第22話 sense of loss 3

 王子は表向きには病気ということで公務を休んでいるが、事故があったのは王宮図書館だ。緘口令は敷かれたものの、公の場だけに噂は密やかにそして迅速に広がった。

 

 フェリシエルといて王子が命を狙われたのは二度目だ。彼女の立場は悪くなるかに見えたが、三日後に一命をとりとめ意識を取り戻した王子が、二人でいるところを何者かに襲撃されたと証言し、事なきを得た。


 しかし、取調官ハイネスのフェリシエルに対する心証は真っ黒だろう。王妃派が、彼女の落ち度を探そうと躍起になっているとも聞く。父ネルソンの命令で、事実上の自宅軟禁となった。フェリシエルに王族に仕える者として王子を守れなかった罰を与えたわけではなく。王子だけではなく娘の命も狙われているのではないかと危惧したからだ。ファンネル家はフェリシエルの安全を優先した。



 王立図書館では、魔法の使用は禁止になっている。昔、旧王族が図書館で火魔法を放ち、希少な本を焼失してしまったこともあり、魔法が発動すれば、司書がわかるよう結界が張られている。この国では司書の地位は図書館内では王族に準じ、時にはそれ以上となるのだ。


 今回その結界に反応があった。何者かが魔法を使ったのだ。当然それには罰則があり、犯人を捜しているのだが、怪しい目撃情報はない。倒れた本棚の固定部分は何者かに破壊されていた。

 これは暗殺未遂事件だ。


 このままでは、王子と結婚どころか、その前に彼ともども娘が殺されかねない。状況を打開すべく父と兄が奮闘し、血眼になって犯人をさがしている。そして母も王族と非公式に会い、フェリシエルが今回の件でどれだけ心を痛めているかを積極的に訴えた。彼女に罪はないと。


 フェリシエルはというと、屋敷の庭園でお茶を飲んでいた。もちろん王子が一命をとりとめたと聞くまでは、さすがの彼女も一睡もできなかった。

 だからといって彼を愛することはない。ただ……思っていたよりも、彼を頼りにしていたことに気づいた。心のどこかで王子の存在が支えになっていたのだ。


 それに庇われたことがショックだった。彼はフェリシエルとは違い、この国にとって唯一無二の存在だ。他の王子に国王など務まるはずもない。フェリシエルは自分と同い年の第二王子エルウィンが大嫌いだ。もし、リュカの身に何かあったら大変だ。暗愚な王が二代も続けば、最悪国が傾くかもしれない。

 

 人化せずにハムスターのままだったら、簡単に逃げおおせたものを……。夜の湖上で「お前がけがをしても私は無傷だからな」と暴言を吐いていたのは、いったいどこの誰なのか。「だから、お前が嫌いだ」と言ったくせに。


「みゃあ」


 愛らしい鳴き声に驚いて振り返ると、いなくなったミイシャそっくりの猫がいた。ただその猫はミイシャよりも少し大きい。


「え? ミイシャ? ミイシャなの」


 フェリシエルは抱き上げた。


「あなたは本当に猫なの? ただの猫なのよね?」


 だが、毛足の長いもふもふ猫はみゃあみゃあとフェリシエルの腕の中でなくばかり。柔らかい肉球に触れた。


「フェリシエル、大丈夫かお前?」


 シャルルが心配そうに声をかける。どうやら、心配して妹の様子を見に来たようだ。フェリシエルに自覚はないが、事件後一週間で彼女はすっかり痩せて、やつれていた。


「猫にそのような事を聞くなど、部屋で寝ていた方が良いのではないか? それとも医者を呼ぼうか?」

「あの、お兄様、この子、ミイシャだと思います?」



 兄は珍しくまなじりを下げて、彼女に優しく微笑む。いくら気丈だとはいっても、フェリシエルはまだ15歳の少女なのだ。毒入りフィナンシュ事件にノルド領での襲撃事件、立て続けに怖い思いをしている。


「そうなんじゃないのか? お前になついているようだし、正直私には猫は皆同じにみえる」


 しかし、この猫は前につけてやった首輪をしていない。本当にミイシャではなく、ただの迷い猫なのだろうか。それにしても、よく似ている。猫は夕方になるとまたふらりと出て行った。





 その晩、こつんこつんと窓を叩く音がした。今夜は新月ではない。殿下は床に臥せっているはずだ。フェリシエルはこわごわとカーテンを開ける。サテンシルバーの影。


「殿下!」


 フェリシエルは素早く窓を開け、抱き上げて頬ずりをしようとした。


「ぐぬぬ」


 ハムスターが苦し気なうめきを上げる。


「けがが痛むのですか?」


 手の中で丸くなっている。心なしか苦しそうだ。

 

 あの出血量でよく助かったものだ。王子が助け出されたとき、茫然自失の状態でフェリシエルはペタンと血だまりに座り込んでいた。あのとき緊急を要し、数百年ぶりに図書館での魔法が解禁されたのだ。


 魔法により速やかに書架がどかされた。彼は駆けつけてきた治癒師たちに囲まれ、その場で治療を受けた。そのとき、王子の半身は血にまみれ、もう助からないかと思うほど……。優しく抱き上げたハムスターの四肢を見ると欠損はなく無事なようだ。


「しばらくの間、この部屋で休ませてくれ」


 フェリシエルはサテンシルバー専用の天蓋付きベッドに慎重に入れた。


「城は少し危険でな。それにこの姿の方が傷の治りがはやいのだ」


 そういいながら、ふかふかのベッドに丸くなった。小さく震えているようで、フェリシエルはそっと撫でてやった。すると気持ちよさそうにハムスターが目を細める。


「ここまで来るの大変じゃないですか? 私が城まで迎えに行きましたのに」

「公爵家へは近道があるので問題ない。それに危険だ。城には来るな。今回命を狙われたのはお前だ」

「え?」

「私が、図書館に入るのを見た者はいない。すでにこの姿であったからな」


 そんなこと考えてもいなかった。


「どうしても、この結婚を阻止したい者がいるのだろう」

「それで殿下はどのようにお考えで……っと、あの、今日はもうお休みくださいね。それと……申し訳ございません。私のせいです。本来ならば、私が殿下をお守りしなければならないのに……」


 いつものは憎たらしいくらいの王子が本当に弱っている。こんな彼は初めてだ。意図せずフェリシエルの青い瞳からポタリポタリと透明な雫が落ちる。


「あれ、私、どうしちゃったんだろう……」

「ふん、お前に守られるほど非力ではない。お休み、フェリシエル」

 

 ハムスターは丸くなり、宝石のように綺麗な青紫の瞳を閉じた。

 フェリシエルは、大きな砂時計をひっくり返した。さらさらと砂はこぼれ、静かな夜を刻み始める。





 次の日、目を覚ますと王族ハムスターはベッドからいなくなっていた。無事城まで戻れたのだろうかと心配していると、カラカラと軽快な音が頭上から響いてきた。


 見上げると、鳥かごの中で回し車に入り、嬉々としてとっとこ疾走するハムスターがいた。サテンシルバーのニクイやつ。最高にキュートでもふもふな王子の復活である。



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