恵比寿の孫娘!?暮時・神流の逢魔時終末ファンタジー

テンユウ

序章 恵比寿とぬらりひょんの半妖

一節 逢魔と宝船の大屋敷

海より流れ着き、影をまとう者――

神の血を引くぬらりひょんの半妖、彼の前に現れるは神か、仏か


幾重にも連なる襖の先――


その場は闇と光がとろけ合う異界の奥座敷。淡い障子越しの光が何層にも折り重なる"逢魔時"の深みに、青年は迷いなく一歩を踏み入れた。


異形の妖怪や人の子らが酒や食事を運んでいる。だが誰も彼に視線を向けることはない。


空間に馴染まぬその異彩。袖口から覗くのは怪しげな札の束。巨大な影を引きずるその男を、誰もが当然のものと見て流す。


青年が歩むたび、足音に呼応して同じ意匠の札が宙を舞った。札は壁や襖にひらひらと張り付き溶け消えていく。


宙をまう札にぶつかり、引きずる影の塊に躓こうと誰もそれを気にしない。


逢魔時の宿場町、古くからある【宝船航空海運】の所有する大屋敷、その奥の間に七福神が集っていた。


あちらとこちらを区切るのは襖の縁一つ、それで文字通り世界が変わる。


そこは地平線が見えるほど開け放たれ、天井高き客間には、いくつもの屋形船が浮きそれらをつなぐ渡し橋がかけられていた。


生臭い磯の香に七福神の一柱が眉をひそめて乱入者を見たかと思えば、その正体に目を輝かせる。


「小僧、良い物を持ってきたじゃねぇか勇魚大河豚(いさみおおふぐ)とは縁起が良い」


青年が引きずる影の正体、それは巨大な河豚であった。


ひと呼吸おいて、場がにわかに色めき立つ。


「これは毘沙門天(七福神)様、縁起物が手に入りましたのでお客様に振るわなければと思いまして」


20メートルはあろうかという巨大河豚。そしてそれを繋ぐ鎖の先を持って現れた乱入者こそぬらりひょんの半妖、客神・輸貴(きゃくしん・ゆたか)である。


「おやめください若旦那様!」


3メートルはある一つ目入道と成人男性ほどの海猩々が、スーツが汚れるのも気にせず輸貴(ゆたか)を抑えにかかる。


「分かっておられるのですか。ここは宴の席でございますぞ」


人間の老人が立ちふさがり、人の倍の背丈の大イタチの料理長が割烹着姿のまま跳び出してくる。


輸貴(ゆたか)は鎖を手繰り寄せると、奉公人らの制止などお構いなしに大河豚を宴会会場の海上に放り投げた。


さりげなく放り投げる前に取り付く人らを払い落としているあたり、気は使っているようだが――その結果は巨大な大波として会場を洗い流した。


場は一瞬ざわつき、やがて神々の笑いと声が弾ける。


波打つ大波にある者は顔をしかめ、ある者は腹を抱えて笑い出す。青年はこの場の七福神八柱の注目を集めた。


「ここにありますは今朝流れ着いた勇魚大河豚。海の幸に感謝し、それを福神たる方々にお返しできればと――この半神半妖・客神輸貴、ここで一品作らせてもらいます」


着物の端を結び直し、どこからともなく大太刀を取り出して肩に担ぐ。この屋敷の主人たる一柱に頭を下げる。


恵比寿は落ち着き払った佇まいで杯を傾け、孫へと視線を向けた。


「のお輸貴よ。今日は古い友人と酒の席を開くと、そう話してはいなかったか?」


「では場を騒がせたことに謝罪を。そしてこの場でその償いをすることを許してください」


ツカツカと歩き、祖父の目を見て頭を下げる。


「言うても聞かんか。お前も父であるぬらりひょんの奴に似てきたな。仕方ない、好きなようにやれ。だが満足させろよ」


宴のどよめきが収まるよりも速く、輸貴は大太刀の鯉口を切った。


刃の反射が水面と混ざり、幻想と現実の境界を切り裂くかのような冷たい光が走る。


鎖を伝い、巨大な勇魚大河豚の脇腹へと歩み寄った。まずは脂の乗った皮下組織の、最も薄い場所に切っ先をそっと当てる。


青年の手は――ぬらりひょんの半妖たる輸貴(ゆたか)の手は震えていた。


一息ついて、袖で汗をぬぐう。会場に静寂が落ちる。


ここに来た。祖父に啖呵も切った。ならばあとは――


「いざ参る」


成すだけだ。青年の手はもう震えてはいなかった。


一閃。


薄皮一枚を裂くと、白磁の光沢を放つ厚い皮がたゆたうようにめくれた。脂と筋肉が流れるように露わになる。


界面の下、艶やかな身肉、銀色の神経索、そして紫に輝く毒袋――


それは職人芸のごとく繊細で、祭りの踊りのように豪快な仕事だった。


太刀が鼻付近の骨の浮いている部分を切ると、上を向いていた大河豚の口が自重でまな板にキスをするかのように落ちる。代わりに丸いカマの部分が肉の中から露出した。


二度目の斬撃で口は完全に落ち、そこから流れるように河豚の固い四枚歯を処理していく。


術の流水で血液を流し、身肉と毒袋、皮の層を刃の背で優しく分ける。


さらに、ひれに沿って大きく面取りし、骨と繊維を断ち切る際は刀の角度と力を微妙に変えた。血潮も毒も飛び出ぬよう、芯のある皮下から繊細な包丁仕事で身と内臓を切り分けていく。


皮をはがし、肉の塊となったそれから鰓や内臓、卵巣などを取り、身のぬめりまで洗い流すと会場に歓声があふれた。


「大将、任せて良いか」


「無茶しやがって。休んでろよ輸貴、手柄は俺ら料理番がもらっていってやる」


割烹着姿のイタチの大将に青年は声をかける。


「待ちきれなくなったお客様が直接来る前に配膳するぞ。着いて来い」


皿に盛り付けられていく刺身からしれっと一枚つまみ食いし、青年はヒレと酒を持って先に進む。


「まだおったか」


「じいちゃん、一杯どうだ?」


青年は焦げるまで炙ったヒレを日本酒に浸す。


「で輸貴よ、何を求める?」

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