第15話 七夕の支度

「参加してほしかったって、何に?」

 ノックの音がして、営業部アシスタント兼受付の北原さんが人事部のドアを開けた。今日も赤い口紅が決まっている。

「俊郎さん、いつもの到着しましたよ」

「ありがとう。今から行きます」

 私はすぐに立ち上がり、遥にも声をかける。

「遥君も一緒に来て手伝ってください」

「え、何を?」

 遥がデスクの下からそろそろと顔をだした。

 あぁ、そうだ。先日の事件で遥が北原さんには少々苦手意識が残るのは無理もない。

「遥君、そういえば北原さんの書いたメモ。あれを詠んだ時ってどんな内容を――」

「待って、ダメ! その話はやめ!」

 そんなに赤くならなくても……。

 やはりこの話題には触れて欲しくなかったようで、私もそれ以上この会話を続けなかった。遥より六つ年上の肉食系女子の想いは、多感な十九歳には刺激が強すぎたのだろうか。

 ……これ、口に出したらセクハラですからね。

「で、何を手伝えばいいの?」

 デスクの下から出てきた遥と一緒に人事部を後にする。

「七夕の準備です」

「え? 七夕? 何するの?」

 明らかに弾んだ声に振り返れば、文字通り瞳を輝かせた遥が子犬のようについてくる。そのままエレベーターホールまで行くと、緑色の物体が横倒しになっていた。

「わあ、これどうしたの?」

「毎年、この時期から七夕飾りを設置するんですよ。社内のイベントの一つです」

「マジで! 社内で?! ……って、これ竹?」

「ボリュームがあって立派な竹でしょう」

「俊郎さん、こういうとこ手抜きしちゃダメだよ」

 肩をすくめながら遥が苦笑する。今時の十九歳の割には妙なところにこだわるなぁ。

「あ、でも確かに立派だ……。手抜きって言ってごめん」

 遥は竹に謝った後、壁に立てかけて下から上へと見上げる。

 さすがに天井に届いてしまうため、ここに持ち込まれる前に寸法をオフィスに合わせて切ってもらってある。

「田畑さんの実家のお兄さんが、家の裏の竹やぶから毎年切って持って来てくださるんですよ。みんな喜ぶからって」

 当の田畑さんはお兄さんと外で食事にでも行ったのだろう。

「なるほどね。それじゃあ田畑さん一家に感謝しなきゃ!」

 遥は他には誰もいないエレベーターホールであたりを見回す。

 それから竹に視線を固定すると、周囲にふわっとした淡い光の粉のようなものが現れ、それを愛おしそうに見つめている。先月の事件の時には見ることができなかった優しい表情だ。

 頃合いで頭上で指をパチンと鳴らすと、小さな白い金平糖に似た粒が、微かな金属音に似た音を響かせて床に散らばった。

「おっと、思ったよりたくさん……」

 慌てて拾い始める。

「何か詠めましたか?」

「みんなに楽しんで欲しいっていう想いと、お兄さんかな? 田畑さんのことを応援してるみたいだよ。ふふふ、家族愛だね」

「それは覗き見してしまったようで申し訳ないですね」

 遥は人差し指を立てて口元に寄せながら笑った。

「まぁまぁ、ここだけの話ということで!」

 先日までは人間の嫌な想いを詠むことが多かったので、良い想いを詠めたことは良かったと思う。

 一緒に金平糖を拾いながら心がフワリと暖かくなった。こういうのも「想いを循環させていく」という遥の幻想錬金術師の仕事の恩恵だろうか。

「それにしても、メモや書類を詠んだ時に比べて結構な数のような気がしますが」

 拾い集めたものを遥に手渡す。

「植物は想いを増幅させやすいんだ。それに運び易いんだろうね。人間がお祝いに花を贈ったり、仏壇に花を供えるのは、無意識のうちにそれを感じ取ってるからなんじゃないかって思ってるよ」

 遥にそう言われると妙に納得してしまう。なぜ人は花を贈り、供えるのか、なんて思ってもみなかった。

 今度早く帰れる日には近くの花屋で祥子さんに花を買って帰ろうかな。そうしたら私の祥子さんへの愛も増幅されて――

「俊郎さん、奥さんには花を買って帰るより、早く帰って家事を手伝ったほうが喜ばれるって」

「……遥君、せっかく素敵な話の後なのに、夢の無いことを言われると色々台無しです」

「あはは、ごめんなさい」

 遥は結晶をポケットから取り出した革袋に収めた。

 あの結晶一グラムが金一グラムと同等の価値があるらしい。遥とあの結晶に救われた身としては、また誰かのために役立ててほしいと思う。

「じゃあ、そっちの笹を休憩スペースに運びましょう」

「竹だってばー」

 呆れ声で訂正されたが、背後から鼻歌を歌いながら笹……ではなく竹を担いで歩いてくる。こんなにはしゃぐなんてまるで子供みたいだな。って一応自称四歳児だから年相応ということにしておこう。


 この会社は仕事はもちろん一生懸命だが、社内のイベントもみんなで一生懸命楽しもうというルールがある。誰かに負担が偏らないようにみんなで楽しむのだが、イベントの企画は一般社員はもちろん、社長の藤田君も発案し、企画が通った後の準備は人事総務部の仕事だ。

 そして必要に応じてイベントを手伝う社員とアルバイトが招集されて運営されていく。

 すでに台座が出されていたので、そこに立てていつもの場所に設置する。

「お、今年も笹の季節か」

 ちょうど打ち合わせに出ていた社長の藤田君が戻ってきて嬉しそうに眺めている。

「これは竹でーす」

 遥が少々呆れてツッコミをいれる。

「遥君、そこ細かいよ」

「えー大事なところだよぉ」

 藤田君と遥のやり取りに若手の社員数人が笑いながら見物にやってきた。遥以外にも最近入ったアルバイトの大学生がいるので、彼らも休憩スペースに飲み物を取りに来がてら、何を短冊に書くのかなどの雑談で少し盛り上がる。藤田君も一緒になってあれこれ楽し気に語っていた。

 楽しく仕事をするには、仕事以外の楽しみが社内にあっても良いというのが藤田君の持論なのだ。

「やぁやぁ、いつも以上に盛り上がってるね~」

 横から現れたのは田畑さんだ。

「あぁ、田畑さん。早かったですね。おかえりなさい」

「ただいま! 今日はこの後、面接があるからね」

「そうですか、またしばらく続きますが、良い人が見つかるといいですね」

「そうね。でも大事なことだから頑張ります!」

 先日、面接日を決めた人たちの対応がまた始まった。

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