エッセンドルフ公国秘宝展

「結果は大成功ね。加藤さんまで動員してたのね」

「ああ、甘いものは大好きやそうや」


 それでわざわざ愛媛から大阪までツーリングしてきたのか。ま、


『カトちゃんと行く、スウィート聖地巡りツーリング』


 てな企画で番組作ってたから、ちゃっかりしてるよ。さすがは大阪人だ。次なる仕掛けだけど、


「エッセンドルフや」


 エッセンドルフと日本の関係はずっと薄い薄いものだったけど、ユリの事件で関係を深める方向になってるのよ。


「あれも大変やった」


 乗り気でない両国の尻を叩きまくったものね。その甲斐あって、皇太子殿下御夫妻の欧州訪問の時に立ち寄ることになったんだ。この時はオーストリアからスイスを歴訪する予定だったけど、エッセンドルフにも途中下車したぐらいかな。


 皇室外交になるけど、こういうものは訪問の答礼がセットになるのが慣例。もっともセット言いながら、必ずしもすぐとは言えない。日本なら皇室、エッセンドルフなら公室になるけど、ホイホイと気軽に出かけられる物じゃない。


 両国のスケジュール調整もあるし、小さくとも一国の元首の訪問だから準備だって必要。それでも早い時期に答礼訪問をした方が、礼儀に適うというのもあるし、それだけ親善を深めようとしている姿勢を示すぐらいはある。


「えらい早かったな」


 なのよね。おそらく皇太子殿下御夫妻訪問の時から、訪日のすり合わせは始まっていたはず。ひょっとするとその前からかもしれない。


「ハインリッヒ公爵は外交でポイントを稼ぐ算段やろな」


 それはあるかもね。ハインリッヒ公爵はウィーニスの失脚によってタナボタで公爵位に就いたぐらいに見られている面があるし、国内の基盤も確固たるものじゃない。かなり異例なケースだからね。


 こういう時には実績を見せて求心力を得ようとするのが常套手段だけど、その中に外交を使うのはある。外交と言っても手荒いのもあって外征まで含むけど、小国だしそもそも永世中立宣言国。


 さらに外交もスイスに委任しているぐらいで、EUどころか国連にも加盟してないのよね。それで済んじゃう国と言えばそれまでだけど、外交で成果と言っても、動ける余地がそもそも少ないぐらい。


 日本とエッセンドルフの関係は薄いけど、他のアジアどころかアフリカや中南米の国とも薄い。あれこれ他にも理由はあると思うけど、ごくシンプルには貿易相手国だけ付き合ってると見れないこともない。


 エッセンドルフの投資金融活動はワールドワイドだけど、物品の貿易は周辺諸国、広げても欧州ぐらい。国の規模も小さいから、余計な関係は深める気もないぐらいの方針かもしれない。


「だから日本ちゃうか」


 アジアなら中国もあるけど、あの国との交流はややこしいところがある。すぐに政治に絡めるし、隙あれば経済進出を狙ってくる。それに比べると日本は無難で大人しい国。GDPでは中国に抜かれたとは言え極東の経済大国だもの。


 大国と関係を深めたとの外交実績のアピールに使えると言えば使えそう。観光客を招き入れるのだって、日本人の方が大人しいし、マナーも良いのも定評だものね。もっと言えば、関係を深めて損な国ではないぐらいかな。


「ほいでも気合入ってるで」


 あれにはビックリした。親善を深めるためにはお土産が効果的なのだけど、さすがに貢物の時代じゃない。もっとも実質的な貢物なっているのは話がややこしくなるから置いとく。現代のお土産でよく行われるのは美術展とか、秘宝展が多いかな。国の至宝を見てもらって、国の知名度を上げるぐらい。


 そう言う点ではエッセンドルフ公爵家は打って付け。欧州でも有数の富豪で、美術品蒐集でも知る人ぞ知るって感じ。もっともあれだけ集めているのもポートフォリオの一環のドライなとこもあるけどね。


「それでもやで、アンギアーリの戦いやで」


 これはメディチ家を追放したフィレンツエ共和国政府が、パラッツォ・ヴェッキオの大評議会広間の壁に描かせたものだけど、向かい合う壁に世紀の天才ミケランジェロとダ・ビンチが起用されてるんだよ。


 ミケランジェロはカッシーナの戦いを描き、ダ・ビンチがアンギアーリの戦いを描くのだけど、結局二つとも完成にはなっていないんだ。でも未完であっても出来栄えは素晴らしく飾られてたのだけど、今は両方とも失われてしまっている。


「その下絵をエッセンドルフ家は持っとってんやな」


 ダ・ビンチは壁に下絵を描き、軍旗争奪の場面を描いているのは、多くの模写が残されているので事実なのよ。この絵は後にヴァザーリが上書きして完全に失われとされてるけど、


「ヴァザーリは上書きせんと、残し取るの説もあるけど、そこら辺は歴史ロマンや」


 当時の壁画と言えばフレスコ画だったのよ。これは漆喰を塗って乾くまでに顔料で描く技法だけど、これでは使う色も限られ、重ね塗りも出来ず、描き直しも出来ない上に漆喰が乾くまでの間しか作業時間がなかったんだよね。


 だからダ・ビンチはあの最後の晩餐を描く時にテンペラ画を用いてるの。これなら、作業時間は無制限だし、使える色も増え、重ね塗りも可能だから。


「そやけど大失敗やってんよな。ダ・ビンチが生きてる間に顔料が剥げ剥げになってもとる」


 そこでダ・ビンチはアンギアーリの戦いの時に油絵を使ってる。ところが、


「さすがのダ・ビンチも油絵の壁画は手強かったみたいで失敗しとる」


 表面の絵具が流れ出し、上部の色が混じり合ってしまい、ダ・ビンチはその修復をあきらめて去って行ったとなってるの。失敗はしたものの、実験的手法であるが故に、本番前にテストを繰り返しているのはわかってる。


 これは板絵に行われたのはわかっているけど、実際の壁にも試みていたって話が残っているのよね。もちろん同じスケールじゃなくミニチュア版でね。これは彩色もされてるけど、壁を剥がしてエッセンドルフ家に伝わっているとの伝説が美術界には昔からあったのよ。


「東京と大阪で開かれる秘宝展でお目にかかれるんよ」


 さすがはダ・ビンチの威力で公開前から話題沸騰で、アンギアーリの戦いの絵の行方も含めての特集番組が放映され、関連書籍が売れまくってるもの。そりゃ、誰も見たことがないから興味津々になるよね。


「同時に国の名前さえ知らんかったエッセンドルフ公国の知名度は爆上がりや」


 日本との親善で最高のお土産になるのは間違いない。知恵者がいるものだよ。この秘宝展なんだけど、大阪に来る時にハインリッヒ公爵もやってくる。ずっと大阪にいるわけじゃなく、定番の京都・奈良も回るのだけど、


「本来なら泊まるのはプレデンシャル・ホテルになるはずや」


 今の大阪なら順当だけど、ここで燻ってるのがコトリが仕掛けた前哨戦の余波であるナガトのゴースト・パティシエ疑惑になる。もしかして、ダ・ビンチを日本に持ち込ませたのも、


「さすがにそれはあらへん」


 ホントかな。それはともかく、水面下で公爵御一行様が大阪で泊まる宿が問題になってるのよね。


「プレデンシャル・ホテルがどうするかや」


 国賓である公爵を泊める事は、大阪一の格式を守るためにも譲れないはず。こういうものは一度譲ると先例になって、今後の国賓とか公賓の宿泊先の選定から外れてしまうことも、しばしばあるからね。


「とりあえず昼飯はマイのとこや」


 日本にいるから和食も出すとなれば、マイのとこ以外は、まず考えられないもの。プレデンシャル・ホテルでネックになってるのはパティシエ問題だから、トカゲの尻尾切りはあるかもね。


「そうはすんなりいかんやろ」


 だろうね。ナガトもここでクビを切られようものなら、ゴースト・パティシエ疑惑の裏付けになって、二度と立ち直れないぐらいのダメージを受けるのは確実だものね。


「だから巻き返しにくるはずや」


 当然そうなるか。さすがはコトリだ。前哨戦だけなら、人の噂も七十五日作戦で逃げ切れるかもしれないけど、ここに公爵宿泊問題が絡めば、待つ戦略が使えなくなる。だから前哨戦にあれほど役者をそろえたのか、


「追いつめられたら、人のやる事なんか決まっとる」


 名誉回復を図るはず。そのためにはアクションが必要になるけど、やりそうな事は、


「菊霞会か!」


 菊霞会は、元華族の霞会館と元皇族の菊栄親睦会の連絡組織みたいなもの。ここは皇室にもつながりがあるから、ここでお墨付を得ようとするはず。


「さすがに菊霞会は無理やろ」


 さすがにね。ならやりそうな事は。


「前哨戦で外堀も内堀も埋めたった。女の夢であるスウィートを穢した恨みを思い知れ」


 そうだった。コトリの食い物の恨みは怖かったんだ。

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