化け物バックパッカー、オレオレ詐欺をする。

オロボ46

人の川は埋め尽くす。落とし物も、良心も、救えそうな虫の息も。


「なあじっちゃん、アタシ! アタシだよ!!」


 トイレの個室に入った老人。

 彼が持っているスマホからは、女性の声が聞こえてくる。


「……? どちらさまかな?」

「まったく……アタシだよ! じっちゃんの孫の……」


 老人は便器に腰掛けることはせずに、スマホに耳を当てたまま壁にもたれかかった。


「ああ……花子か?」

「そう! そうそう!! 花子よ!!」


 スマホの声は、まるで老人のつぶやいた名前に便乗するように肯定する。


「それで……花子、いったいどうしたんだ?」

「実はさ、交通事故起こしちゃってさ……えっと……」

「……誰かケガをさせたのか?」

「そうそう! それもすっごい怖い人でさ……今すぐ慰謝料を出さないと、訴えるって言ってて……アタシ……どうすればいいかな……あはは……」


 女性の声は、笑っていながらも切羽詰まっている様子……




 ……のフリだった。




「そうか……それじゃあ、その相手を出してくれ」

「え」


 老人の指示に、女性は固まったように黙ってしまった。


「どうした? いないのか?」

「いや、えっと、あの……その人は今、話せない状態で……」

「そうか。それじゃあ、訴えるといっている人間を呼んでくれ。俺が話をつける」

「……」


 しばらく答えない女性に、老人はため息をつく。


「あのな、オレオレ詐欺をする時には、大抵ケガをさせた相手役とか、弁護士役とかがでてくるだろう? 花子と名乗るお嬢さん」

「……」


 老人に見抜かれ、電話の向こうの女性は頭が真っ白になっているのだろうか。

 声だけでは、その様子は見て取れない。


「最後に言っておくが……俺には子供も孫もいないし、花子という名前も今思いつい……もしもし?」


 電話は、すでに切れていた。


「まったく……大したことのないオレオレ詐欺だったな」


 老人はスマホをしまいながら、便器に目を向けた。










 電話を終えてしばらくしたのち、老人は洗面所の鏡の前に立った。


 この老人、顔が怖い。

 黄色のデニムジャケットに、ハードな雰囲気を出すデニムズボンと派手なショッキングピンクのヘアバンドが、その顔の怖さをひき立てている。もし顔を合わせるものなら、詐欺師相手でも裸足で逃げだすだろう。

 その背中には、黒いバックパックが背負われていた。


「あの子を待たせるほどでもない電話だったな」


 老人はひとりでつぶやきながら、手を洗い始めた。










 駅の改札口に、人が流れ込んでいく。


 それは、まるで人の川。


 ホームという名の河口に、人々は下っていく。


 その勢いのある川にひとたび物を落とせば、そのまま流れ去っていきそうだ。




 その人の川を、トイレの前で眺める者がいた。


 黒いローブを身に包み、顔はフードを深く被ることで隠し、


 背中に背負った黒いバックパックを、トイレの横の壁にくっつけている。




 誰かを待っているような、ローブの人物。

 その体格は女性のようながら、片足を動かすしぐさは幼い少女のような面影がある。

 しかし、裾から出ているその手は、影のように黒く、鋭い爪が生えていた。




 人の川は、そんな彼女の姿を気にも留めない。


 彼女の手も、見る暇もないだろう。









「……待たせたな、“タビアゲハ”」


 そのトイレから老人が現われて、タビアゲハと呼ばれた少女は壁からバックパックを背負った背中を離した。


「“坂春サカハル”サン、電話、ドウダッタ?」


 人間とは思えない、高くたどたどしい奇妙な声を出すタビアゲハに、“坂春”と呼ばれた老人は気にすることもなくスマホを持つ右手を上げた。


「ああ、この年になってようやく、俺の元にオレオレ詐欺がやって来たぞ」


 まるで面白がるように語る坂春に、タビアゲハは口を開いて何かを繰り返しつぶやきはじめた。


「……オレノモトモトゥ……オレノモトニオレオゥン……? ……オレノモトニオレオレシャギ……コポン。俺ノ、元ニ、オレオレ詐欺ガ、来タ……ア、ヤット言エタ」

「おい、どうしたんだ? タビアゲハ」


 最後まで言えて胸をなで下ろしたタビアゲハは、坂春の疑問に答えるように顔をあげる。


「サッキノ坂春サンノ言葉……“オレ”続キデナンダカ面白イナア……ッテ」

「面白いもの……なのか?」


 眉をひそめる坂春に、タビアゲハはまじめそうに口元で笑みを浮かべてうなずいた。





 改札口に流れる人の川があれば、改札口から駅の出口に向かう人の川もある。


 出口に向かう人の川に紛れて、坂春とタビアゲハも流れていく。










 その人の川から解放され、駅の外に出たタビアゲハは坂春に目線……のようなものを向けた。


「ソレニシテモ、オレオレ詐欺ッテ……子供ヤ孫ガイル人ニ対シテ行ワレルモノデショ? 坂春サンニ子供ッテ……イルノ?」

「いや、俺には妻はいたが、子供は授からなかった。一時期、子供を預けられて育てたことはあったが、すぐにその子の親戚の元に向かったな」

「ソレジャア……ソノ子ノフリヲシテ、オレオレ詐欺シテクルンジャナイ?」


 坂春は「問題ない」と鼻で笑った。


「彼女とは最近話をしたからな。それに、あの子のしゃべり方はさすがに忘れんよ」




 たわいのない会話で進む、ふたりの歩み。


 その歩みは、ひとりの立ち止まりにより進まなくなる。




「……どうした? タビアゲハ」


 先に1歩踏み出していた坂春は、振り返ってタビアゲハを見た。


「坂春サン、アレ……」


 指をさすタビアゲハに、坂春はその方向に再び振り返る。




 そこにあったのは、赤い血液。


 アスファルトの上に流れるその血液は、引きずられたかのように、裏路地へと続いていた。




 周りの人間は、それを無視していた。


 それぞれの目的地に向かうことに夢中なのか。


 それとも、厄介ごとを避けるために、見て見ぬふりをしているのだろうか。




 坂春とタビアゲハは、路地裏へと駆けだした。



















 路地裏は狭く、細身のタビアゲハでさえ左右に肘を伸ばす余裕もない。


 その路地裏の奥にいたのは……




「!!」




 人間に絡みつく、ヘビのような化け物だった。


 いや、受話器の化け物と言った方が正しいか。




 受話器のヒモのように蛇腹になった胴体に、受話器の耳当てのような丸い口。

 その口の上に、わずかに目と思われる小さな穴がふたつ、空いていた。


 絡みつかれた人間は、右足から出血している。見たところ、若い男性だろうか。

 気を失っているのかまぶたを閉じており……傷口があると思われる足は、受話器の化け物の胴体で巻かれていた。


 そして……その右足は、曲ってはいけない方向に曲っていた。




「……変異体」


 坂春はぼそりとつぶやき、タビアゲハとともにじっとその化け物とにらみ合いを続けていた。


 その化け物……変異体が、何者であるかを見分けるために。




 目の前にいる変異体は、巻き付いた人間を傷つけた張本人か。


 それとも……




 その時、男性のひとみが開かれた。




「……に……にいちゃん……」




 その男性は、しっかりと受話器の変異体と目を合わせていた。

 受話器の化け物も、それに答えるように男性に口を向ける、


「……知り合いなのか?」

「ッ!!」


 坂春がたずねると、受話器の変異体はすぐに坂春に対してにらみつけた。


「近ヅクナッ!!」


 その声に、坂春はこれ以上刺激を与えまいと、出そうとした左足を引っ込める。


「落ち着いてくれ……あんたはそいつと知り合いか? そいつが重傷を負っているのなら、俺たちにもできることは……」

「近ヅクナト言ッテイル!! 人間メッ!! モシモ次、近ヅイタナラ……」




 今まさに、飛びかかろうとする受話器の変異体。


 しかし、化け物は飛びかかることもなく、


 タビアゲハをじっと見て、前のめりになった顔をゆっくりと引っ込める。




「私……人間ジャナイヨ?」




 タビアゲハは、フードを下ろしていた。


 影のように黒い肌とウルフヘアー……


 そして、本来は眼球が収まるべき場所から生えているいる……青い触覚。


 その触覚はまぶたを閉じると引っ込み、開くと出てくる。




「……」


 それでも警戒をとかないように、受話器の変異体はタビアゲハをにらんでいた。


「ネエ……ソノ人、ケガシテイルデショ? 私ニ出来ルコトナラ、何デモ言ッテ」

「……」


 確認を取るように受話器の化け物が男性に顔を向けると、男性はこっくりとうなずいた。


「……弟ノ服ニ、スマホガアル。俺ニハスマホヲ握ル手ハナイシ、弟ハ車ニヒカレテコノザマダ。取ッテクレ」


 受話器の変異体に言われるがままに、タビアゲハは男性の胸ポケットからスマホを取り出した。


「知リ合イノ闇医者ニ電話ガシタイ。今カラ言ウ電話番号ヲ入力シロ」




 指示に従い、タビアゲハは電話番号を入力し、そのスマホの表面を受話器の変異体に向けた。


 呼び出し音がしばらく鳴り響いた後、坂春とは別の老人の声が聞こえてきた。


『……もしもし』

「俺ダ。今、弟ガ車ニヒキ逃ゲサレタ。足ガ折レテ出血モ酷イ。今スグニ車デ迎エニ来テクレ」


 受話器の変異体の受け答えに、巻き付けられている男性はもちろん、そばにいた坂春とタビアゲハも安心したように笑みを浮かべた……




『……断る』

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