。オリビアも幼い頃、何度か兄に連れられリアムと会ったことを思い出していた。


 兄と同じ五歳年上の少年だったリアム。赤い髪に緑の瞳。端正な顔立ちをしており、いわゆる美少年だった。彼の屋敷は長期休暇になると、知り合いのつてで押し寄せてきた貴族の令嬢たちで混雑していた。


 リアムは常に令嬢たちに囲まれ、死にそうな顔をしていた。


 巻き込まれないよう兄のエリオットと人目につかない場所でティータイムをしていると、令嬢たちにもみくちゃにされ、ボロボロのリアムが逃げてくることがあった。


『モテるのも大変なのですね』


『君は僕を見て何も思わないのかい?』


『私、まだ十一歳ですし恋愛はよくわかりません。それにリアム様のことは、兄のご学友であるということしか知りませんし』


『こら! オリビア、失礼だぞ!』


『いいんだ、エリオット。その方が気負わず話せて安心できる』


 以来、何度か同じようなことがあり、その度に三人で茶菓子を食べながら会話を楽しんだ。兄とリアムが学院を卒業してからは疎遠になったが、オリビアにとってはいい思い出だった。


 一通り回想し終えると、オリビアはベッドに入り小さく息を吐いた。


(確かに話しやすいし良い方だったんだけど……全く好みじゃないのよね)


 あの頃、リアムに群がっていた令嬢たちに聞かれたら何をされるかわからないことを心の中で呟き、オリビアはそっと目を閉じ、眠りについた。


◇◆◇◆


 数日後、父ジョセフが送った手紙を先方が確認したようで、アレキサンドライト公爵家から返事の手紙が届いていた。ジョセフがそのうちの一通をオリビアに差し出した。


「アレキサンドライト公爵様から、学院に入学後で構わないので、ぜひ一度会いたいと返事がきたぞ。次の長期休暇の時に王宮に出向いて、正式に婚約を国王に認めてもらいたいそうだ。あとはリアム様からオリビアに直接手紙が届いている」


「ありがとうございます。お父様」


 オリビアは手紙を受け取り自室に戻る。机からペーパーナイフを出し、リアムからの手紙を開封した。


「ただいまお茶をお持ちいたします」


「ありがとう」


 リタが一礼して部屋を出る。その間にオリビアはソファに腰掛け、リアムからの手紙を読んでいた。


「相変わらず綺麗な字。それにしても筆無精ですのね」


 オリビアはクスリと笑い、便箋びんせんを見つめる。そこにはたった二行のメッセージが書かれていた。


『婚約を承諾してくれてありがとう。一ヶ月後、あなたに会えるのを心待ちにしています。』


◇◆◇◆


 それから一ヶ月近く経ったある日、オリビアは侍女のリタ、護衛のジョージと共に街に出ていた。約一年前から自身で経営しているカフェの視察をしていたのだ。


「オリビア様、今日は街へ出て良かったのでしょうか? そろそろリアム様が屋敷に来る準備をしなくてはいけませんし」


「大丈夫。演習が終わるまでまだあと数日かかるはずよ。さあ、リタとジョージも座って!」


 オリビアに促され、リタとジョージが席につく。街へ視察に出るときは、必ず三人で客としてカフェでお茶をしていた。


「春に向けての新作も良い出来だわ。どうかしら? 甘党のジョージ」


「最っ高ですね」


 ジョージは春らしいイチゴの乗ったクリームたっぷりのパンケーキを頬張り、オリビアの問いに答えた。甘いものがそこまで好きではないリタは、その様子を冷めた目で見ている。


 オリビアがふたりと共にカフェから出ると、広場がざわざわと騒がしかった。遠くで叫び声のようなものが聞こえる。


「お嬢様はリタとここで待っててください。様子を見てきます」


 ジョージが騒ぎの中心へと向かって走っていく。辺りを警戒しているその鋭い目つきは、先ほどまでデザートを頬張っていた姿とはまるで別人だった。


 数分待っていたが、ジョージは戻らず辺りはさらに混乱していた。多くの領民が逃げてくる。リタがそのうちの一人を捕まえ、状況を確認する。


「何があったのですか?」


「ま、魔獣が、死体を抱えた魔獣が来る!」


 領民はそう言って騒ぎの反対方向へと走り去った。


「オリビア様、逃げましょう」


「ジョージがまだよ。それに、このまま混乱していては領民が犠牲になるかもしれないわ」


 避難を促すリタに、オリビアは首を横に振った。そしてジョージが向かった先へ自身も向かった。リタも一緒に向かうが、その表情はとても不安げだ。


「ジョージ!」


 混乱する人混みの中にジョージを見つけ、声をかける。ジョージは声の聞こえた方に振り向き、険しい顔で主人とその侍女を睨みつけた。


「お嬢様! 待っててくださいって言ったじゃないですか!」


「魔獣がきたなんて聞いたら、心配するじゃない! 待ってなんかいられないわ!」


 ジョージがため息をつく。辺りはさらに混乱し、領民たちが我先にと逃げ惑っている。


 オリビアは大きく深呼吸した。領民を避難させるため、リタとジョージに指示を出した。


 ——そして、騒ぎの元凶である魔獣とまみえる。


「き、きゃぁああああ!」


 迫り来る魔獣に、ぎゅっと目を閉じ、叫び声を上げたオリビア。


「お嬢様!」


 少し遠くで、ジョージの呼ぶ声が聞こえる。オリビアは命の終わりを覚悟した。


「……ん?」


 ドサッという音と共に、オリビアはすぐそばで何かが落ちる衝撃を感じた。


 恐る恐る、そっと目を開けると、魔獣と抱えられていた人間たちが倒れていた。


「わ、私……助かったの?」


「お嬢様!」


 ジョージが駆け寄ってきて、オリビアは抱き抱えられた。


「ジョージ、待って! まずはこの方達を移動して!」


「まずはあなたが先です!」


 倒れている人間の避難を頼むオリビア。しかし、ジョージが一歩も引かずその場を離れようとする。


 抱えられながら心配そうに魔獣の方を見ると、不思議なことが起きた。


「ジョージ! 止まって!」


 オリビアは足を止めてもらうよう、ジョージの服を引っ張る。彼は呆れたと言わんばかりの声で返事をする。


「だからまずは……」


「ジョージ!!」


 返事をさえぎり、オリビアは大きな声を上げた。ジョージの足がぴたりと止まった。


「見て、ジョージ」


 オリビアの視線の先には、人間が三人倒れている。


「あれ? 魔獣は?」


「真ん中よ。縮んだの」


 そう言ってオリビアがジョージの腕から地面に降りる。そのまま魔獣だった人間の元へ歩み寄る。ジョージは慌てて引き止めようとした。


「お嬢様! 近づいちゃダメです!」


 オリビアはジョージの言葉は聞かず、さらに歩みを進める。


 その人間は、倒れた直後より、二回りほど小さくなっている。人間の中でも大柄な方で、おそらく男性に見えた。血まみれでわかりにくいが、よく見ると身につけているものも高価そうだった。


「これ……。もしかして……。」


 オリビアは、彼が腰につけている剣に触れる。すると、一瞬反応し、指先が微かに動いた。ジョージが警戒し、帯刀していた剣を抜く。


「お嬢様! 離れてください!」


「ジョージ! 剣をしまいなさい」


 剣を抜いたジョージが早まらないよう、素早く静止する。

 剣についている装飾や紋章に、オリビアは見覚えがあった。

 そして、血まみれの髪と顔立ちは、少年だった頃の彼の面影が少しばかり残っている。


「……リアム様?」



>>続く



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