事情
「お帰りなさい」
「ただいま…」
「いつ?」
「11月の末に…」
「そう…なんだ」
「ごめん!」
「なにが?」
「なにもかも」
「それじゃ、わからないよ」
ちゃんと話を聞きたいのに、聞きたくない私がいて、自分でも何を言えばいいのか混乱してきた。
誠君は、うなだれている。
言葉を探しているように見える。
「おしえて、あれは誰?」
私が聞いているのは、赤ちゃんを抱っこしていた女の人のこと。
「エレナ、子どもはペドロ」
「奥さんと…?」
「いや、違う」
「結婚もしてないのに子どもが?」
「それも違う、と思う」
「わからない、わかるように説明して!」
思わず大きな声をあげてしまった。
「…ごめん、説明するから、落ち着いて…」
_____誰のせいで?!
と言うのはこらえた。
「俺、画家にはなれなかった。描いても描いても描いても、ものにならなかった。お前の絵には、感動とか魅力がないと言われたんだ。何回描いても。
絵は上手い、でもそれが売れるかどうかは別だと。試しに画廊に持って行ったけどダメだった…。俺、自分には才能がないと認めるのが嫌で、何枚も描いた。でもどれも先生に破り捨てられた…上手い絵が売れるんじゃない、欲しいと思わせる絵が売れるんだと」
「……」
「絶対画家になるって決めてブラジルに行ったのに、全然ダメでさ…仕事もその日暮らしになって…。そのうち近くで暴動があって仕事もなくなった、それで路頭に迷った…。そのままのたれ死んじゃうかと思った時、エレナに助けてもらった。それで優しくしてもらって…仲良くなった」
そこで一つ、息を吐く誠君。
仲良くなった…とは、深い仲になったということなのだろうか。
「それで?」
「エレナには恋人がいたんだけど、日本に働きに行くといったまま行方不明になったらしいんだ。俺はお金を貯めて日本に帰りたかった。エレナのところに泊めてもらって仕事をして懸命に飛行機代を貯めた。そのうちエレナに子どもが産まれて、エレナも日本に行きたいと言い出して、一緒に日本に来た。日本に戻ってきて母さんと暮らすことになったけど、母さんは、病気だった。エレナとペドロの生活費も必要だし、俺はもう絵を諦めた。だから、ヒロのことも…」
「…ひどい人だよね、誠君は」
「……」
「どうして早くに話してくれなかったの?」
「俺なりに伝えているつもりだったけど、励まされる手紙ばかりでだんだん苦しくなって…」
「私の?私のせいなの?」
「いや、違う!そうじゃない!俺が弱いからハッキリできなくて」
「約束した3年、私は待ってたよ。せめて帰ってきたなら連絡して欲しかった…待って…た…の…に…」
最後の方は声にならない。
悲しくて悔しくて涙が止まらない。
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい、ヒロ、俺が悪いんだ、才能もないのにブラジルなんかいってさ、夢破れてやけくそになってさ…帰ってきてもこんな調子じゃ身動きも取れないし、ヒロに合わせる顔がなくて、正直…逃げてた…」
誠君も泣いている。
私も泣いている。
3年前に、2人の気持ちが通じて泣いたときと同じ場所で、泣いている。
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