サイドストーリー 人形の魔女とアカラ・ルラクルタ

 曇天の夕暮れ時…薄暗く、仄明るい闇の中。町を歩く。


 日傘を差し、彼女は歩いている。


 いつものように、人形の衣装を縫うために、布生地を仕入れた帰り路。


 向かうときには晴天だった空に陽光は既になく、日傘の意味はあまり意味のないものとなってはいたものの、彼女には気に留めることでもなく、お気に入りの傘をしまう理由にはならない。


 ただ歩む。


 布生地を買って、人形の衣装を作って、飾って、時折店にやってくるお客様が気に入ったものを快く送り出す。それがいつもの日常。


 彼女の店に来る者たちは皆、彼女の子供らをとても大切に扱ってくれることを知っている。彼女の店に来た小さい少女は、どれほど時が経とうと、人形をもって店にやってきた。衣装のほつれや、人形のパーツの不具合を良く相談に来る。大人になっても、その娘を連れてきたときも。大切に扱っていることを感じた。とても良く。


 アーリーシャは人形を愛した、そして人形を大切にするものも愛した。店に来る者は少女ばかりではなく、老齢の夫婦もいて、瞳を輝かせて彼女の人形を手に取っては少女のような笑顔を見せてくれた。どのような目的であれ、そのような笑顔で人形を手に取って店を出る者たちを彼女は愛しく思った。


「雨ですか、ねぇ…?」


 ぽつりとつぶやいて、ぽつぽつ日傘に当たる音を感じて、少し早歩きに帰ろうとした。


「あら…?」


 目の前、数歩先が白い霧で徐々に見えなくなっていっているのに気が付いて、一度足を止めて、安全を優先してゆっくり慎重に歩むことにした。




「新人!お前たちは応援を呼びに行ってくれ!」



「私も戦います!私はハルアの妹として、ここで逃げたくありません!それに戦力は必要なはずです!私だって訓練も実戦もしてきました!だから!」


「…わ、わたしは……」


 衛兵が戦っていた。新人と思しき衛兵が二人と、上長の衛兵が何かと戦っている。相手の姿は距離もあって霧の濃い向こう側で良く見えないが、かなりの出血が見える。衛兵のものか相手のものか判然としない。


 そして新人の一人は明らかに動揺し、戦える状態には見えなかった。


 長椅子に布生地を置いて、衛兵の下に向かう。


「私も手を貸します、それならば善くなくて?ねぇ?」


「人形の魔女…アーリーシャさん!助かります!是非とも力添えお願いします!」


「これなら戦力も十分でしょう?ねぇ?あなた、あなたはひとまず安心して今までの状況を報告してきて下さる?」


 優しく新人の衛兵に諭し、人形を展開した。数にして22体、これがアーリーシャの正確に操れる数である。


「わかり…ました、リノ…っ応援要請に向かいますっ」


 まだ少し後ろ髪を引かれる様子であったが、リノと名乗った新人の衛兵はこの場を去っていった。



「新人、名前はっ」


「リイナです!」


「そうか、リイナ!ひとまずあの獣の刃に気を付けながら人形の動きに合わせて追撃をするんだ!」


「はいっ!」


「行きますよ お二人方!」



 人形を向かわせ、霧を払って影を暴いた。そこにいた『獣』は、四足の草食動物とよく似ていた。しかしその相貌はあまりにも異質であった。


 頭部があるべき場所は無数の刃が突き出し血を滴らせていて、視線は感じ取れず、体表は茶褐色の毛皮に覆われ、一部剥がれている個所からは血が流れ出し、肉と金属が露出していた。金属は蒼く発光し、血はやや黒い赤であった。


 この世において全くの異質な生物。あれはなんなのだろうと、アーリーシャは思う。通常の魔獣の類いとも明らかに違う、もっと在り方が異なった生物。


 しかし今は疑問を思考する場合ではない、一度思ったそれを閉じ。まずは何体かの人形たちで攻撃する。それに合わせ、衛兵たちが追撃を行った。


 衛兵の槍、剣、人形たちの鋏による攻撃で獣の体から血が飛び散った。手応えを感じて、一気に人形を向かわせる。


 何度も何度も、幾度も攻撃を受けて、獣は何も感じていないかのように佇む。血を吹き出し、傷を増やしてもなおその場に立ち続ける。


 次第に金属音が響き始め、傷だらけの肉の向こうに蒼く発光する金属が見え始めた。


「くっなんなのこれ…全身が金属ってことなの…最初から見えてるところだけじゃなく?これじゃ、攻撃が通らないです、ねぇ…」


 あらゆるところが金属の骨格で覆われているその体に、アーリーシャの人形ではその獣に対する決定打に欠けた。生物に対して、数と刃で有利を取れるはずのその魔女は、硬く刃物を通さない異質な鎧に、どうすべきか攻め手を止める。


(人形の攻撃ではこれ以上の攻撃は意味がない、ですねぇ……やはり時間は掛かりますが、あれならあの金属の体でもなんとかなりますか、ねぇ…)


「皆さんっ!わたくしに手がありますっ少々時間稼ぎを頼めますっ?」


 返事を待たず、一度確実な安全圏内まで身を引いて、『躯体』を生成する。


「わかりました!よし、新人、未だ奴に動きはないが、気を緩めるな、アーリーシャさんの方に奴が何か仕掛ける前にこちらに注意を引き付けるんだ!いいなっ」


「はいっ」


 衛兵はアーリーシャに注意が向かないよう、それぞれに槍と剣で攻撃する。剣で首を斬りつけ、槍で胴を穿つも、金属音がなるのみでやはり効果はみられない。だが剣で首を斬りつけたとき、大きくよろけた。


 獣はバランスを崩すも倒れることはなく、依然として不気味に佇むばかりだったが、その際体から血をさらに吹き出し撒き散らした。衛兵たちは至近距離でその血を浴びたものの、怯むことなく、獣に攻撃した。



 アーリーシャは躯体に魔力を注ぎ始める。躯体に光が宿り、命が宿ったかのようにゆっくりとした動きを見せる。


(この方法は、わたくしの魔力を限界まで注がなくてはいけないから、嫌いです、ねぇ…)


 生成した躯体に容量を超えて魔力を注ぎこみ、状態が不安定となった人形を向かわせ、高威力な爆発を起こす。それがアーリーシャの方法だった。


 その際、大きな隙ができてしまうためにこのような状況でなければ使うことのない方法。


 魔力を注ぐ時間、その後の魔力が不足した状態での戦闘は、あまりにも無防備となってしまう。


 そう、このように…。


「え…あなた、どうして…?ねぇ…?」


 胸から突き出た剣から赤黒い血と共に美しい鮮血が滴り落ちる。

 後ろを振り返り、アーリーシャはその者の名を呼んだ


「リイナちゃん…」


 そしてそのまま、躯体に寄りかかり、静かに、眠った。


 ━━━━━━━━━━━━━━━


「し、新人…おまえ…!!!なんの、つもりだ…!!!」


「せ、先輩、わ、わかりません…わ、わからない…なんで、なんで…」


 リイナは先輩である衛兵の腹部を貫いていた。


 リイナは、その理由は解っていたのに、徐々に染まるその思考を払い続けていた。


『信じられない、何も』


 あの時からずっともう一人の自分が囁きかけてきていた。なぜなのか、なぜ自分は、自分でそのようなことを考えていたのかわからなかった。


 人なの?味方?自分…?

 本当に?


 その先輩の槍は自分を貫くものだよね?自分に攻撃をしないわけがないよね?

 その危ないものを獣に刺して、刺せなかったから、むしゃくしゃして、自分を刺してくるよね?その先輩は味方?自分の持っている刃物は、本当は誰に向けるべき?


 皆を守りたい、守るために、苦しませないために…苦しませないなら、もう苦しむことのないように。生の呪縛から解かなきゃ。


 私のその考えって私のものじゃないんだよ、私のものなんだよ、私って…わたし、わたしの、思考ってこんな、あれ、こんなのじゃなくて、あれ…?


 私の記憶は最初から嘘をついていたんだ、自分を守るために、存在しない守るべきもののために、誰かに刷り込まれたんだ…。誰?だれ?わたしってじゃあ、だれ?


 わからない、わからない…わからなくて…どうしたんだっけ



 もう一人の自分が融け合い混ざり、本心と嘘が混乱に沈む。思考の奥底へ、絶え間なく襲いくる疑心が胸をギシギシと締め上げた。


 疑心による不安が、偽りの正義を駆り立てる。


「まず、ひとり………先輩、」


「オマエ…な、ぜ…」


 致命傷を受けた上長はなすすべもなく、味方であったはずの者の前に倒れた。


「どうして教えてくれなかったんですか?私が『敵』だって…先輩も、私の『敵』なんだって、嘘をついて、騙してたんですね!!!」


 既に事切れた上長に、何度も剣を突き立て、スッと前を向いた。


 そして振り返って、その視線の先には、魔力を込めるのに意識を集中するアーリーシャが映る――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る