ミリオンナイトと魔の蠱動
茶和咲 惇
第1話 冬の花
三輪坂町は籠神社跡地を中心に雪野原になった。
三輪坂町といっても、古い町名なので、地図には載っていない。もともと住んでいる住人の間で語られているだけ。萌恵の一家は、祖父が戦後北区に家を構えてからずっと住んでいるし、祖父がこの町名でしか呼ばなかったので、習慣的にそう呼んでいる。
萌恵はいつも籠神社の石段の前の道を通って三輪坂高校に通う。陸断姫の昇天で、籠神社の社殿を含め境内にあったもの全てがなくなってしまったので、今は石段しか残っていない。その石段も、何十年も経ったかと思いたくなるほど、古びてみすぼらしくなっている。
学校に行って話しても、誰も神社があったことを覚えていない。自分の記憶が間違っているのだろうかと思えてくる。
最たるものが、菜月だ。
陸断姫に体を乗っ取られ、心だけの存在として籠神社に縛り付けられていたにもかかわらず、きょとんとしている。昔の明るさが戻っているので、それはそれで萌恵にとっては嬉しい。でも、何か判然としない。
萌恵は学校の帰りに籠神社に寄ってみようと足を運んだ。石段の上の方から神社の森にかけて雪原と化した一帯は立ち入り禁止になっていて、上空をドローンが飛び回り、何かものものしい。警察が巡回し、警備の旗振りさんが立っている。警備のおじさんに尋ねても、「工事中です」としか返ってこない。
禁止線に沿ってぐるりと歩き回り、人影のないところで中に入ろうとすると、どこからともなく警察官や役所の人らしき人が現れ、「入ったらダメですよ」と声をかけられる。
「すみません」と言って逃げると、それ以上は追って来ない。
ラックハマターこと卓史が住んでいたアパートは、禁止線の内側にある。今となっては連絡の取りようもない。無事を祈るばかり。
家に帰ると、母の咲子は庭の草むしりをしていた。萌恵を見ると、嬉しそうに
「ねえ、見て見て」と言う。
手の平に氷の塊のような雪筍を載せている。
「土の中から生えてきたの。最初の何個かはすぐ融けちゃったのに、これは融けないの。不思議よねえ」
咲子は嬉しそうに言う。まだ、冬でもないはずなのに異常だとは思わないのだろうか。
「帰って来る途中に、氷のような白い花が群生してるところがあったよ。触ると、すぐ融けたけど」
「そう。きっと何かいいことの前兆よ」
幼い頃から萌恵が感じていたように、咲子はあくまでも楽観的。羨ましい。
「籠神社、なくなったよね」
「えっ、何」
「神社。学校に行く途中にあったやつ」
「あら、そう? あそこはもうずっと何もないわよ。残っているのは、石段だけだし、神社があったのは随分昔じゃないの」
覚えてないんだ。ダッグラムとの扉が閉じて、籠神社の祭神だった陸断姫が消えてから、まだそんなに時間が経っていないはずだった。でも、もう忘れてる。菜月だけではない。咲子だって、同じだ。
父の宏も、あの夜出かけてからまだ帰ってきていない。昔からよくあることだったけど、何か気になる。
「ただいま」と弟の知弥が帰って来たのは、もう暗くなってからだった。
「また、部活?」と咲子が聞くと、「そうだよ」と返事。
「遅くまで何やってんの」
夕飯の準備を手伝いながら、萌恵は言った。
「いろいろ」と知弥はまともに答えず、「そう言えば」と話題を変えた。
「今日、転校生が来たんだ」
「男」
「そう。変な奴」
「イケメンじゃないんだ」
「おちょこちょいで、あちこちぶつかってる」
「どういうこと?」
「つま先を椅子にぶつけたり、手が机に当たったり」
「迷惑ね」
「僕以外はね」
「あんたは被害を受けてないの」
知弥は、えへへと笑う。
「うまくやってんだ」
「お姉ちゃん譲りかな」
「人の所為にするな」
「褒め言葉だよ」
そこで、咲子がご飯できたよと声をかけてきた。
食事の時に、知弥に氷の花のことを聞いたら、見たよと言う。
知弥の通う三輪坂中学は、高校の隣だから、帰る道はほぼ同じ。
「百旗坂?」
カーライルとともに地下に隠れた公園に登っていく坂だ。
「もっと立入禁止に近いとこ」
「禁止ラインに入ったの」と咲子が口を挟む。
「違うよ。その手前。何か怖そうなおじさんが立ってたから」
「入っちゃダメよ」
咲子が念を押す。萌恵は、怖そうなおじさんが気になった。
「怖そうなおじさんって、自衛隊の人?」
知弥は口いっぱいに頬張りながら、首を振った。ゆっくりと飲み込んでから、
「軍服は着てたけど、自衛隊じゃない」
萌恵の脳裏にケサ・ランドール片岡の顔が浮かんだ。
「外国人?」
「…も、いた」
「やっぱり」
「あら、知ってるの」
咲子が聞いた。
「ちょっとね」
萌恵は言いづらそう。咲子は笑って、それ以上聞かない。知弥は興味津々に萌恵の顔を見ている。
「何よ」
「こないだ、親父と一緒に帰って来たよね」
「あんたはもう寝てたじゃない」
「少しは話してくれてもいいんじゃない?」
「大人には話せないこともあるの」
「ちぇ、ケチ」
咲子は黙って笑っている。勿論、萌恵も話すつもりはない。期待する知弥と言いたくない萌恵の目がバトルしている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます