第9話 ふたりのお手伝いさん
居酒屋、双子の帆船亭。
どのテーブルもカウンターも満席で飲食を楽しむ商人や作業員、旅人や冒険者風の者などでごった返していた。
店の看板従業員であるアズキはようやく、食品庫の棚の下にうずくまっているもう1人の看板スタッフを発見した。
「マルン、あのね? 今、いちば~ん忙しい時間帯なんだけど?」
マルンはゆっくりと顔をあげたが、その両目にはいっぱいに涙があふれていた。
「もう募集は終わっちゃったんだって…。」
アズキはため息をつくとお盆を置いて、マルンの隣に座った。マルンの手には紙のチラシが握られていた。
『…自警団第33支部…お手伝いさん募集中!』
「マルン、だから言ったじゃない。もっと早く応募すればよかったのに。」
「迷っていたの…。私なんかが、あんな立派な方に近づいていいのかって…。」
「マルン?」
「それに、わたし人見知りだし、かわいくないし、それに…」
「マルン! あんた、なんでそんなに自己評価が低いの?」
マルンはうつむいてしまった。
「あーもう! じれったい! 好きなの、嫌いなの、どっちなの!」
「それは…あの人のことを考えるだけで、私…」
顔をあげたマルンの頭をアズキは優しくなでた。
「はいはい、眠れないし、ドキドキがとまらないし、切ないし、苦しいし、でもあたたかくなるんだったっけ?」
赤くなり無言でうなずくマルンを見て、アズキは髪を撫でていた手で今度は背中を思いきり叩いた。
(パーン!)
「コホッ。い、いたい! な、なにをするの。」
「シャキっとなさい! わかった! あたいにまかせな! 全面的に応援する!」
「ほ、ほんとに…?」
マルンは不安そうにアズキの顔を見たが、アズキは自信満々だった。
「明日、自警団の支部に交渉に行こ!」
「ありがとう、アズキ。」
マルンはようやく元気をとり戻し、笑顔をみせた。
(あたいはどっちかって言うと、あのひとりで飲んでた背の高い人のほうがタイプだけどなあ。)
ひとりでニヤニヤしているアズキを、マルンは不思議そうに見ていた。
次の日。
「だから、もう募集はしてないニャ~。」
「そこをなんとか! ね、かわいい猫の団員さん!」
「困ったニャ~。」
自警団支部1階の受付カウンターで何やらもめている声を聞き、マリーンは慌てて駆けつけた。受付は複数窓口があったが、どれも長蛇の列ができていた。
「マチルダ、どうしたの? マロニエールは?」
「デートで休暇ニャ! 書類仕事は苦手ニャ~。しかもさっきからこの人が邪魔するニャ。」
マリーンが代わりに受付に座ると、見覚えのあるそっくりの顔がふたつ並んでいた。
「あれ? たしか、居酒屋の…アズキさんとマルンさん?」
マルンはささっとアズキの背中の後ろに隠れてしまった。アズキはマリーンにニカッと笑いかけた。
「支部長さん! たしかここでお手伝いさんを募集してたでしょ? このコ、雇ってあげてよ。」
「え? でも、もう決まっちゃったんだけど。」
「だから、そこをなんとか!」
押し問答をしていると、マリーンの背後でカチャカチャと食器の音がして紅茶の香りが広がった。
「みなさん、お疲れ様です。お茶をお持ちしました。」
エプロンをつけたチグレが事務員たちの机にティーカップを置いて回っていた。チグレはマリーンの姿を見るとお盆を抱いて笑顔で駆け寄ってきた。
「お手伝いさんはこの方に決まったの。ゴメンね。」
「チグレと申します。こんにちは。」
「なるほど。こりゃ強敵だわ。」
アズキはチグレをジロジロ観察すると、マリーンの耳に顔を近づけた。
(この手は使いたくなかったんだけどねえ。マルンを雇わないと、居酒屋のツケをいっきに請求するよ。)
(あなた、自警団を脅迫するの!?)
マリーンが立ち上がった時、ジーンが入口から前のめりになりながら入って来た。
「た、た、大変だ。マリーン! そこにいたのか!」
「…こんどはなに?」
ジーンはアズキとマルンを押しのけるとマリーンにささやいた。
(水死体はハンタさんだったぜ! 前のここのお手伝いさんだった人だ!)
マリーンは声を失い、背後のチグレは顔の表情をお盆でかくしたが、その口には笑みが浮かんでいた。
支部長室のドアをノックする音がした。
「どうぞ。開いてるよ。」
マリーンが黒い腕章と黒いマントを外してクローゼットに閉まっていると、ドアが開いてマルンが入ってきた。
「し、し、失礼いたします。こ、こ、紅茶をおもちしました。あ、あと、毛布も…。」
マルンはカチコチでゼンマイ人形のような動きでカップとポットを運んでいた。
マリーンは苦笑するとお盆を受け取った。
「ありがと。でも、気を遣わないで。」
マルンはいきなり床に座ると、頭をラグにこすりつけた。
「ち、ちょっと!? マルンさん、どうしたの!?」
「アズキが失礼なことを申し上げ、本当にすみませんでした! どうかわたしを逮捕してください!」
マリーンは笑い出し、マルンはポカンと見上げた。
「わたし、なにか変なことを申し上げましたか?」
「だって、あなたを逮捕したら誰があたしの部屋に飲み物を持ってきてくれるの?」
「それは…。」
マリーンはマルンを改めて観察し、アズキと全く同じと言っていい顔立ちと、真逆の性格につくづく感心した。
「チグレさんもふたりの方が助かるっていってたし、これからよろしくね。」
マルンは床の上に座ったまま、顔を手で覆って泣き出してしまった。
「すみません、嬉しすぎて…涙がとまりません…。」
「ここでお手伝いさんをするのがそんなに嬉しいの?」
ハンカチを渡しながらマリーンが不思議そうに聞いた質問に、マルンは聞き取れないくらい小さな声で答えた。
「いえ…マリーンさまがわたしの思っていた通りのお方だから嬉しいのです。」
「え?」
「なんでもありません。」
マリーンは話題を変えた。
「双子の帆船亭の方は大丈夫なの?」
「はい。アズキがオーナーと交渉してくれて、わたしは日中はこちら、夜の忙しい時間帯は酒場で働きます。」
マリーンは納得してうなずき、更に話題を変えた。
「毛布もありがとね。あたし、しばらくはこっちの部屋で寝泊まりするから。」
「えっ!? マリーンさまがこのお部屋で!?」
「ちょっとワケありでね。」
マリーンはまた苦笑したが、マルンは聡明そうな目から涙を拭くとすこし怒った表情をうかべた。
「ひょっとして、あのヨウという方がマリーンさまのお部屋を使われるのですか?」
「まあ…ね。」
「わたし、あの方はなんだか苦手です。」
「わかる! なるべく相手にしない方がいいよ。」
マルンはわかりました、と頭を下げるとドアに向かった。ちょうど入れ違いで、チグレが入ってきた。
「支部長、お茶をおもちしました。あれ?」
チグレはかぶったことを悟るとマルンを一瞬だけ冷たい目でにらんだが、すぐに笑顔に戻った。
「ああ、マルンは洗濯にまわってくれる?」
マルンはおじぎをすると慌てて部屋を出ていった。
チグレはマリーンにお盆をさしだした。
「葬儀、お疲れ様でした。亡くなられたのは前のお手伝いさんだったのですね。」
マリーンはお盆からクッキーをつまむとポリポリと食べた。
「そうなの。まさかハンタさんだとはね。長年お世話になったのに…。」
「死因はわかったのですか?」
「おそらくだけど、鑑識班は酔って水路に落ちたんじゃないかって。」
チグレは悲しみの表情を見せた。
「事故でしたか。あんなにお元気そうだったのに。」
「えっ? チグレさん、ハンタさんに会ってたの? いつ?」
チグレはあごに手をあてて考える仕草をした。
「ええと、たしか魔女商会長さんが来た日、私が厨房にもどったらいらっしゃいましたよ。」
「そうだったの!? 何か変わった様子はなかった?」
「いえ、なにもありませんでした。」
すぐにきっぱりと断定したチグレにマリーンは少しだけ違和感を覚えながら、もうひとつクッキーを取った。
「そう。ありがとう。」
またドアがノックされ、ジーンとコナがドカドカと入ってきた。チグレは挨拶をするとスッと部屋から出ていった。
ジーンがチグレが出ていったあとを見ていた。
「どうしたの、ジーン?」
「いや、なんだかあいつ、面接しておいてなんだけど雇ってよかったのかなって。」
「なんで? めちゃくちゃ有能じゃない。」
「たしかにな。でもなんだかなあ。」
コナがジーンをおしのけてマリーンにつめよった。
「支部長、どういうおつもりですか?」
「おつもりって何が?」
「ふたりもお手伝いさんを雇う予算がどこにあるのですか!」
コナの剣幕にマリーンはおののき、机の影にまわりこんで隠れた。
「コナ、こわい。」
「まさか支部長、お手伝いさんを外見で選んでるのですか!? なんという公私混同!」
興奮するコナを、ジーンが肩をたたいてなだめた。
「そう怒るなって。だいたい、いくら有能でも一人じゃ無理だって。」
「ではお聞きしますが、寄付も限界です。あなたがたには何か予算をひねりだす妙案があるのですか?」
ジーンは腕組みをしてニヤニヤした。
「それが、あるんだなあ、これが。」
「さすが副支部長! はやく教えて!」
「いま、隣の街区で話題の『顔面怪盗カオカルド』って知ってるか?」
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