第8話 これまでよりこれからを見据えて(1)

 りっちゃん——もとい橘さんが欠勤した日から二日目の月曜。普段は放課後の部活でバイトに出られない彼女だが、今日は祝日ということで夕方のシフトに名を連ねている。

 破局してから初の対面。更に前回は(恐らく)俺のせいで休んでるので、正直今すぐ逃げ出したい憂鬱感に苛まれている。

 男三人で午後の業務をこなしていると、17時まで残り10分に迫り、本日紅一点の美少女スタッフが姿を現した。


 

「おはようございまーす♪ あっ、店長、先日は申し訳ありませんでした」


「おはよう橘さん。誰でも体調は崩れるから、気にしなくていいよ。その分頑張ってくれた石切くんに、あとでお礼言っといてね」


「はい、かしこまりました♪」


「今日はベテランの諏訪くんもいるから、くれぐれも無理はしないように頼むよ」


 

 明るい挨拶と共に入店した彼女は、すぐさま責任者の下に駆け寄り、深々と頭を下げる。その後俺や先輩スタッフの諏訪さんにも会釈し、すみやかに出勤準備に取り掛かる姿は、文句無しに完璧お嬢様。20歳の俺でさえ、あんなに爽やかな挨拶はできた試しがない。

 店長と入れ替わる形で売り場に出てきて、最初に彼女が赴いたのは俺の持ち場である。

 


「石切さん、ご迷惑をお掛けしました。フォローしてくださって、本当にありがとうございます」


「迷惑だなんて思ってないよ。それより体調は平気?」


「はい♪ すっかり良くなりましたので、今日こそ頑張ります!」



 何一つ変わらない笑顔で、意気込みも充分。関係に終止符を打てたのか不安になるほど、の距離感で始まった。

 とりあえず約束を守ってるのだろうとほっとしたのも束の間、品出し中の俺に強烈な違和感が押し寄せる。

 


「レジは諏訪さん一人で問題無さそうなので、このお惣菜一緒に出しますね」


「あぁ、うん。ありがとう」


「あっ、そこのプライス値札落ちそうですよ?」


「ん? どこの——って、ちょほぉーっ!?」


「どうしました石切さん?」

 


 これまで通り距離感だった。

 それでなくても166センチしかない俺は、彼女との目線の差なんて3、4センチあるかどうか。なのに顔面の斜め上まで横切るように手を伸ばされたら、肩は当たるし頬と頬までくっつきそうで、思わずズザッと下がりながら変な声を上げてしまった。

 什器オープンケースの前で首を傾げる橘さんを、俺は理解できない。付き合ってた当時は喜んでたけど、別れた相手との接し方ではないだろう。長い髪からフワッと漂ういい香りも、できれば思い出させないでくれ。

 しかし彼女はしゅんとした様子と不思議そうな目で、こちらをチラチラと窺っていた。



「あの……今の行動、おかしかったですか?」


「さ、さすがに密着するのはマズいよね。他の人にはやらないでしょ?」


「はい。口で伝えるか、後ろから回り込んで直します」


「そうそれ! そういう配慮がほしい! だって俺達はもう——」


「私に触れられるのはイヤですか?」


「………うん。少なくとも、他の男に同じことができる君にされても、いい気はしない」


「分かりました。気をつけますね」


 

 橘さんは宣言通り、この後はどの業務をしていても間隔を保ってくれた。

 思えば付き合う以前もこうしたことは度々あって、その都度間近で見た彼女に惹かれていった節がある。よくよく考えると結構危なっかしい子だな。それか単純にビッチなのか。後者だとしても、もう俺は疑わない。清楚系ビッチってジャンルもあるくらいだからな。

 外は完全に日が沈み、夕飯時で客足が減り始めた頃、休憩を回すことにした。まずは諏訪さんから入ってもらい、レジに残される俺と橘さん。妙に広がってしまった空間に居た堪れず、気晴らしにサッカー台を拭いていると、ボソッと話しかけられた。

 


「さっきはごめんなさい。私の考えが至りませんでした……」


「もういいよ。でも相手くらいはちゃんと選んだ方がいいと思うよ?」


「誰にでもではありません! 石切さんは特別で……そばにいると安心するんです」


「今付き合ってる彼氏の前でもそれ言えるの?」


「……分かりません。彼とはどういう関係と言うべきなのかも」


「あんなにベタベタしてたら、はたからは恋人同士にしか見えないけどね」


 

 会話しながら徐々に近付いてきており、手を伸ばせば届くぐらいの位置に並んでいる。いつの間にか掃除をしていた身体も停止して、彼女の主張に耳を傾けていた。


 

「あの人とは幼馴染で、昔からああいう接し方でした。お互い特別な感情は無く、私が別の人と付き合っても、彼の対応は一切変わったりしません」


「なにそれどゆこと?」


「二人で遊んだりする間柄ですが、恋愛とは違うんです。ですが嫌がられると思い、恋人ができた際は彼のことを隠すようにしています」


「そりゃあ嫌だよね。なんか俺が当て馬みたいじゃん」


「……ごめんなさい。そう思わせてしまった私が全面的に悪いんです。ですがこれだけは言わせてください! 私が好きなのは——」


 

 橘さんが必死な面持ちで訴えようとしたその時、入口から来店ベルが鳴り響く。咄嗟に姿勢を正して「いらっしゃいませー」と呼び掛けるものの、入ってきたのはまさかの貴船さんだった。彼女は嬉しそうに手を振りながら歩み寄ってくる。

 


「石切くーん、いらっしゃいましたよー☆」


「こんばんはー。またアイスですか?」


「おぉー、すごい! 大正解でーす♪ 橘さんもこんばんはー!」


「こ、こんばんは。今は従業員でもあるんでしたっけ……?」


「そっかぁ、お客としてしか会ってなかったね。アルバイトの貴船愛華です。よろしくね、橘さん」


「あ、はい。橘莉珠と申します。こちらこそよろしくお願いします」


 

 別々の時間帯で働く二人には接点がなく、スタッフ同士としては初めての顔合わせだったらしい。頭を下げる貴船さんの左手には、マイバッグとは違うような布製の袋が握られている。なんだろうかと眺めていたら、彼女がそれを俺の前に差し出した。

 


「はい、石切くん。今回もついでに持ってきたよー♪」


「えっ、またわざわざ手料理を!?」


「だってキミ、放っといたら飢え死にしちゃうもん」


「気持ちはすごくありがたいですけど、今日はご主人もいたのでは?」


「あぁ〜、飲み会行ってるから、ぜ〜んぜんへーきだよ〜。全く問題なーし!」


「あのー……石切さんと貴船さんって、どういうご関係なんですか?」

 

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