第13話 限界
会社に戻って、まずは人事部で北原さんに今回のことを詫び、吉崎さんにもお詫びすると約束した。北原さんからは私への嫌がらせ行為について涙を流しながら謝罪をされた。
「あの招き猫に踊らされたことだから何もなかったことにしましょう」と水に流すことを伝えると、彼女は「ありがとうございます」と大粒の涙をこぼした。
それと、遥のことに関しては一切口外禁止、SNSでも話題にしないということで同意してもらい、誓約書を作成して署名してもらった。遥は「どうせ誰かに話しても信じないよ」と言うだろうと思いながらも、念のため。
吉崎さんに対しての小野君のハラスメント行為についても、証言してもらった。
その後で人事部に小野君を呼び出し、彼を徹底的に搾り上げた。吐けるものがなくなるほど。
聞き取った罪状だけでも藤田君に報告すれば、それなりの処分が下されるだろう。
これで人事部の事件としてはひとまず閉幕。
会社全体の問題としては、社内会議などでこれから忙しくなりそうだ……。
実は、遥からは割とすぐに「今すぐ来てほしい」という連絡が入っていたが、気づいたのはひと段落した後。慌てて駆け付けると、屋上に遥の姿があった。
あの時は二人してすっかり失念していたが、屋上の鍵のついたキーチェーンには遥の自宅の鍵もついていて、私が持ったまま引き上げてしまったために汗を流すことも着替えることもできないと、大の字にひっくり返ったまま拗ねていた遥をすぐ下のフロアにある自宅まで送り届けた。
「ねぇ、遥君。あれは乙女心を踏みにじりすぎでしょう。いつか刺されますよ?」
「ごく自然に社外で人目に付かない場所に誘いだすって、アレくらいしか思いつかなかったんだよ」
ちょっと膨れた顔の遥と二人人でかなり遅めの「昼食」を食べるところだ。
「俺だって極限状態での判断だよ? もっと褒めてよぉ」
「そうですね、本当にありがとう。遥君が居なかったらこうして落ち着いて食事なんてできなかったです」
ようやく遥がいつもの顔で笑った。
「俊郎さんも、本当にお疲れ様」
二人で遅めの昼食。近所にある有名店のハンバーグを頬張ると満面の笑顔だ。
「俺、ここのハンバーグ大好きなんだ。ホントに美味しい!」
「食べれば回復すると聞いて、この近辺で一番人気のある店を選んだんです」
「あそこ、いつも行列できてるし、けっこう並んだんじゃない? ありがとう」
思えば、遥と食事を共にするのは初めてだ。良い食べっぷりで、奮発して多めに買ってきて本当に良かった。
私も持参している弁当もあるのだが、自分の分のハンバーグも確保している。
「そういえば、レシートの……悪意の送り主が早い段階で北原さんだって分かったのに、どうして残りの全員を調べたのでしょう」
「死への衝動を誘発するものの手がかりを探してたんだよ。初めて会った時の俊郎さんの顔なんてとても酷かったし、北原さんだってあんな凄まじい殺気を纏うなんておかしいじゃん」
そんなに酷い顔をしてたのか……。確かに、大切なものがたくさんあるのに、なぜか死ぬしかないと思っていた。藤田君や田畑さんは相談すればちゃんと解決策を一緒に考えてくれる人と知っていたはずなのに。
「北原さんに聞いたところで知らないって言われるだろうし、こっちで証拠を見つけ出してからじゃないと聞けないかなって」
なるほど……。
「あの招き猫の中にいた不気味な人形って一体何のためのものなんですか? 単なる愉快犯ですか?」
「……錬金術師たちの間での噂なんだけど、自殺なり他殺なりで人を死に追いやって、その遺体から想いを回収しているんじゃないかって言われてるよ」
「死んだ人の想い、ですか?」
「俺がいつも人の心は詠めないって言うでしょ。あれは冗談ではなくって、生きている者の内にある心や想いは詠むことができないんだ。だけど、その人が死んだ直後の遺体からは生前の想いを詠むことができるらしい」
「……それは、遺体はもう『物質』になってしまうからでしょうか」
「俺もそうじゃないかなって思ってる。でも、もしその人の一生分の想いが詠める者がいたとしたら……」
「結晶の材料に……?」
遥は微かに頷いた。
そうだ、一つ気になっていたことがあった。
「あの結晶って、どのくらいの価値があるんですか」
「……幻想結晶一グラムは金一グラム、が大体の相場だよ」
あの満月の夜に拾ったものは、一粒で一円玉ほどの重さだっただろうか。
「結構高額なものなんですね」
遥が就職しなくても食っていけると言ってのけるだけはある。
「それでは病院や斎場などには幻想錬金術師が入り浸るのでは……」
「いや、そういうわけでもないんだ。俊郎さん、俺が詠んだ後に体調が悪くなっているところを何度か見てるでしょ」
「えぇ」
今日は一番の危機的状況なところを見てしまった。
「人間の一生分の想いをまとめて詠んだとしたら、俺のほうが死んじゃうよ。あの招き猫に入っていた憎悪だけでも正直ヤバいかもって思って、中和剤を使ったんだ」
この人事部の部屋を埋め尽くすほどの黒い煙を消してしまったのは、そういう事だったのか。どうやら「詠む」という行為は、幻想錬金術師にとっては諸刃の剣でもあるようだ。
「人の一生分の想いを詠める者かぁ……いるのかな……」
自分が言った言葉を否定するように、遥は首を横に振った。
「それから、北原さんの殺気。ああいう溢れだしたものなら生きている者からでも詠めるんだけど、詠まれるほうは悪寒や、皮膚を剥がされるように痛むとかで、かなり辛いんだって」
……それは相当な苦痛なのでは。
「あの時、遥君が北原さんに『ごめんね』と言っていたのはそういう事だったんですか」
「うん。……俊郎さんの『死にたい』という想いは、満月の結晶で作ったお守りで中和したけど、北原さんの時は緊急事態だったから仕方がなく……ね」
中和剤は招き猫を詠む際、指示通りに全部撒いてしまった。
それでも辛そうな状態だったのに北原さんの殺気を詠み、最後の仕上げであの人形を詠んだのか。何かあったら親御さんに申し訳がたたないじゃないか。
「あの人形から出てきた女性の姿については、何か解ったんですか?」
「北原さんが招き猫をもらった人物に似ていると言ってたから、多分あれを北原さんに手渡した人物の姿だろうね。……詳しい素性はさっぱり分からないけど」
「そうですか……」
「詠んだ時にあんな人の姿をしたものが出て来るなんて初めてだから、超びっくりしたけどね!」
そう言って苦笑する。
縁切りの招き猫については、ネット上に既に噂がある以上、他にもその存在が確認されているということだし、今も作った本人が存在している可能性もある。
「あの女、一体何者なんだろ」
「何か手がかりになりそうなものは?」
「噂しかなかったことを考えると、今回のことは全部手がかりになりそうだよ」
デスクに置いてあるあの人形は、近くで見ると一層不気味だ。
人の顔の様にもみえる三つの点に、胴体と思しき部分に真っ赤な心臓のようなものが入っている。
「この人形は危険すぎる……。後で解体して機構を調べてみるか」
「そんなことできるんですか」
「もっと具体的な手掛かりになるんじゃないかな……。そのうち俺が改造して人の役に立つことに使ってやるよ」
……頼もしい子だな。
最初は藁にもすがるような思いだったが、今は改めてその存在に感謝している。
「藁を掴んでみたら大木だったでしょ」
遥がニヤリと笑う。
「君は本当は心が詠めるんじゃないですか?」
「詠めないって、さっきも言ったじゃん」
「ま、まぁ改めてお礼を言いますよ。本当にありがとう。そうだ、今度飲みに行きませんか? 今日の打ち上げしましょう」
「ぶぶー、俺まだ四歳児だからむーりー」
「あ。そうでした。どちらにしても未成年でしたね」
「それよりも今日の午後のタスク何一つ終わってないじゃん。残業だよ!」
そうだった。なんだかんだで後処理に追われて、午後のタスクは何も終わっていないまま。
「さて、食べたら仕事にかかりましょう」
「そうそう。美味しいハンバーグが冷めないうちに食べなきゃ!」
遥についてだが、今後もアルバイトとしてしばらく残ってくれるようお願いしたものの「北原さんの手前居づらい」と大いに渋られた。
直後、業務のために表示した私の給与明細の残業時間と残業代に眩暈を起こし、普通のアルバイトとして人事部に残ってくれることになった。
発端はどこの企業にでも起こりうるトラブルからだった。今回はそれに付け入られる形で大変な事件になるところを遥に救われた。
いつでもどこにでも起こりうるからこそ、再発防止に努めなくてはならないと肝に銘じよう。
後日、吉崎さんからは健康な女の子を出産したという報せがはいった。彼女を一番心配していたであろう北原さんは、すぐに病院に駆けつけたそうだ。
抜け殻になった招き猫は、同じ過ちを繰り返さないためのシンボルとして再び私のデスクに鎮座している。
* * * * * * * * * *
駒から吉報を待ちながら、次の計画の瞑想をしていた。でも、通信機からの知らせはアラート音。
「……何事?」
駒からの幻想波の状態を示すランプの緑色が消え、赤が点灯した。
研究を引き継ぎ、苦労して集めた結晶をつぎ込んで作った駒……そのうちの一つが壊れたらしい。
古いものだ。仕方がない。
あたしにあの力さえあれば。
人の想いは、人の物以外の何物でもない。
あんなに素晴らしいエネルギーをどうして想叶者などに……。
あたしはまた吉報を待ちながら瞑想をする……。
流れては消えるものを、いつか……
(第二章へ続く)
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