第3話
頭がぼんやりする。
神経が拒否反応を起こして、外界への反応をシャットダウンする。
友達といても無表情で寂し気な私には、心を開いてくれる人はいない。五分と一緒にいる時間を楽しんでくれる人はいない。
ベンチのひんやり感だけが、私を外界と繋いでくれている。
朝起きて、頭に入らない授業を受け、空腹のお腹を抱えながらお昼を過ごし、苦手なバイトをこなし、家に帰っても母親の帰りに怯える日々。
ここ、ベンチの上だけが自分だけの時間を味わう事が出来る。
数年前に、今風のお洒落な見た目に改装された小さな駅は、帰りが遅いサラリーマンや遅出のバイトの若者達を吐き出している。
あの人達は、どこに行っているのだろうか。あの改札口は、魔法のように多くの人達を吸い込んで、別の世界に送り込んでいる。それは、一時的にではあれど、自分の家以外の場所に行く為のカボチャの馬車。また、戻って来ないといけないけど、毎日数時間は、自分の自由な時間を手に入れる事が出来る。家や学校やバイトに縛られない夢の時間。
学校が自分の心に襲い来る。
朝起きれない。母親がいる内は起きたくないというのもある。帰ってなければ、少しは圧もかからないというのに。
只、母親は帰って来るとしても、いつも夜遅く、必ずと言っていい程酔い潰れているから、朝早くから目を覚ます事は無いのだけど。
隣の部屋にいるだけでも針のムシロ状態。
朝食を準備する姿は見た事無い。お弁当なんか、作る訳無い。学校の遠足は、全て惣菜パン。最近では、慣れてしまって、恥ずかしくて隠す事すらもしない。
キッチンの百均カゴに無造作に置かれているパン。
お昼用にもうひとつだけカバンに入れて家を出る。朝食は食べない。そんな余裕は無いから。お茶は、水筒に水道水を流し込むだけ。
遅刻した。
自転車で約二十分。通勤する人達も少ない、学生もいない道を快適に走る。
柴犬の散歩をしているおじいちゃん。たまにどっちの散歩か分からない時がある。
半ば倒れ掛かっているお店の準備をしている個人商店。儲けの為というよりも毎日の日課を止められないような感じ。
六月の刺すような陽の光が制服を通して、直で体温を上げる。
高校三年生。進路は、まだ決まらない。
というか、搾取されるだけのお金を稼ぐ方法を探すだけ。
いつまで、続くのか。
そこに、将来への希望なんか無い。
あの女早く死ねばいいのに、と思わない日は無い。
「また、遅刻? 単位大丈夫?」
一応、声を掛けてくれる友人っぽい人はいる。本当に気に掛けてくれているとは思わないけど。
女性は、自分の見た目を気にするあまり、他人を見て安心したい生き物。他人が自分よりも良い思いをしていると分かると、平等で無いと心が騒ぎ立てられる。自分よりも嫌な思いをしていると思い込みたい為に噂話にも食らい付く。
人を見下すのが大好きな人達。自分と違う考えをこき下ろす美白クリームの下の本音。
噓くさい心配面(しんぱいづら)よりも無視されている方が気楽なのに。
クラスにひとりはいる、真面目な委員長タイプかお義理の委員長。
ウザイ。ウザイ。ウザイ。
同級生という切りたくても切れない関係。ここにいる間は我慢しなければならない。
自分に勇気さえあれば、簡単に切れる筈なのに。
「うん。大丈夫。ちょっと寝坊しただけ」
私は、家の事を誰にも話した事が無い。こんな事、誰に話しても何の助けにもならない。
お金が無いなんて言っても、誰も手助けしない。
父親に連絡しようにも、音信不通。
母親は、クズ。
安っぽい同情は貰えても、喉から手が出る程欲しい助けは決して届かない。あっという間に時間潰しの噂話になり、自分が貶められるだけ。
「そう? 体調が悪かったら、いつでも言ってね」
「うん。ありがとう」
空腹が声から力を失わせている。同級生が気を付けて耳を近付けないと聞き取れないくらいの微かな吐息。
そうしていると、廊下を通りがかった担任が私を呼んだ。
「瀬南(せなみ)、登校したのか。ちょっと、職員室まで来てくれないか」
四十代の若作り。テンション高めの生徒思い、言わばリーダー気質の盛り上げタイプ。こういう教師は、得てして一部の女子生徒からの人気が高い。グイグイ押して来る陽気なキャラ。
私は、苦手。
人間、誰しもあなたのように楽観的になれない。それは、性格だけで無い。育った環境がそうさせてしまった。そんな世界を創造も出来無いのだろう。自分の思い込みひとつで何もかも上手く行くと勘違いしている。
あなたの生きる世界に、私も参加出来るとは限らないのよ。それが予想出来無い時点で、あなたは私を救う事は出来無い。
「今日も寝坊か? よく寝るな。夕べ、ゲームし過ぎたか?」
屈託の無い表情で気楽に話し掛けて来る。いや、そんな訳無いっと分かってるくせに。
「冗談は、さておき。このまま遅刻が続くと、卒業も出来無いぞ」
冗談はいらない。
でも、高校は卒業しないといけないと思っている。
この世界で長生きしても良い事は無い。いつ死ぬか分からないから、取り敢えず、それまでは生きないといけない。別に死の願望は無いけれど、あの家は心の牢獄、私の心を少しずつ穢して行く。
そうね。母親は、私が死ぬまで私から何もかも奪い取る。ならば、幾らいい仕事を見付けたとしても、私には何の意味も無い。
「高校を卒業して、私に何があるのでしょうか?」
つい、口に出してしまった。
隣の現代社会の中年女性教師が怪訝な表情でこっちを盗み見た。
「瀬南(せなみ)。お前の家の事情は分かっている。しかし、今のお前には、高校卒業という大事がまだ分からないんだ。いいか。大学は難しいとしても、高卒と中卒とでは大きく違う。中卒を雇ってくれる会社なんて、そんなに無い。いや、男なら力仕事があるだろうが、女性はそんなに無いだろう。高卒なら、まだ職はあるし、資格を取れば、もっと上を望める」
「私の母は、大学を出ました。でも、今は知り合いのお店でバイトをしています。父親は、良い大学を出たそうです。でも、私達を捨てました。学歴って、そんなに良いものでしょうか?」
「そりゃあ、そういう人も中にはいるだろうけどな……」
厄介な口答えに良い気分では無さそう。
「中卒だと、もっと辛い人生が待っているんだぞ」
生徒を説得させる為のオーソドックスな展開。
でも、今の私には響かない。
「お母さんは、相変わらずなのか?」
取って付けたような言葉。
以前、私の様子を見て家庭訪問をした事がある。幾ら呼び出しても母親が学校に来なかったからだ。
それ以来、先生は、母親に関わるのを止めている。
例え聖職であろうと、好き好んで腐ったモンスターに近付く人はいない。
酒のせいで何度か警察の世話にもなった。お店でお客を喧嘩したり、男の事で問題を起こしたり、私に暴力を振るったりした。
余りの事に精神病院に入れて貰えないか考えた事もある。でも、親戚は周りの目もあって、私の言葉をまともに聞いてくれなかった。
大人は、自分の都合を第一に考えて、余裕があった時にようやく他人に思い遣れる。
誰も頼れない。
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