春の惑星

雨世界

1 それは、まるで奇跡みたいな出来事だった。

 春の惑星


 愛のために。

 ……あなたのために。


 質問 愛について


 あなたは愛と言う現象をどう定義していますか?


 無重力


 よく見ればさ、世界は愛で満ちているね。


 最近、とても体が軽くなった気がする。

 それはどうしてだろう?

 自分でもよくわからない。

 でも、確かにそう感じる。

 まるで重力から解放されたみたいに体が軽い。……心が軽い。


 それはとても嬉しいことだったのだけど、私はその理由が知りたかった。

 私の体が軽くなった理由。

 私の心が軽くなった理由。


 それはいったいなんだろう?

 そんなことを私はずっと眠りの中で考えていた。


 ……深い、真っ暗な眠りの中で。

 ずっと、そんなことを考えていたのだ。


 小惑星


 あなたのことを考えると、私の胸はとても苦しくなります。


 目を開けると、そこは宇宙空間の中だった。

 永遠と続く真っ暗な世界の中に、私は一人ぼっちでそこにいた。宇宙服などは着ていない。宇宙船なども近くにはない。

 私はいつもの私のままで、宇宙の中を、まるで水に満たされている真っ暗で透明な海の中を漂っているかのようにして、ゆらゆらと、穏やかな波に揺らされるようにして、……そんな空間に一人で丸くなって浮かんでいた。

 まるで、一つの偶然生まれた泡のように。あるいは、海の表面に生まれる波しぶきの一粒の雫のように。


 私の思考は、なんだかすごくぼんやりとしていた。

 眠りから覚めたばかりで、まだ、いろんなことがはっきりと思い出すことができないような、そんな曖昧とした思考の中に私はいた。


 目の前には、小惑星があった。

 名前はよくわからなかったけど、そのごつごつした灰色をした大きな岩のような塊は、図鑑やなにかの映像で見たことのある、あの宇宙を漂っている小惑星に違いないと思った。

 そんな名前もわからない小惑星の近くの宇宙を小さな白い点のようなものがゆっくりとした速度で、孤独に、一人ぼっちで進んでいるのが見えた。

 あれはなんだろう? と思ってよく見てみると、それは一つの人工衛星だった。孤独な一人ぼっちの人工衛星。(あるいは、人工衛星ではなくて、惑星探査機とかそういう名前の機械なのかもしれないけれど……)

 私はぼんやりとした意識のまま、その孤独な人工衛星が宇宙を、ゆっくりとした速度で進んでいく光景をただ、黙ってじっと、しばらくの間、その場所から見つめていた。

 やがて、孤独な人工衛星は私の目からは見えなくなった。

 ……宇宙には、私と、それから名無しの小惑星だけが、残された。


 私は自分の目の前に浮かんでいる一人ぼっちの小惑星を見て、……孤独なのは人工衛星だけではない。私もこの名無しの小惑星も、孤独なんだと思った。

 宇宙の中に一人ぼっち。

 なんの音も、誰の声も、(あなたの声も、私自身の声も)聞こえてこない。

 私は小惑星をじっと見つめた。

 小惑星はただ、そこにあるだけだった。私のことを自分のそばに引き寄せようとも、どこか遠い場所に突き飛ばそうともしなかった。小惑星は、ただの大きな石ころみたいに宇宙に浮かんでいるだけの、衛星だった。私がこの場所にいて、あなた(小惑星のことだ)のことをじっと見ていることなど、全然、わかっていないようだった。


 私は、なんだか小惑星のことがだんだんと嫌いになっていった。

 なんでこんな場所に小惑星なんかがあるのだろうと思った。

 私は別に小惑星のことなんて好きじゃないし、もし、同じようにどこかの衛星や惑星の前で目が覚めるのだったとしたら、地球とか、水星とか、火星とか、金星とか、木星とか、土星とか、フォボスとかダイモスとか、ガニメデとかカリストとかイオとかエウロパとか、……あとは月とか、太陽とか、まあどこでもいいんだけど、そういった衛星や惑星の前で目覚めたいと思った。

 私はなんだかむしゃくしゃして、小惑星が本当に嫌いになった。

 小惑星の姿なんて見たくないと思った。

 だから私は、小惑星なんか消えちゃえ!

 と、心の中で強く思った。

 すると、私がそう思った瞬間に、小惑星はふっと、一瞬で、本当にあっという間に、(まるで最初からその場所に小惑星なんてなかったみたいに)私の目の前から消えてしまった。

 ……私は、消えてしまった、この宇宙からなくなってしまった、小惑星の消えてしまった真っ暗な宇宙空間を見て、あ、と思った。

 私は、小惑星が消えてしまったことを後悔した。

(私はすごく悲しい気持ちになった)

 でも、そのあとで私が後悔をして、もう一度、小惑星と会いたいと思っても、もう二度と、小惑星は宇宙の中にその姿をあらわすことは決してなかった。

 ……だから、私は宇宙の中で一人ぼっちになった。(孤独なのは、やっぱり私だった)


 私は、自分が確かに誰かとしっかりとつながっている。そう信じていたかった。

 ……これは、夢だろうか? それともこれは、……私の本当の現実だろうか? (夢だったらいいな。現実だったら、すごくいやだな)


 なんだかひどく疲れてしまった私は、真っ暗な宇宙の中で、できるだけ小さく丸くなって、また目を閉じて、そんなことを考えた。私は眠ろうと思った。安心できる眠りの中に逃げ込もうと思ったのだ。でもいくら待っても、私に安息の眠りは訪れなかった。なぜか私は、全然眠くならなかったのだ。


 宇宙を飛ぶ孤独な白い彗星


 ……ずっと、誰かを探しているような気がする。


 ……やっぱり、眠れない。

 しばらくして、眠ることを諦めた私が目を開けると、世界はやっぱり真っ暗なままだった。(目を閉じていても、開けていてもあんまり私の見ている風景は変わらなかった)

 私はしばらくの間、そのままぼんやりとなにもすることもなくて、そのまま宇宙の中に一人ぼっちで浮かんでいた。


 それからどれくらいの時間が経過したのだろう? (正確な時間はわからないけれど、結構長い時間がたった気がする)

 しばらくして、私はまた最初に小惑星を見ていたときと同じように、少し遠くにある宇宙を飛んでいる不思議な物体の姿を見つけた。

 ……あれは、なんだろう?

 そう思ってよく見てみると、……どうやら、それは『孤独な白い彗星』のようだった。(今度は、人工衛星ではなかった)

 私は宇宙を飛ぶ孤独な彗星の姿を見つめた。

 それは白い光の尾をひく大きな、……大きな彗星だった。


 それは、人工衛星が飛んでいった方向とは真逆の方向に向かって、宇宙の中を一定の速度で、ゆっくりと進んでいた。

 人工衛星が飛んできた方向と真逆ってことは、あっちには地球があるのかな? と、私は思った。詳しいことはわからないけれど、普通に考えれば、そちらの方向には人工衛星が宇宙に向かって打ち上げられた場所である地球があるはずだと私は思った。

 私は、宇宙を飛ぶ彗星の姿を見ながら、しばらくの間、考えた。


 そしてあるとき、本当にその瞬間、ふと私は、『地球に帰ろう』と思った。


 あの彗星についていけば、もしかしたら私は自分の故郷の星である地球に帰れるかもしれないと思ったのだ。

 真っ暗なままの、永遠の孤独が続いているような宇宙の中をむやみに動き回る気にはどうしてもなれなかったのだけど、あの白い彗星についていけばなんとかなると思った。

 あの白い彗星が、目印となって、私を地球のある場所まで導いてくれる、ような気がしたのだ。

 そんなことを考えていると、なんだかすごく力と勇気が湧いてきた。


 今すぐにでも地球に帰れるような気がしてきたのだ。


 真っ白な尾を引く彗星は、一定の速度で真っ暗な宇宙空間の中を飛んでいた。私は宇宙の中をゆっくりと泳ぎながら、そんな彗星のことを見失わないようにして、彗星のあとに向かって、進んでいた。


 それから、いろんなところを旅しながら、私はようやく目的の星を見つけた。


 そこには誰かが流した大きな涙の粒みたいな地球があった。


 私はずっと私の視界の中にあった真っ白な彗星に、ありがとう、さようならと言って、別れを告げて、(ちょっと悲しかった)それから地球に、ごめんなさい、ただいまと言って、私が遠くの宇宙から故郷の星に帰ってきたことを告げた。(真っ白な彗星は私にさようならも言わないままで、地球の横を通過して、それからまた宇宙の彼方に飛んで行ってしまった)


 ……私は、あなたのいる星に無事に帰ってくることができたのだ。


 そのことがすごく、本当にすごく嬉しかった。


 春の惑星


 私はあなたと一緒に生きることにした。


 孤独な人工衛星


 それは、まるで奇跡みたいな出来事だった。


「人工衛星って、初めてみたけど、こんな不思議な形をしているですね。それに思ったよりも、ずっと大きいんだ。人工衛星って」

 巨大な展示物として、飾られているもう現役を引退した本物の人工衛星の姿を見て、春は言う。

「そうだよ。結構実物は大きいし、どれも個性的で、面白い形をしているんだ」にっこりと笑って、芝生は言った。

 春はいろんな人工衛星の写真が載っている展示物のコーナーに目を向けた。そこには歴史上の古い順番からいろんな形をした各国の人工衛星の写真が、簡単な説明文とともにずらりと並んでいる。

 有名なものだと、スプートニクとか、カッシーニとか、ガリレオとか、あとは日本のはやぶさなんかもそこには写真が載っていた。(ほかのものもたくさんあったけど、春にはよくわからないし、よく知らないものばかりだった)

「芝生さんは、ここにある展示物の名前。全部わかるの?」春は言う。

「うん。一応わかるよ。宇宙好きだし。勉強もしてるし。あと、人工衛星だけじゃなくて、衛星とか、遠い銀河の星の名前とか、写真で見るブラックホールの姿とかも知っている」嬉しそうな顔をして芝生は言う。

「そうなんだ。すごいな」

 春は歩きながら言う。

 芝生はそんな春の少し後ろを歩いている。

 春は現在、大学の一年生。そして、芝生は大学院の二年生だった。(修士二年生だ)

 年齢でいうと春は今年十九歳。芝生は二十六歳だった。(芝生は二年、浪人していた)二人の年齢は七歳も離れている。そんな二人がこうして知り合いになったきっかけは、芝生が春の家庭教師として、春の両親に雇われて、約一年の間、春の部屋で仕事をしていたことがあったからだった。

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