収穫の時

 ファーマル星人は大ボケで非常識な馬鹿野郎だが、彼らが地球人類とコンタクトを取って以来、世界は大きく変わった。

 つまりあらゆる貧困が撲滅され、あらゆる病魔が鳴りを潜め、あらゆる人々が少しだけ幸せになった。

 そしてその結果、俺は傭兵稼業を首になった。

 これでも相当腕の良い傭兵だったのだが、世界から戦争がほとんど無くなったのじゃ仕方がない。


 アタッシュケースに愛用の武器を詰めこみながら今後の人生を考えていると、ドアベルが鳴った。開けてみるとそこに立っていたのは国防省の支局にいた頃の上司だ。

 ちょっとばかし平和ボケしていたのは認める。迂闊にも武器を手放したままドアを開けてしまったのだ。きっと俺の昔の仕事か何かの関連で、俺を消す必要が出てきたんだろう。若いときには相当に無茶苦茶やったからむしろ当然だ。

 反射的に繰り出した右フックは防がれたが、左肘は見事に入った。そこで俺は間違いに気づいて倒れた元上司を引き起こした。元上司は一人で来ていたんだ。つまりこれは作戦行動じゃない。俺を消すことが目的なら完全武装の一分隊を引き連れてきているはずだ。

 元上司は鼻血を流していたが俺に抗議はしなかったし、俺も謝りはしなかった。どちらも悪いし、どちらも責められる筋合いはなかったからだ。これはまあ職業に付きもののいわゆる不幸な事故ってヤツだ。

 上司は自分の痛む鼻を抑えながら言った。

「仕事を持ってきた。君にしかできない」

「何です?」

「ファーマル星人の案内役だ。これは向こう側からのじきじきの要請だ」

 単刀直入で大変によろしい。だから俺はすぐに断った。ファーマル星人はあれだ。股間にドリルをつけたあの変態ロボットを作り出した奴らだ。以前にファーマル星人の写真を見せて貰ったことがある。それは人間よりも大きなゾウリムシとでも表現するべきものだった。

「だいたいどうして俺なんだ?」

「彼らは地球に関するあらゆる情報を持っている。それはもう空恐ろしいほどだ。彼らは暴力に関する君の経歴に興味を持ったらしい」

 それから元上司はにやりと笑い、報酬の金額を提示した。それは国家予算と勘違いしそうな額だった。

 俺は二つ返事で承諾した。



 ファーマル・アンドロイドはジョージと名乗った。股間にドリルのあるあいつだ。

 あの衝撃的なファーストコンタクトの後、一年毎に彼らは暴力とセックスの『深いコミュニケーション』のために地球を訪問した。五年間の間にあらゆる独裁者が面目を失ってこの世界から消えていった。

 なにせ彼らの技術で全世界の空中にスクリーンが投影され、国民のすべてがそれを見ることになったのだから。下半身を裸にされた独裁者の後ろでアンドロイド・ジョージが股間のドリルを回転させながら腰を振るのだ。それだけでどんな威厳も粉々に砕かれてしまう。もちろんこれは独裁者にとって致命的だ。

 民主主義陣営はもっとしぶとかった。むしろ犯された政治家には同情の言葉が集まり、人々はそれでも人前に出て政治活動を行う彼らをあざ笑いながらも同時に賞賛もした。

 奇妙なものだ。

 一時期股間にドリルを飾るファッションが流行もしたが、ファーマル星人を馬鹿にしているとの理由からどの政府もこれを禁止した。

 まあ俺に言わせればファーマル星人はそんなことをちっとも気にしていなかった。ただ興味深くこの流行を観察していただけだ。彼らにはユーモアの感覚はない。ただ生真面目な学術研究の興味があるだけなのだ。


 混乱と再統合の五年が経過した後に、彼らは『さらにより深いコミュニケーション』に入ることに決め、アンドロイド・ジョージを地球に常駐させることに決めた。

 そのお目付け役として俺が選ばれたのだ。

 選んだのはファーマル星人そのもの。理由は不明だ。


「ようこそ。ボブ・マーリイ」

 そのアンドロイドは俺の名前を呼ぶと右手を差し出した。こいつ、どうして国防省でさえも知らない俺の本名を知っている?

 アンドロイドの外見は衛星放送で見た姿とは違っている。それは俺の疑問に鋭くも気づいた。それも道理。今では十分に理解しているが、彼の顔の背後には超空間通信で繋がった何億というファーマル星人が控えているのだ。人類には作ることもできない超コンピューターが周囲の人間の表情を常に分析している。

「ああ、バージョンアップしたのです。私の皮膚は可塑性がありどのような姿にでも変形できるのです。股間ドリルも今は収納しています。あなた方の国の大部分では公共の場でのドリルの露出は違法のようですし」

 嘘吐け。最初から違法だってことは知っていた癖に。

 そうは思ったが口には出さなかった。何と言っても相手は雇い主だ。それも高給の。

「ようこそ、ジョージ。一つ教えて貰えるかな?」

「何でしょう?」

「どうして俺なんだ?」

「その答えは簡単です。我々は人類すべてを長い間観察してきました。そして人類の特質である暴力とセックスに関してもっとも良く理解しているのがあなただと結論したのです」

「観察だって? あなたが俺の何を知るというのですか?」

「すべてを」ジョージは淀みなく答えた。「信じてください。我々はもう一万と二千年および三か月十一日四時間五分三秒前からあなた方人類のすべてを余さず観察してきました」

「いったいどうやって?」

「こうやってです」

 ジョージが指を伸ばすとその先端に小さな羽虫が止まった。

「小虫サイズ超小型監視ドローンです。これが地球表面すべてに1平方フィートにつき一匹程度散布してあります。他にも細菌型の群生ドローンなどもあります。これなどは室内の埃に紛れて人類の観察が可能です」

 無茶苦茶だ。人類にはもう一万年もプライバシーは無かったのか。


 神、空にしろしめす。なべて世はこともなし。まったく、呆れたものだ。



 まあそういうわけで、俺はジョージのボディガードになった。

 ボディガードと言ってもジョージ自体は地球人類のどんな兵器を使っても破壊は不可能だ。俺の役目はその逆でジョージが人間にやることが限界を越えたときそれを止めるのが役目だ。あくまでもやんわりと注意するぐらいだが。

 もう一つの役目はどこかの馬鹿がジョージに教えてはいけない類の新しい暴力とセックスの興味を提供するのを防ぐことだ。ファーマル星人は異星人だけあって人間の常識というものをまったく理解していない。だからファーマル星人にとってはちょっとした学術的興味の実験が、場合によっては大虐殺に発展しかねない。

 もっともその後に全員すぐに生き返ることになる。ファーマル星人の分子生物学はそこまで凄い。



 その日の夕刻、俺がオフィスに顔を出すと、ジョージが俺を待っていた。

「急いでください。すぐに出かけます」

 ジョージが宣言した。

 地球:ファーマル間での協定に従い、ジョージが外出するときはお目付け役としての国連異星高等弁務官が一人同行しないといけないことになっている。

 ファーマル星人の方が圧倒的に国力があるのだから好きにやればいいのに、ファーマル星人は協定を律儀に守ることに固執している。

 それぐらい彼らは地球人を大事にしているのだ。このろくでもない人間たちを。俺にはその心根がたぶん一生理解できない。

「いったいどこに行くんです?」

 オフィスビルの前で待っていた俺たち専用の無人専用車に乗り込みながら俺は訊いた。

 こいつは一般の無人タクシーに似せてはあるが、禁断のファーマル技術がふんだんに使われている特製だ。核兵器程度の直撃ではびくともしないし、行こうと思えば山の頂上でも海の底でも自由に行ける。その気になれば地球を貫通して裏側にだって行けると俺は想像している。

 座席に乗り込むと周囲をふんわりと慣性中和フィールドが掴む。これで車が時速500キロで壁に衝突しても俺が死ぬことはなくなった。

「前から熟成を待っていた案件がついに熟したのです。急がないと取り入れが間に合いません」

「イチゴ狩りにでも行くのですか?」

 どうも話が見えない。ファーマル星人がそんなことに興味があるとは思えなかった。

 そのときの俺はまだファーマル星人について良く理解していなかった。

 取り合えず何を狩りに行くのだとしても胸のホルスターの中の銃は頼りになる。腰にさり気なく隠しているキロトン爆弾もだ。ワンマン・アーミーという言葉があるが今の俺がそれだ。


 専用車は驚くべき速度で走った。恐らく世界中のあらゆるスピード違反の記録を破ったに違いない。ファーマル星人には地球政府から完全なる非逮捕権が与えられているので警察が動くことはない。そうなるように俺をサポートしている部門があらかじめ警察に連絡している。

 その連絡内容はきっとこうだ。

『股間ドリルを持ったアンドロイドが今夜時速三百キロで暴走しますが手を出さないでください』

 もちろん、よほどのマゾで無ければファーマル・アンドロイドに手を出したりはしない。正直なところ近づくのも嫌だろう。俺だってより深いコミュニケーションをジョージに迫られたらその場で自殺するつもりだ。彼らの技術で死ぬことは許されないかも知れないが、試すだけはやってみる。


 車は郊外へと走ると、慣性制御装置だけにできる強引な機動で複雑な山道を素早く駆け抜け、やがてダムの上で止まった。

 このダムは本来は観光名所だが、今は大規模補修中で立ち入りが禁止されている。それも作業が完了寸前なので泊まり込みの作業員もいないと調査チームから報告が入った。つまり完全に無人なのだ。

 ダムの堤防上の駐車場には一台だけ車が駐車している。車止めを違法に抜けて来たらしい。

「急いでください。監視ハエからの報告ではもうそろそろ危ないです」

 車から降りるとジョージは走った。俺もジョージの後を追って走る。傭兵を辞めた今でもトレーニングは欠かしていないから、この程度は朝飯前だ。

 もっともジョージが本気で走れば人間の足では追いつけないし、俺にはジョージのように体の中に時間加速デバイスはついていないのでついていくのは無理だろう。



 右手に見えるのはダムの内側で豊かな水が並々と湛えられている。左側は切り立ったダムの壁だ。遥か下方で放水口から白く泡立つ水が噴き出している。

 ダムの縁の上にその二人は居た。男と女。女の方は驚いたような顔で俺たちとその男を見つめている。男の方は手に拳銃を持ってポカンとした顔で俺たちを見つめている。

「ああ、良かった。間に合った。デリル夫妻ですね。私はファーマル・アンドロイドのジョージです。こちらは私の担当のボブ・マーリイです」

 ああ、ジョージ。俺の本名を使うのは止めてくれ。その名前は色々やばいんだ。

「あんた達はいったい誰なんだ?」

 ミスター・デリルの方が聞いた。さりげなく手にした拳銃をこちらに向ける。銃の所持は禁止されていないが、今ではそれを所持する者は減っている。無意味だからだ。

 ファーマル星人が地球にもたらした医療技術は死人ですら蘇らせるほどのレベルに達している。正確に言うならばそれは蘇りと言うよりは再創造に近い。

「名前はすでに名乗りました。お願いですからどうか今まで行っていたことを続けてください。私たちはあくまでも、そう、見物人です」

「見物人? お前たちフザケテいるのか」

 それに応えてジョージが両手を上げてみせた。

「とんでもない。私たちは真剣です」

 正確に言うなら、ファーマル星人は、だ。俺はここで何が起きているのか良く分からない。

「説明しましょう。我々ファーマル星人の目的は貴方がたを観察することです。そしてより深いコミュニケーションを取ることです。我々は人類の本質をセックスと暴力だと考えています」

「何だ、いったい何を言っているんだ」

 ミスター・デリルは銃を脅かすかのように振り回した。

「我々は人類のすべてを観察しています。そして素晴らしいことに今回貴方が奥さんの殺害計画を立てていることを知りました」

 なるほど、このミスター・デリルは自分の妻を殺そうとしていたのか。俺はようやく納得した。


 今の時代、殺人はとても難しい。普通の殺し方ではファーマル医療技術が蘇らせてしまうからだ。特に記憶保存契約を結んでいる人間を殺すのは至難の技だ。政府は政策として一年に一度は無料で記憶保存処置を受けられることを保証している。さらに民間記憶保存企業の契約者は一か月に一度ぐらいの頻度で保存を行うのが普通だ。そして死んだときは再生した肉体に保存した記憶からやり直すことができる。

 このため殺人の目的の大部分がこれで台無しになってしまった。銃メーカーが一気に倒産したのがちょうどこの頃だ。今では銃は趣味の世界の産物だ。

 それでも殺人を行いたい者にはそれなりの工夫が必要になった。要は死体が見つからなければ再生は行われない。何年か経過して死亡が確実となるとようやく再生が行われる。そうしないと行方不明者の再生人間が何人も同時に存在することになってしまう。

 再生が決定されるまでの期間の間に保存した記憶か保存した細胞を何らかの方法で破壊できれば復活は妨害できる。

 恐ろしく困難だが、できないことではない。世界でも今までに少なくとも二例だけはこれに成功している。

 このミスター・デリルはその偉業に挑戦しているということか。


 ジョージは言葉を続けた。

「さあ、どうか今やろうとしていたことを続けてください。我々はそれを止めません。ただ見守るだけです」

 ミスター・デリルの顔が険しくなった。馬鹿にされていると感じたのだろう。この点、ファーマル星人は大ボケ野郎だ。惑星一つを丸ごと使って作り上げた人類心理シミュレータとやらもこの有様だと役に立っていない。

 ミスター・デリルの手の中の拳銃が上がり、ジョージの顔に狙いをつける。そして躊躇わずに撃ったので、俺は感心した。変化する状況で淀みなく決意し行動できるのは誰にでもできるものではない。なるほどこの時代に殺人を目論むだけはある。

 発射された弾丸はジョージの顔の前の空中で止まり、微かに震えていた。


 このまま放置しておけばこの弾丸は長い時間をかけて与えられた運動エネルギーを空気中に熱として散逸させる。その間は空中の力場に捉えられたままだ。この装置の名前は微分抑制デバイスで、これが銃弾で無く砲弾でも同じ結果に終わる。一つの事象は無限に分割され、その中であらゆる動きは意味を失う。

 動静一如こはいかに。科学者たちはそう表現していた。禅の言葉よりも俺はSF作家のアーサー・C・クラークの言葉の方が好きだ。その通り、十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかないってやつだ。


「最初に言っておくべきでしたね。私に対する攻撃はすべて無駄です」

 ジョージが説明する。

 それは本当だ。恐らくは地球人類が持つすべての核兵器をジョージにぶつけても傷一つつかないのではないかと思う。それぐらいファーマル星人の技術は超越的なのだ。ちなみに暴力というものを知らないファーマル星人にはそもそも軍事技術というものは存在しない。これはあくまでも外宇宙で宇宙デブリからファーマル星人を守るための技術の延長なのだ。

 この結果に、ミスター・デリルの目が大きく見開かれた。

「お前は誰だ?」

「すでに名乗ったと思いますが。ファーマル・アンドロイドのジョージです」

 ファーマル製品は地球中に溢れている。高品質高機能そして廉価の代名詞だからだ。だから恐らくファーマル・アンドロイドと言われてもピンと来ていない。一般人に取ってはファーマル式洗濯機と同じイメージでしかない。

 そろそろ助け船を出すべき頃合いだ。

「ジョージ。股間ドリルを彼らに見せて」

「どうしてですか? 今回は身内での殺人の観察であり、セックスに関するより深いコミュニケーションが主目的ではないのですが」

 このセリフの後ろに超空間通信で繋がった何億という数のファーマル星人がいるとはとても信じられない。あまりにもボケが過ぎる。彼らは人間というものを根本から理解していないのだと俺は思う。

「いいから、早く」俺は急かした。これ以上遅くなると残業になってしまう。この後メルナームズの試合を観戦する予定なのだ。今夜の試合で俺の贔屓の選手は連続ホームランの記録を樹立するに違いない。だから絶対にその瞬間を見逃すわけにはいかない。

 ジョージは俺の忠告には素直だ。人類の理解に関しては俺の方が先を行っていることは当然ながら理解しているからだ。

 ジョージのズボンの前が透明に変化し、股間にドリルが出現した。それは嫌らしくもぐるぐると回転し始めた。

 二人の動きが凍り付いた。ようやくファーマル・アンドロイドという言葉の意味が理解できたらしい。

「ジョージ。もういい、股間ドリルを仕舞ってくれ」

 たちまちにして股間ドリルが消える。ナノマシン集合体による物体変形はいつ見ても凄い。

「ではお二人とも改めて理解してくれたようなので、そのまま行動を続けて貰えるかな」

 俺は言葉を続けた。

「奥さんはちょっと後ろに下がって恐怖の表情を浮かべてくれるかな。これから旦那さんに殺される者の悲哀が出ているともっと良い。旦那さんは銃を構えて。狙いは奥さんの心臓だ。頭は駄目だ。今まで愛していた相手を殺すのに顔を撃ったのでは不自然すぎる」


 どうして俺が殺人の演技指導をしないといけないのだろう?


 ミスター・デリルは躊躇った。

「待て、マテ、まて。お前たちがいるってことは俺が女房を殺してもすぐに生き返らせるということだろ。だったら意味がないじゃないか」

 ジョージがそれに応えて両手を広げてみせた。

「信じてください。我々は何もしません。貴方は貴方の計画を進めてください。我々は当局に通報はしません。貴方たちの社会正義よりも、この実験の結果の方が重要なのです」

「実験? 実験とは何のことだ」

「我々は地球中の人間を観察しています。そしてその行動と行動原理を理解しようとしています。その中で貴方たちのケースが我々の注意を惹きました。まさに完璧なテストケースなのです」

「ちょっとひどいんじゃない」奥さんがようやくそれだけを言った。

「助けてくれないの?」

「そうは行きません。この実験の機会を手にいれるために我々は多大な投資を行っています。その金額は次のようなものです」

 億の単位では無かった。兆の単位を少し超えていた。それもネオ・ドルでだ。その金額には俺も自分の耳を疑ったものだ。

 一瞬あんぐりと口を開けた奥さんはその矛先を俺に向けた・

「あなたはどうなの? このか弱い女性が殺されるのを見過ごすというの?」

 俺も肩をすくめて見せた。

「ああ、奥さん。考えて見てくれ。俺はただの雇われ人だ。ジョージがそうしたいというなら全力でその希望を叶えるのが俺の仕事だ。それに今の金額を聞いただろ? その金額なら一人どころか一万人だって殺されてもおかしくはない」

 俺は自分の銃が収まった胸のふくらみを叩いた。

「悪いな。まあそういうことだ」

 少なくとも俺は善人ではない。そしてその金額を前にしては大概の人間は善人ではいられない。

 これで問題は片付いたとでもジョージは旦那の方に向き直った。

「さて、ミスター・デリル。貴方の事業のすべては破綻しかけていますね?

 そうなるように我々がどれだけの努力を払ったのか。それはもう凄いものでした」

「貴様かあああああ!」

 ミスター・デリルが吠えた。

「何をやっても追い詰められていくからおかしいとは思っていたんだ。貴様が背後にいたのか。まさかアイデル工場の火事も?」

「そうです。貴方は実に手強いプレーヤーでしたよ。何度追い詰めても新しい打開策を見つけてしまうのだから。しかしそれはこの実験の本質ではありません」

 ジョージは言葉を切り、一つわざとらしく小さな咳をして見せた。もちろん会話制御ルーチンによる疑似的反応だ。

「お二人には今の時代には珍しいことに高額の生命保険が掛かっている。生命保険の適用自体が非常にレアなので、その保証額は莫大な金額になっています。

 さて、そこで我々ファーマル星人からの質問があります。

 奥さんを殺そうと考えたのは、その保険金狙いなのでしょうか?」

 俺は二人を注目した。自分でも人が悪いとは思うが、ここまで来て何だか面白くなってきた。このファーマル時代に生命保険目当ての殺人なんてレア中のレアだ。野球の試合ほどには面白くないが、それでも興味を惹くには十分だ。

 ミスター・デリルの顔が苦渋に満ちた。

「俺がその質問に答えることにいったいどんな得がある?」

 その手は拳銃を奥さんの胸に向けたままだ。妻は真剣に夫の顔を覗き込んでいる。

「おお、研究の協力金を求めているのですね。確かにそれはもっともな話です。では貴方の解答の内容の如何に関わらず我々は貴方に報酬を提供しましょう」

 ジョージはそこで一端言葉を切った。その頭蓋骨の中で超光速通信が飛び交い、どこか遠くの星でファーマル星人たちが喧々囂々の議論をしているのが俺には想像できた。その通信に必要なエネルギーだけでも全人類が消費するエネルギーの数百年分に相当するのは間違いがない。

「そうですね。あまり高額だと貴方の判断力に影響を与える可能性があるので、金額は抑えたものとなります。次の人類移住計画に上がっている惑星の一つにザジョラスと名付けられた惑星があります。その惑星の北半球にブラニュア鉱石の鉱脈があることが分かっています。この鉱山の所有権を提供するというのではどうでしょう?」

「ちょっと待ってくれ」

 俺は割って入った。嫌な予感がしたからだ。

「ブラニュア鉱石って何だ? いや、それよりもこう訊こう。その鉱脈の推定価値は?」

 ジョージは答えた。ゼロの数が多すぎて、途中でいったい幾らになるのかが分からなくなった。

「そんなことをしてもいいのか」ゼロの数に圧倒されてかろうじてそれだけを俺は言った。

「構いません。元々これは人類に贈られるはずのものですから。それが人類政府であろうが、個人であろうが、人類への贈り物になることには変わりがありません」

 とんでもない、大違いだ。俺はそれを説明しようとしたが、一足先にミスター・デリルが答えた。

「契約成立だ」

 ああ、畜生。もう決定された。口約束とは言え一端成立した契約をファーマル星人の目の前で破棄するわけにはいかない。もし彼らがそんな行為を人類から学んだりすれば、この先どんなトラブルに発展するのか分からない。


 こうなれば仕方ない。俺は俺にできる忠告をするしかない。

「ミスター・デリル。ジョージの質問に答えるならばできる限り正直に頼む。嘘は駄目だ。嘘だけは駄目だ。彼らは神の如き情報の収集力を持っている。真実ならばどのような衝撃的な内容も認めてくれるが、嘘ならば産まれて来なかった方が良かったという目に遭うことになる」

 もちろんファーマル星人は暴力とは無縁だ。嘘の場合に彼に罰を与えるのは人類政府だ。もっともそれをここで言うつもりはない。

 ミスター・デリルはしばらく躊躇った後にぼつぼつと話始めた。

「本当の所、保険金は目的ではない。金はあくまでも事業が潰れた時に取引相手や従業員に迷惑をかけないためだ。実際に保険の受取人は事業母体そのものになっている」

 その言葉にジョージが頷いた。

「その点は我々の学者たちの間でも議論になっていました。四十二の学派がそれを肯定し、三十三の学派が否定しています。現在肯定派の学者たちは自分たちの間違いを認め、マルザップルの準備をしています」

「マルザップル?」聞きなれない言葉に思わず言葉を挟んでしまった。

「間違った理論を提唱したことで種族全体に悪影響を与えた学派が、その謝罪として長い時間をかけて焼身自殺する儀式の事です。今回の場合のマルザップル参加人数は五万体ほどになります」

 俺は愕然とした。ファーマル星人は自殺を独自の文化として取り入れている。ミスター・デリルの回答で五万人のファーマル星人が死ぬことになってしまった。もしかしたらこの後、人類政府は俺を火あぶりの刑に処するかもしれない。

「続けてください」ジョージが冷静な声で言った。

 ごくりとツバを飲みこむとミスター・デリルは続けた。

「愛しているんだ」

「え?」ミセス・デリルの唇から声が漏れた。

「愛しているんだ。俺は命をかけて君を愛している。君に初めて会ったとき、俺は人生の目的を知った。君が俺の妻になってくれたとき、俺は天国にいる気分になった。それは昔も、今も変わらない」

 ミスター・デリルの顔が苦痛に歪む。

「だけど、あいつ。あいつが現れてから君はおかしくなった。俺に隠れてあいつにしばしば会うようになった。知っているんだ。興信所に頼んだからな」

「誤解よ」ようやくそれだけを彼女は言った。

 だがミスター・デリルは何も聞いていなかった。

「だから俺はこの計画を立てた。君を殺し、俺の体と一緒にロープで縛り、湖の底に沈む。永遠に君といる。再生もなしだ。再生すれば今度こそ君を失ってしまう」

 ここでジョージが割って入った。

「あいつとは貴方たち夫妻の旧友のハミルトン氏ですね。大学時代の親友で先日十年ぶりに再会した方ですね」

 ミスター・デリルは自嘲した。

「良く知っているな」

「見ていましたからね」

 もちろんあの地球上に隈なく撒かれている虫型観測ドローンを使ってだ。もっともこれは絶対に一般人の耳に入れることはできない事柄だが。もしこの秘密を知った人間がいたら消す必要が出てくるだろう。俺は頭の中にメモをした。

「その点ではご婦人、あなたにも質問があります」

「なに?」

 まるで救いを求めるかのように彼女はジョージに顔を向けた。

「我々の心理シミュレータによると、貴女とその男性の間にはすでに三回に渡る深いコミュニケーションが成立していなければいけません。ところが貴方は一切彼には接触を許さなかった。何故です? 何故コミュニケーションを回避したのです?」

「あら、当然じゃない」彼女は言った。「あたしは夫だけを愛しているもの」

「その可能性も検討されましたが、それならば何故、ハミルトン氏と何度も会ったのですか」

 彼女は微笑んだ。

「あたし、夫の事業が危ないことを知っていました」

 それを聞いて夫の顔が驚愕に歪んだ。

「毎夜、うなされていましたもの。気づかないわけがありませんわ。ハミルトンはああ見えて投資会社のCEOなの」

「ということは貴女との深いコミュニケーションを餌に、夫の事業への投資を引き出そうとしていたという事で間違いありませんか。何と素晴らしい」

 ジョージの顔に恍惚とした表情が浮かんだ。もちろんこれは表情生成ルーチンの成果だ。

「これぞ深いコミュニケーションを使った多重反応制御の実例です。我々ファーマル星人には無い人類種族に特化した未知の制御技術です。まさかその実例を見ることができるとはまさに感動です。これで我々の科学はさらに進歩するでしょう」

 いや、それは無い。絶対にない。俺はそう思ったが口にはしなかった。

 ジョージは一歩下がった。

「中断が長くなってしまいましたね。さあ続けてください。その拳銃の中には五発の弾丸が装填されていますね。この状況ならばそれで十分でしょう」


 俺はため息をついた。

 ファーマル星人は超がつく高度な科学技術を誇る大ボケ野郎の集団だ。


 俺たちの前でデリル氏は大きくストロークをつけると手にした拳銃を湖の中に投げ込んだ。それから振り向くと妻の手を取り抱きしめた。涙がその頬を流れている。

「愚かな俺を許してほしい。マイ・ダーリン」

 妻は顔を上げて、夫の頬を軽く平手で叩くと、その胸の中に飛び込んだ。

「あなたの早とちりは治らないわね。次はもっとよく考えて。それから私に隠し事なんかせずにきちんと話して」

 しっかりと抱き合う二人をしばらく眺めてからジョージが言った。

「残念ながら殺人の実例を見ることは叶わないようです。それともこれから一度破綻した関係が修復された場合の深いコミュニケーションを観察できるのでしょうか?」

 俺はジョージに向けて言った。

「一言忠告させてもらうが、諦めた方がよくないか?」

 ジョージは諦め悪くその場にしばらく留まっていたが、結局は踵を返して俺と一緒に局に帰った。

 今ならまだメルナームズの試合に間に合うだろう。



 もちろんブラニュア大鉱脈はデリル氏のものになり、ハミルトン氏はそれを目的に彼の事業に投資を行った。

 ファーマル星では派手にマルザップルの儀式が行われ、その参加者はファーマル星人五万六千匹に上った。

 俺はと言えば贔屓の選手の特大ホームランを見ることができて大変に満足だ。

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