夢日記

 窓の外に浮かんでいる月を見ながら、太郎は自室でいつものように勉強をする。

「一九六五年。ロバート・フックは、コルクを顕微鏡で覗いた際に部屋のようなものが集まって出来ていることを発見し、それを細胞と名付けた……」

 学校で化学や物理、生物を学ぶ度に思う。

 自分が生きる世界に、もはや謎と呼ばれるものなんて存在しないと。

 自分が生きる世界は、もう人間が天下を取り終わった世界なのだと。

 このシャーペンも、こんな性質があるこういう名前の物質が何%入っていて、これだけの力を加えれば折れるなんてことが既に分かっている。空にかかる虹も、原理が分かっている人間はいつでも作れる。自分自身についても。太郎が育った環境を調べればなんでこんなことを悩んでいるのかが分かるし、今こんなホルモンが出ているから何を考えているかも分かるのだろう。

 世界は今、殆ど全てが解明されてしまった。解明されていないことといえば、生きる世界とは直接的に余り関係がない宇宙や、深海のことくらいだ。

 コルクを顕微鏡で覗いた時は、細胞というものさえ未知で、毎日が何か見つかるかもしれないという試行錯誤と発見の連続だっただろう。

 そう考えると、自分が今住んでいる世界はかなりつまらないように思えた。

 既に他の誰かが知っていることを、毎日のように学校で勉強させられる。まだ自分のことさえよく分かっていないのに、なんで他の人が見つけた難しいことを勉強しないといけないのだろうか。

 今日、教わった化学の授業の内容を復習していたが、そんなことを考えている内に、持っているシャーペンは動かなくなっていた。

 耳にかけている白いイヤホンから聞こえてくる、お気に入りの音楽の音量が大きすぎて勉強に集中できない。今日はもう寝よう。

 太郎は、いつもより早く寝ることにした。

 そして、翌日。

 太郎は、いつもより早く起きてしまった。

 いつもより早く寝たのだからそれだけ睡眠は前倒しされ、早く起きることは当然なはずなのだが。その早く起きたという事実に少し溜息を漏らした。

 窓の外は、明るいか暗いか微妙な時間だ。昔はワクワクした、早朝や深夜。今はもう、ワクワクなどはしない。

 ただ、また日にちが変わるのかと少し暗い気持ちになるだけだった。

 折角早く起きたことだし昨日の勉強の続きでもやるか、と。昨日 ノートを広げっぱなしにしていた勉強机に近づいて、椅子に座ろうとする。

「……なんだこれ」

 すると、机の上に何か見慣れないものを発見した。

 いや、その『物』自体は見慣れている。それは、勉強をするにあたって何度も何度も目にしてきたものだ。毎日見て、学校が無い日も家で勉強をするたびに見ている。昨日も、寝る前にまさにここで見た。

 机の上にあったのは、ノートだった。

 オレンジ色の背表紙のノートが、机の上に広げられていた。

 しかし。それは昨日、太郎が勉強をするために使っていたノートではない。太郎は勉強に、オレンジ色の背表紙のノートなんて使っていないのだった。その証拠に。昨日勉強をするために書いていたノートは、そのオレンジのノートの下敷きになっていた。

 見慣れないノート。これは、自分のノートではない。

 じゃあこのノートは、誰のものなのだろうか。

 その開かれたページは、一ページ目だった。左の方のページは表紙の裏側になっていて書き込めず、右の方のページはちゃんと線が引かれているノートだ。

 そのノートには、文字が書かれている。

 太郎はその文字を、読もうと思わずにほぼ無意識に。書かれた字が目に入った時点で、別に意識なんてせずに頭の中で読んだ。

 そして、頭の中で読んでもよく分からなかったので、口に出してその文字列を反芻はんすうした。

「ヴォイニッチから謎の無い世界へ……?」

 ノートの一番上。装飾が一切、施されていない、いわば余白の部分に。他の文字よりも大きくそう書かれていた。

 まるで、下に書かれている文章たちのタイトルだと言わんばかりに。でかでかとそう書かれていた。

「なんだ? これ……」

 そのタイトルの下には、かなりびっしりと文字が書かれていて、その文字列は次のページ、そしてその次のページくらいまで続いていた。時たま、意味不明な挿絵も描かれている。

 なんでここにいきなり見覚えの無いノートがあるのか。これの作者は誰なのか。頭の中がハテナだらけになるが、もしかしたらこれを読むことで何か分かることがあるかもしれない。

 太郎はゆっくりと一行目から、そのノートに目を通すことにした。

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