疑念とくちづけ

 総督の邸を出た後、隠し港に寄って、マーティン達にドルフの件を伝え、アレックスが娼館に戻ったのはそろそろ日が傾きかけた頃だった。

 門番のかわりに不機嫌な顔のランスが入口の飾り柵の前で立っている。


「誰にも言わず、どこに行っていたんだ!」


「レジーナの様子を見るのと、総督に礼を言いに本島に行って来ただけだ」


「行き先ぐらい誰かに告げていけ」


「ガキじゃないんだ。泊まりでもないし別に必要ないだろ」


 彼と目を合わせる事が出来ず、横をすり抜けて娼館の中に入ろうとすると腕を引っ張られ、縫い止められるように背中を壁に押しつけられた。

 威圧の伴う拘束は恐ろしい。

 瞳孔が開き、呼吸が乱れる。短く何度も息を吐き出しながら見上げると、ランスは皮肉げに口元を歪める。


「話は終わってない。あんた、自分が狙われている自覚はあるのか? それが彼女のいる場所にいく? まるで詰め物をした鳥だな。そんなに餌になりたいのか?」


「……軽率だったのは認める! すまなかった! 頼む、手を離してくれ!」


 目の前が揺れて、心臓が荒く拍を刻む。

 ともかく解放されたくておざなりに謝罪したが、ランスはその手を離してくれなかった。


「本当に、心配したんだ。探しに行こうとしたら止められたから、ずっとここで待っていた」


「悪かった……本当に申し訳なかったと思う。お前が正しいよ。な、だから離してくれ……たのむ……」


 声の震えと口調でアレックスの異常に気付いたらしい。弾かれたように腕を押さえていた手が離れ、アレックスは地面にへたり込んだ。


「すまない。怖がらせるつもりはなかった」


 遠慮するかのようにそろそろと助け起こされ、ランスの前に立つと彼は頭を下げて、そのまま俯いた。


「ただ、本当に、心配だったんだ。また居なくなってしまったら、あの男に殺されてたらどうしようって」


 下がった眉も丸められた肩も、いつものふてぶてしさからは考えられないほど心細げだ。これの前に見せた顔が拷問吏の表情だっただけに差異が激しい。


「心配かけたな。悪かった」


 その態度から決定的な危害は加えてこない、彼は自分の事を心配してくれている。と感じ取れて、本心からの謝罪がすとんと口から出た。


「これが片付くまでは行き先はちゃんと言うし、なるべくお前に心配かけないようにするから」


「そうして欲しい」


「ところで、レジーナ様はどうだった?」


 いつもの雰囲気に戻り、娼館の門を潜って前庭を歩きながら雑談のように尋ねられてアレックスは肩の力を抜いた。


「元気だったよ。そういえばお前、苺が嫌いなんだって?」


「あ……? ああ。苺だけは苦手で。どうしても飲み込めない。だが、なんでそんな話になったんだ?」


「新大陸で栽培に成功したそうで、総督の所で女王のスポンジと苺のタルトが出たんだ。ジーナが食べようとしなかったから聞いたら、お前が食べられないから食べた事ないって話になって」


「……食べたのか?」


「え?!」


「……様は食べたのか?」


 地を這うような声で尋ねられ、アレックスは困惑しながら頷いた。


「やっぱりまずかったか? 食べると具合が悪くなるとかそういうのだったのか?」


「いや……だけど……苺は毒だから……死んでしまう」


 喉を押さえてしゃがみながら、ぶつぶつと呟くランスの様子にアレックスは不安を覚えた。


「苺が毒? 確かに毒のあるやつもあるが、総督のところだぞ。そこら辺はキチッとしてるさ」


「ちょっと行ってくる」


「は?! どこに? 総督のところか? 何言ってるんだ」


 突然立ち上がったランスをアレックスは引き留める。もう黄昏時も終わろうとしている時間だ。わざわざ総督の元を訪ねる時間でもない。


「無事か確かめないと……」


「大丈夫だよ。俺も総督も同じ物を食べてる。毒が入ってるなら俺はもうとっくに倒れてる」


「あなたも食べたのか?! 吐け! 吐き出せ!」


 ものすごい力で背中から抱えるように抱きしめられて、口の中に太い指が差し込まれる。

 喉の奥にそれを突っ込まれそうになる寸前、アレックスはその指に噛み付きながら、肘を無防備になった男の腹に叩き込んだ。


「なにをする!」


 口の中にじんわりとランスの血の味が漂っている。だが、かなり深く噛んだはずの指を気にする様子もなく再び地面にへたり込んだ青年は中空に視線を漂わせ、唇を震わせていて明らかに様子がおかしい。


「ランス! しゃんとしろ!」


 頬を挟むように両側から叩くとはぐれた子供のような視線と目が合った。


「中に入って手当てしよう。立つんだ」


 のろのろと言われたままに立ち上がるランスの腕を引いて中に入る。


「俺は体が弱っているから、もしも毒の苺ならもう倒れてる。毒は入ってなかった。分かるか?」


 がくん、とランスの頭が下に振れる。そのまま俯いて声も発しない男をサロンの片隅の椅子に座らせて、噛んだ傷の手当てをし、温めたモラセス酒に湯とバターと砂糖を加えた物を持ってきてやる。


「とりあえずこれを飲め。温かい物を取ると落ち着くから」


 優しく言うがランスは動かなかった。呆然と座っているだけだ。


「毒は入ってないぞ」


 冗談めかして一口飲んでみせ、大きめのカップを支えながら持たせて口元に持っていく。

 ごくり、と喉が鳴ってそれを飲み込んだのを確認してから手を離すと、ランスは二口、三口と自力でそれを飲みこんで、テーブルにカップを置いた。

 向かいに座ってしばらく待つと、ようやく落ち着いたのか少し人間らしい表情が戻ってきていた。


「もう、大丈夫だな」


 長い沈黙の後、常になく小さな声でランスが言った。


「すまない。取り乱してしまった」


「誰にでもそういうことはある。気にするな。だが、お前に苺を出すのはやめておくよ」


 冗談めかして言うと、ランスの口角がほんの少し下がった。


「その……出来たら食べないで欲しい。昔、偽苺を食べて死にかけた。それからは親しい人が食べるのを見るのも聞くのも耐えられない。元々は好物だったんだが……」


 言いづらそうに告げられたその言葉にアレックスは呻いた。

 ようやく見つけた別人かもしれないという根拠はあっさりと消え去った。

 逃げるわけにはいかない。

 アレックスは覚悟を決めて、ランスに問いかけた。


「それは、ユリアと一緒に毒を盛られたからか? ケイン。お前、ケインだろ……。私が誰か分かるな。エリアスだ。倒れた時に名前を呼んでくれたのは、リヒャルトじゃなくてお前だろ」


 娘と同じ顔をした少女がケーキを食べたと聞いた時の取り乱した様はそれしか考えられない。

 ケインと呼ばれた瞬間、ランスの眉が動き視線が泳ぐ。だが他の人間が見たら気が付かないほどの短時間でそれはいつもの鉄面皮に覆われてしまった。


「違う」


 そして、拍子抜けするほどあっさりと淡々とした口調でランスはそれを否定した。


「ランス・フォスターと名乗っただろう。だが、ケインという名の愚かな子供がどうなったかは知っている。その子とユリア姫は毒を盛られて、姫君は亡くなった。奴はそれを王の仕業だと思い込んで逆上し、私室に押し入って返り討ちにあった。激昂した王は死体をノーザンバラから贈られた狼犬に食わせたそうだ」


「なんで、お前がそんな事を知っているんだ?」


「赤狼団」


 短く言われた言葉に眉根が寄る。


「赤狼団?」


「アレの愚行を知ったシュミットメイヤーの一族は騎士爵を含む全ての爵位を返上して彼らの権利と地位を全て手放し、傭兵団として身を立てる選択をした。その潔さを評価した王は彼らをメルシア王国の尖兵として抱える温情を見せ、償いの場を与えた。それが赤狼団の成り立ちだ。俺はあの一門だから事情を知っている」


 確かに理屈は通っている。彼がシュミットメイヤーの一門、ケインの親戚筋であるなら顔も似通っているだろう。前に話を聞いた時に違和感を覚えた、赤狼団に『』という言葉の筋も通る。

 だが、苺を食べた話の反応を鑑みると素直にそれを受け取るわけにはいかない。

 疑いの目を向けるとランスは鼻で笑った。


「考えてもみろ。俺がケインだったとして、自分に毒を盛った女を抱いて、駆け落ちまで出来るか? あんたはそんな相手に勃つのか」


「待て……! イリーナがユリアとケインに毒を盛ったのか」


「残念ながら、証拠はないさ。それよりも俺の質問に答えろよ」


 言い淀んで、アレックスは彼が前に不始末をおこして没落したという事を口走っていた事を思い出した。


「前に子供だったが、不始末を償うために前線に出たと言ってただろ。それがこれじゃないのか? ケイン」


 ぐっと身を乗り出すと小さくのけ反った青年はため息を落とす。


「しつこいな。どうしても生きていると思いこみたいんだな。ケインは死んだよ。あんたと同じように」


 そして、何か思いついたように立ち上がったランスはアレックスの隣に立つとその顎を持ち上げ顔を傾ける。

 虚をつかれているうちに顔が近づき、肉感的な唇がアレックスの薄い唇に重なった。


「なっ…!!」


 唇を喰まれ、驚きで半開きになった口腔に舌が侵入してくる。慌てて身を引こうとしたが、いつの間にか頭を抱えられて身動きが取れない。


「……っ! や……め」


 言葉も紡ぐ余裕もないほど激しく口内を犯され、舌で遍く愛撫される。ほんのりと感じるのは先程渡した酒の糖蜜の甘みだ。

 男娼として体を売るなかで数多くの相手とキスをしたが、その中でも抜群に巧みなくちづけに身体が蕩ける。

 拒絶しよう突っ張った腕の力も、踏み締めた足の力も抜けて、アレックスはランスにその身を預けた。

 唾液が口の端から滴るほど長い時間蹂躙され、息が上がった状態でとろりと溶けた目を開けると、嘲笑とも自嘲ともつかない表情でランスはアレックスを見下ろしていた。


「義父親と、こんな事が出来るか? あんたが望むならこの先だって出来る」


「結構だ」


 手の甲で唇を拭ったアレックスは立ち上がった。


「ちょっと頭を冷やしてくる。後で今日得た情報を教えて欲しい。討伐の計画を立てないと。それまでにお前も冷静になってくれ」


「冷静だよ」


 目の端を赤く染めて無意識に唇を指で弄びながらサロンを出るアレックスの背中を見送ったランスは崩れ落ちるように椅子に座り、すっかり冷めた酒を飲み干して頭を抱えた。


「俺は何をやってるんだ……」

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