星が落ちた後で

いいの すけこ

一番星を見上げて

 一番星を見上げたら、思わずくしゃみが出た。同時に隣の七尾ななおさんが、鼻を鳴らす。

 七尾さんはわずかにマスクをずらして、鼻のあたりに隙間を作っていた。まさかマスクを外すのかと思ったが、そんなことはなく。彼女の顔の半分は相変わらず、暗い色で覆われたままだった。

望月もちづきくん?」

 顔を上げた七尾さんと、目が合う。

「あ、えっと。七尾さんがマスクを外したのかと思って。なんかちょっと、はらはらしたんだ」

 こんな世の中だから、神経質になってしまう。顎が小さい七尾さんは、顔にきちんと馴染むまで何度かマスクを微調整した。俺も思わず自分のマスクに触れて、しっかりと顔に密着させる。

「それは、そうだね」

 七尾さんは目を細めた。笑ったみたいだった。

 見とれたわけでは、ないけれど。なんだか恥ずかしくなってしまって、俺は早口で言った。

「面倒に付き合ってもらって、ごめんな」

 わけあって俺は、一番星が昇るような時間まで、七尾さんを連れ回している。

「いいよ。それより早く、妹さんを見つけないと」

 春になり、だいぶ日は長くなった。それでも理由がない限り、中学生の門限なんて十八時がいいところだろう。うちだってそうだ。門限から三十分を過ぎて、日の落ちかけた空はだんだんと闇を濃くしていく。


 学校を出ようとしたところで、二歳下の妹の友人から声を掛けられた。小学校から妹と仲良くしていた子で、俺もよく知っている。

 スポーツバッグを担いでたその子は、ひとりで体育館へと入って行こうとしていた。

 ――今日は聖奈せいなちゃん、部活お休みですか?

 俺には聖奈が部活を休む理由に、心当たりがなかった。家で用事を言いつけられてもいないし、塾だって今日は行く曜日ではない。

「やっぱり家にもまだ、帰ってないんだ」

「うん。俺が学校からすぐ家に帰って確認した時が、一時間以上前。その時に聖奈は、家に居なくて。登校用のスニーカーもなかった。で、俺は聖奈を探しに家を出て」

 そうして俺は、下校中だった七尾さんと出くわした。制服のまま通学路を逆走する俺を気にして、七尾さんは親切に声をかけてくれたのだ。

 七尾さんと俺は、再び戻った我が家を仰ぎ見た。

「今、もう一度部屋を覗いてきたけど、いなかった。スニーカーも、制服も鞄もなかったし」

「妹さん、スマホは持ち歩いてないの」

「聖奈はスマホ、持ってないんだ」

 中学に入学して日の浅い聖奈は、今はまだ家の中で親の監視下の元、家族共有のタブレットを使っている。夏に誕生日を迎えるから、その時に聖奈専用のスマホを買ってやる予定らしい。

「探しながら何度か家に電話したけど、出なかった。帰ってきたら俺のスマホに連絡してって書置きは残したけど、なんも来ない」

「普段から、こういうことってあるの?」

 七尾さんは冷静だった。少し大人びた雰囲気の七尾さんは、先生のような、保護者のような。

「聖奈は門限破ったことないし、部活とか塾とか、さぼったこともないはずなんだけど」

「それじゃあ心配だね。うん、やっぱり早く探そう」

 七尾さんは手に握っていた、透明の小袋を開いた。開け口にファスナーのついた、密閉できるプラスチックバッグだ。


「もう一度、みるね」

 袋の中にはヘアゴムがある。校則で定められた、黒い飾り気のないゴム。

 七尾さんがマスクを緩める。すんすんと、七尾さんが鼻を鳴らす音が響いた。

 ヘアゴムは聖奈の持ち物だった。

 俺は七尾さんが聖奈のヘアゴムの匂いを嗅ぐのを、息をつめて見守る。

 わずかに顔をしかめて、七尾さんはマスクをもとに戻した。

「大丈夫なの?」

「うん、これくらいは」

 七尾さんはマスクを顔にフィットさせながら言った。半分覆い隠された七尾さんの横顔を見つめながら、俺は半信半疑で問う。


「七尾さんは、本当に匂いで聖奈の居場所がわかるの?」

 七尾さんの黒目がちの目元が、笑みの形に細まる。

「私、嗅覚が異常に強いの」

「警察犬みたいな感じ?」

 犬呼ばわりもどうかと思ったけれど。七尾さんは気を悪くした様子もなく頷いた。

「同じようなことは、できるよ。犬みたいに地面を鼻先でずっと辿り続けるのは、ちょっと無理だけど」

「空気中に匂いが漂ってるとか?」

 俺にはちょっと、想像できない。

「風に乗ってきても、空中の匂いは弱いんだよね。だから……妹さん、登校はしたんだよね?」

「うん。朝は俺と一緒に出かけたから」

「じゃあ学校からスタートして、足取りを追おう。ずっと地面や空中の匂いを辿るのは、無理だけど。曲がり角とか分かれ道とか、妹さんが立ち寄りそうな所とかに差し掛かったら匂いを確認するの。そうしたら少しは、足取りが絞りこめる」

 大人みたいに落ち着いた七尾さんは、先生みたいで、保護者みたいで。お巡りさんみたいでもあるし――。

「七尾さん、探偵みたいだ」

 俺がそう言ったら、七尾さんは目を大きく見開いた。顔色が変わったかまでは、わからない。

「……あの、でも。自分の部屋で探し物をしたり、学校で落し物を探したりはしたことはあるけど。人探しは初めてだから、上手くできるかは自信が無くて」

「でも俺、七尾さんが手伝ってくれるだけで心強いよ」

 夕陽のオレンジを残しながら、深い青に変わっていく空は綺麗だけど、もう日が落ちきってしまう。暗い夜道は不安をかき立て、悪いものを呼び寄せるかもしれないから。

 だから一人であてもなくさまようより、ずっといい。


「……望月くん、優しいね。妹さんを一生懸命探して」

 僅かに顔を背けて、話題を変えるように七尾さんは言う。

「いや、うーんと。聖奈のやつ、最近ちょっと様子が変なんだ。だからさすがに少し、気になって」

「変って?」

「小遣いのことで、母さんと揉めたり。聖奈、お年玉とかお小遣いは、俺なんかよりよっぽどきちんと貯めてるのに」

 話しながら歩く。聖奈の姿がないか視線を巡らせるが、薄暗がりの中には見つけられない。

「中学生になって、色々物入りなのかな」

「あと、俺にネットショッピングできないか聞いてきたり」

「ネットショッピング?」

「親のタブレットから、勝手に買い物できないからさ。俺は自分のスマホ持ってるから、出来るんじゃないかと思ったらしいけど。俺だって親の許可なしに、買い物とか課金できるわけないのに」

「なんだろう、気になるね。悪いことじゃなければいいけど」

 夜の入口、薄ら寒さに身をふるわせる。西の空の一等明るい星の周りに、もう別の星が顔を覗かせていた。

「……いつかあの星も、落ちることがあるのかね」

 刻一刻と迫る夜が連れてきた不安に、俺は感傷的なことを口走る。

「金星が落ちたりなんかしたら、その時こそ人類は本当にお終いだよ」



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