第1話 

高2の夏。アブラゼミがけたたましく鳴き始める頃合い。

俺、桐島勇磨(きりしまゆうま)は父親の転勤で都内の高校に転校してきた。転校先は毎年、東大生を多く排出する有名進学校。編入試験がとにかく大変だった。


「関西の方から来ました。桐島勇磨と申します。皆さん、俺と友達になってください‼」


転校初日。教室が暖かい笑い声で包まれる。いい感じに自己紹介が終わり、先生が指定した席に腰を下ろす。

「よろしくお願いします」


一応、お隣さんにもご挨拶。


「——」


ガン無視。相手は女子。どこか物憂げな表情で窓の外を眺め続ける。

横顔を見るに、かなり顔面偏差値が高め。切れ長な瞳が特徴的で、気が強そう。気安く関わろうとすると、鋭利な刃物で八つ裂きにしそうな殺気を感じる。彼女の第一印象はあまりよろしくない。


「あの、俺は——」

「おい、あんま関わろうとすんな」


再度、ご挨拶しようと試みたが近くの男子に止められる。


「アイツは訳アリだ。変に関わるとろくなことにならん」

「そ、そうなんだ……」


隣の女子はビクッと背筋を伸ばす。そして、気まずそうに窓の外から視線を外し、机に突っ伏す。

一時間目の授業が始まっても、彼女は突っ伏したまま動かなかった。


◇◇◇


一日、無事に何事もなく終わった。放課後は学校案内ということで教室に残るよう先生に言われた。案内役はクラスのカースト上位に君臨する学級委員長、水野風夏。ギャルっぽい見た目だが、根は真面目で頭脳明晰らしい。彼女は別の仕事を終わらせてから教室に来るようだ。


「ハァ……」


束の間の休息。椅子の背もたれを使いグッと背伸び。慣れない環境で一日過ごすのは身も心も疲弊する。

帰ったら、すぐに寝よう。

晩御飯も風呂も全部後回しだ。


「ん?」


ふと、窓の外に視線を移す。視界の先にはたった一人でグランドを走る女子の姿。

なんとなく、その子のことを目で追う。


「こんな暑い中、よく頑張るな……」


今日は猛暑。歩くだけで、全身から生暖かい汗がダラダラと流れる。新品のワイシャツがべちょべちょだ。


「そういや、あの子って——」


目で追い始めてから暫くして、彼女の正体に気づく。確かお隣の席の無愛想な女子だ。目を細めると、顔がハッキリ見える。


「可愛い……」


風で靡く琥珀色のワンレンボブ。髪色と同色に輝く切れ長の瞳。綺麗に整えられた柳眉。鼻梁の通った顔立ち。程よく割れた腹筋。スパッツ越しからでも分かる引き締まった脚の筋肉。走る度に上下に揺れる豊満な胸——。これを見て欲情しない男がどこにいようか。


「スゲー」


素人目でも分かる綺麗なフォーム。体の軸が真っ直ぐで、全く重心がブレない。自分の胸を変に気にした女子特有の走法ではない。あれは足が速い人の走り方だ。


「うひぉ~」


俺はすっかり彼女の魅力に釘付け。窓に顔を擦りつけ、彼女の走り姿を目で追う。勿論、目はギンギンだ。


「えっろ」


こう素直に感想を漏らすのも無理はない。

彼女の額には玉の汗。紺のスパッツ、紫のTシャツに汗が滲み所々、色が濃くなっている(視力1.5 )。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ——」


耳を澄ませば、荒い息遣いがテンポよく聞こえる。

やたらと艶かしい。彼女が走った場所には汗の匂いとともにフローラルな香りも漂ってそう。クンクンしたい(キモイ)。


「桐島クン。そこで何やってんの?」


ガラガラと教室の扉が開く音。

タイミング悪く、委員長が入ってきた。せっかくいい所だったのに。


「な、なんでもないです‼」

「グランドになんかいた?」

「いや、いないとも言い切れないというか……」


ダメだ。理性が暴走して誤魔化し切れない。思考回路がバグって、まともな日本語が喋れない。

委員長は訝しげに窓の外を見る。


「——ああ、あの子」

「うん?」


彼女を見るなり、クッと眉をひそめる。


「もしかしてあの子、狙ってんの?」

「狙っているといいますか、なんといいますか……」


あからさまに言葉を濁らす。

ああ、そうですよ。本当は狙ってます。一瞬で好きになりました。始めて女の子に一目惚れしました――と言える雰囲気ではなそうだ。


「やめときな」

「——ハイ?」


頭の中が彼女のことで、いっぱいになりかけたその時。委員長のその一言で現実へ引き戻される。


「アイツは弱い者をいじめる性悪女だ」

「えっ……」


一気に熱が冷める。先程までのにやけ顔も元に戻る。

一体、それはどういうことだ——?









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