第4話 まるで聖母様を装った小悪魔みたいで(2)
食卓に並べられたのは、昨日頂いて食べ損ねた肉じゃがと炒め物
こんなにしっかりした食事はいつ以来だろう。飲みに行けば飲んでばかりだし、節約の為にあまり外食はしない。かと言って自炊が得意なわけでもないから、
恐る恐る箸を手に取り、湯気が立つスープを一口含んでみる。
「
「なんかグルメリポーターみたいだね。気に入ってもらえて良かった♪」
次にホクホクのジャガイモを味わってみると、これまた素晴らしい。基本に忠実な味付けなのか、懐かしいのに唯一無二の、まさにお袋の味。肉じゃがを摘む箸が止まらず、頬張った後にご飯を搔き込むと益々美味い。
子供の頃からこれが大好きで、よく部活後の腹ペコ状態で爆食いしてたっけ。あの当時は何も考えず、ただ生きてるだけでも
今の俺にはとてつもなく遠い所に感じる。女子高生に遊ばれてるフリーターにとって、結婚なんざ夢のまた夢だ。ちょっと伸ばした指先からも気力が抜け落ち、最早地面に這いつくばってるだけ。情けないよなぁ、俺って奴は。
混ざり合う感情に心が悲鳴を上げる中、穏やかで心地好い声が鼓膜に届いた。
「そんな顔して食べてたら、ご飯がしょっぱくなっちゃうよ?」
「………え?」
気付けば自分の両目から涙がダラダラ流れており、渡されたティッシュを押し付けて
やっぱ無理だよ。りっちゃんの裏切りは辛くて、自分の愚かさにもうんざりなのに、そこにぬくもりがジワジワ沁み込んでくる。手料理は最高だし、貴船さんの気遣いが優し過ぎるもんだから、色んな想いに胸がざわめいて耐えられない。
食事を中断した手で顔を覆い隠していた。
「必死で我慢してたんだね。あたしでよければ話聞くから、もう泣かないで?」
「ごめんなさい。俺、甘えてばかりで、独りじゃなんもできなくて……」
「みんなそんなもんだよ。一体何があったの?」
「うっ……か、彼女に……二股かけられ……て……」
「あー、あの噂ってホントだったんだ」
「ふぇ……? 噂?」
「石切さんと橘さんが交際中らしいって、パートさん達の間でも話題になってたんだよねぇ」
べそかいたままの俺の話を、彼女はしっかり聞いてくれた。聞いた上で出てきた新情報が、俺達の関係について知れ渡ってたこと。
この続きには耳がズキズキ痛めつけられる。
「あたしがこの部屋で暮らし始めて二年ちょっとになるけど、橘さんの隣にいる男子って、ちょいちょい変わってたからね」
「え、ガチっすか?」
「うん。橘家はこの辺りだと有名だし、そんな遠くないからさ、あぁ〜あの子かぁって前から知ってたの」
「へ、へ〜……ちょいちょい変わる……男が変わる……りっちゃんの隣はちょいちょい………マジかぁ」
怒りも悔しさも絶望感もなく、ひたすら呆れてしまった。料理の横に突っ伏した今、もう二度と顔を上げたくない。
男を取っかえ引っ変えしてる女子を相手に、俺はどれほど浮かれてたんだろう。こんなに可愛い彼女がいて、世界一の幸せ者じゃん——とか、つい最近まで思ってたんだよな。ガチで脳内お花畑だろ。
涙は枯れ果て、仕方なく唸り声で代用してると、不意に頭に柔らかな感触を覚える。まるで幼い頃の記憶を呼び起こすような、包容力溢れる
伏した目をゆっくり戻すと、慈愛に満ちた女神様が覗き込んでいた。その状態で彼女の右手が、俺の頭を撫でている。
何がどうしてこうなった?
目の前の残念男が憐れ過ぎて、同情心でも煽ったのか?
瞼をパチクリさせていると、貴船さんが突然耳元に寄ってきた。
「慰めてあげよっか♡」
「えっ? ちょっ、ダメでしょダメダメ!! 何言ってんすか! これ以上からかわれたら死にますよ俺!?」
「……ごめんね。イヤな悪ふざけだったよね」
「いえ、こちらこそすみません、本気にしちゃって。貴船さんの心遣い、すごく嬉しかったです」
「そろそろ立ち直れそう?」
そう訊いてきた時の笑顔があまりにも眩しくて、身勝手な鼓動が俺をけしかけようとする。
彼女が何を考えてるのかは分からない。けれどこの甘い空気に溺れてしまえば、取り返しがつかなくなる。それだけは間違いない。大体さっきのも悪ふざけだって言ってるんだから、全て俺を元気付ける為の行動だ。誘われてるとか勘違いするのは、童貞の悪い癖だぞ。
できるだけ明るい表情で返答した後、残りの料理を丸ごと腹の中に収めた。
「おー、すごいね! 全部食べてくれたんだ♪」
「こんなに幸せな満腹感は久しぶりです。ご馳走様でした」
「また落ち込んだらいつでも言って。石切くんの分くらいサクッと作っちゃうからさ♪」
「それはさすがに……」
「気が引けるならあたしの舎弟にでもなる? そしたら問題ないでしょ?」
「いや、それはそれで大問題っすよね。てかなんで俺の為にそこまでしてくれるんすか?」
「そうだねぇ……強いて言うなら、
ウインクしながら小悪魔っぽく告げた貴船さん。これもタチの悪い冗談なのだろうか。特に身に覚えがないし、恐らくそうだろう。
絶対数であれば感謝の数値が明らかに大きいけど、相対的に危うさの割合も増してきた。ここらで退散しておかないと、俺の理性が制御不能になりかねない。
そそくさと帰宅の準備をしてしまい、礼を言って立ち上がった。玄関まであと一歩というタイミングで、首筋から腰へと滑らせるように触れられる。振り返った先には、俯いた艶めく髪が映り込んだ。
「またキミに……来てほしいんだけど……」
「……はぁ、分かりました。励ましてもらった恩もあるんで、しばらくしたらまた」
「ホントに!? すっごく嬉しい♪」
「だけど純情な
「なるべく善処しまーす♡」
「それ、直す気ない人の言い方っすね……」
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