第5章 崩れ去る均衡(1)

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 聖竜歴1249年7の月25の日――

――メイシュトリンド王国王都メイシュトリンド郊外、ミリアルドの邸宅、寝室。


「ほんと? 本当に私と一緒になってくれるの――?」

人族の若い女が美しいエルフ族の男との至福の時間の後、そう質問をした。


「あ、ああ。本当さ、ケイ、ただその前に僕には、本国に報告しないといけない仕事があるんだ」

ミリアルド・トゥーイットは彼女の肩を抱きながら続ける。

「それさえ、終われば僕は自由になれるんだよ。君とここで暮らすことだってできる、新しい二人だけの家を建てたっていい」


「ああ、ミリアルド。信じていいのね、でも私は人族だから、あなたより先におばあさんになってしまうのよ? 最後まで一緒にいてくれるの?」

ケイはミリアルドに口づけをねだりながらも確かな返事を欲した。


「当然だよ……、ケイ、僕は君と添い遂げると決めたんだ……」

ミリアルドは彼女の唇にやさしく触れた後そう言った。


「わかったわ、私やるわ。あの衛兵のビルは私にご執心だから、ちょっと誘惑すれば絶対言うことを聞くわ。少しの間だけ、彼を持ち場から離すことなんて、たいして難しくはないわ」

ケイは覚悟を決めた目でミリアルドを見つめて言った。


「ありがとう、ケイ。これで僕もやっと自由になれるんだね? もう本国から奴隷のように使われるのは耐えられないんだ……」

ミリアルドは今にも泣きそうな顔でケイを見つめる。


「ああ、かわいそうなミリアルド。必ず私があなたを自由にしてあげるから――」

ケイはそういってエルフの男の顔を抱き寄せた。



――――――



 聖竜歴1249年7の月26の日――

――メイシュトリンド王国王城城下、王国立大庭園管理棟守衛控え室。


 ビルこと、ビリガン・メイスは守衛装備をまとい、配置場所へと向かおうとしていた。

 いつもいつも同じ場所に立って、今夜も一晩中見張らねばならない。衛兵の仕事とはそういうものだ。

 ただ一つの楽しみは、ここから配置場所へ向かうまでの間に出会う彼女を見れることだ。今日もおそらくいつもの場所で出会えるはずだ。

 彼女はこの大庭園の管理をしている庭師の一人で、名前をケイシュというらしい。

 このあいだ、すれ違う時に庭師仲間がそう呼んでいるのを耳にしたのだ。


 彼女の笑顔はすばらしい、それを見れるだけでまるで天にも上るような気持ちになれる。そうやって勤務の時には毎回それをただ一つの楽しみとしてきた。

 それが終われば、退屈な立番りつばんが待っているが、また翌日には彼女に出会える。

 ビルはもうそれだけで充分だった。願わくば、今月末の配置転換で違う部署への転属がなければ、また2ヶ月は彼女を見ることができる。それぐらいが今の彼の望みであった。

 

(さあ、行くか……)

ビルは守衛控え室をでて、庭園廊下を進み始めた。


 配置場所までは約10分ほどの道のりである。彼の配置場所はとある扉の前だった。その扉の向こうは立ち入り禁止区域に指定されており、大庭園に関する研究室棟につながっているという事だったが、ビル自身もその先に立ち入ったことは一度もない。

 いつも0時ごろに、研究所所長と副所長が二人でやって来て、その扉に入るのを見届けた後は、朝の交代が来るまでずっとそこに立って見張りをするだけだ。朝と言っても、日が昇るよりずっと前なので、立番りつばんの時間は、23時から約6時間30分程度と、それほど長くはない。3時間の立番のあと30分の休憩交代があり、その後朝の交代が来る5時半ごろまでまた3時間という感じだ。

 勤務中に誰かが扉の前を通りがかることは、彼がこの任務に就いてからこれまでの2ヶ月間のあいだ、一度も無かった。それはそうだ、夜中真っ暗な大庭園にやってくるやつなんているわけがないのだから。


 いつもどおり、今日も向こうから庭師の女たちが数人でやってきた。彼女たちはこの時間まで庭の手入れをして、この時間で勤務が終了し、管理棟へ帰るところなのだ。

 はたして今日も、ケイシュの姿をその中に確認できた。


 もう少しで彼女とすれ違う。

 幸運にも今日は一番端に並んで歩いている。このままだとすれ違う時一番近づくことができるぞ――。

 ビルは少し歩く速度を速めた。


 彼女たちとすれ違う直前で、思いもしないことが起きた。

 ケイシュがおもむろに立ち止まったのだ。そうして仲間たちに、先に言ってて、というような仕草しぐさをして見せた。


 ビルは驚いて思わず立ち止まってしまった。

 すると、ケイシュはこちらを見つめて、にっこりと微笑んだ。

 なんて美しいんだ――。一瞬ビルはほうけてしまって、我を失いそうになる。


 ケイシュは、2歩3歩とこちらに歩み寄ると、小声で彼にささやいた。


(今夜、所長と副所長がいらしたあと、12時30分ごろ、庭園の東屋あずまやでまってるわ。絶対来てね、大事な話があるの――それと、このことは誰にも言わないでね、恥ずかしいから――)


 彼女はビルの耳元に接触するぐらいまで接近し、そう告げた。彼女の黒い髪がビルの頬に触れ、やんわりといい香りがビルの鼻腔びくうをくすぐった。


 彼女はそう言うと、そそくさと仲間の後を追って立ち去って行った。


(今夜、12時30分……東屋……)

ビルの心はふわふわと空を漂うようなおぼつかなさをおぼえたが、もうそんなことはどうでもいい。

(今夜彼女と――)




 


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