第九話
私は、毎日、家と家から電車で九駅行った所の駅近くにある公園を往復する生活を送っている。
「にゃー。」
もちろん、好きでこんな生活をしているわけじゃない。原因は、会社を解雇された事にある。会社が経営難に陥り、大規模な経費削減と言う名目で、社員を集団リストラしたと言うわけだ。勤続二十七年と八ヶ月と十六日の私も例外ではなかった。この事実を家族に打ち明けられるはずもなく、気が付けば半年以上もの時間が経過していた。貰った退職金を取り崩し、なんとかそれを給料として毎月妻に渡してはいるが、そろそろそれも限界に近付いてきている。もってあと、二、三回がいいところだろう。最初の段階で無理にでも打ち明ければよかったと、今になって後悔している。思い返せば家族のため、会社のためと言って一生懸命に働いてきた二十七年と八ヶ月と十六日。
「にゃー。」
こうやって、公園のベンチに座り、ゆっくりとした時間の流れの中で、改めて自分の人生を見つめ直すと浮かんでくる。果たして本当にそうだったのだろうか?家族や会社を理由に私は、私自身から逃げていたのではないのだろうか?本当に自分がやりたかった事を諦め、妥協した人生を家族や会社のせいにして生きてきただけではないのだろうか?そう考えると本当の被害者は、そんな私の偽りの人生に巻き込まれた家族なのではなかろうか?
「にゃー。」
だからと言って、一度として家族と過ごした日々を不幸だと思った事などない。初めて子供が生まれた時の喜びは、私の人生の中で、もっとも幸せな時間であった。二人目、三人目の時も同様だ。それは、比べられるものじゃない。三人とも、私の愛すべき子供達だ。宝物だ。私は、この子達に出会えただけで、今の人生に感謝している。満足している。そして、こんな私を一生懸命に支えてくれた妻には、感謝してもしきれない。ありきたりだが、「ありがとう。」と言う言葉しか出てこない。愛すべき家族を持てた。この選択が、間違いだとは思ってない。
「にゃー。」
だけど私は、いったい何をしてるんだ?公園のベンチに朝から夕方まで座り続け、毎度顔を合わせる黒猫に餌を与え、今では、すっかり私になついている。
「にゃー。」
こんな事をするために私は、働いていたのか?こんな惨めな姿を見せるために子供達を授かったのか?こんな想いをさせるために妻と一緒に人生を歩む事を誓ったのか?今の自分では、到底答えの見つからない支離滅裂な自問自答をこうやって、半年以上も続けている。偽りの人生?よくそんな事を言えたもんだ。今までの二十七年と八ヶ月と十六日は、私の人生だ。後悔などない。しかし、正直疲れてしまった。この無意味な半年間を過ごし、こんな自分が嫌になった。
「にゃー。」
そしてまさか、自分が自殺を考える日がやって来るとは、思いもしなかった。しかし、こんな生き恥を曝してこれからの人生を生きて行くのならば、せめて最期ぐらい自分らしく生きよう。自ら幕を下ろそう。誰に迷惑をかけようが、誰が何と言おうが、この選択肢が間違ってるとしてもだ。私の人生だ。これは、私の人生だ。そして、これが私の人生なのだ。
「にゃー。」
公園の遊具で無邪気に遊ぶ野球帽の少年とその仲間達よ。こんな大人になってはいけない。死を考えながら生きてはいけない。希望を持って生きなさい。いつまでも夢を持ち続けなさい。人を信じる人になりなさい。そして、友を大切にしなさい。
「にゃー。」
私は、いったい何を言っているのだろう。私が言える立場ではない。未来がある君達に、未来のない私が言える事など一つもない。
「にゃー。」
「よしよし。すまんな。もう、お前に餌を上げられなくなってしまったよ。この公園にも、もう二度と来る事はないが、達者でな。」
「にゃー。」
「しかし、お前は、いいな。何の悩みも抱えてなさそうだし、自由で気ままで、のんびりと毎日を幸せに暮らせる人生で、まったく羨ましいよ。」
「それは、こっちのセリフだ。」
黒猫は、私を睨み付けてそう言うと、ベンチから軽やかに飛び降り、お尻を突き出すようにして身体を伸ばしながら欠伸を一つした。それから姿勢を正し、尻尾を真っ直ぐ突き立てると、ゆっくり歩き出した。そして、ゆっくりと公園を去って行った。
あれから一ヶ月が経ち、今日も私は、いつもの公園のいつものベンチに座っている。いつもと変わらぬ空間。昨日と変わらない今日。今日と同じ明日。明日と同等の昨日。ただ一つ変わったと言えば、あの日以来、黒猫の姿を見なくなったと言う事だけだった。
「それでも地球は、いつも通りに回る・・・・・・か。」
そう呟きながらふと目をやると、いつかの野球帽の少年がいた。ブランコに揺られながら吹く、少年のオカリナの音色に耳を傾けつつ私は、ベンチの上に仰向けになり、考えるのをやめ、空だけを眺める事にした。
第九話
「FATHER」
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