2-1.シオ・ベルツです。宜しくお願いします



 睡眠を終えた私は、いつもどおりのルーティンで身支度を整えていく。

 腕の金属で水の冷たさを感じ、クレアに教わったとおりに金色の髪にクシを通していく。彼女は「キレイな髪やなぁ」と褒めてくれるが、正直なところ未だに何を以て髪の美しさが決まるかがよく分からない。髪は人工的な物ではなく自前の物だからクレアと変わらないはずなのだけれど。色の違いなのだろうか。

 メイド服に着替え、いつの間にかロッカーに準備されていたカチューシャを頭に乗せる。今日はクマ耳カチューシャだった。果たして、クレアとロナどちらの趣味なのだろうと思ったが、どうでもいいことなのですぐに忘れることにした。


「おはようございます」


 階段を降り店のホールに出て、同じくいつもどおり挨拶をする。時刻はもう「おはようございます」の時間ではないけれど、なんでも一日の最初の挨拶はいつだって「おはようございます」らしい。そうエドヴァルドお兄さんが言っていた。理由はわからないけれど、反論を持たないのでとりあえずその流儀に従っている。


「おー、おはようさん」

「やあノエル、おはよう」


 いつもどおりクレアと、何故かいるロナから返事がやってくる。店内を見回せば、やはりいつもどおり他の客はおらず、椅子やテーブルに乱れはない。私が寝ている間に誰かが使った痕跡もない。悲しいことだけれど。

 いつもどおりの一日の始まり。いつもどおりの店。

 だけれど、今日からは少し変化が生じていて。


「おはようございます、ノエルさん」


 シオの声が聞こえた。姿は見えないけれど、どうやら床を掃除してくれているらしい。

 カウンターの端からホールを覗き込む。表情こそ笑みを浮かべているものの、動きが若干ぎこちないことからどうやら緊張しているものと推測。大丈夫、お客さまは滅多に来ないから緊張する必要はない。


「それは大丈夫って言わないんじゃ――って、ぶふっ!?」


 私が放った渾身の自虐にシオが苦笑いで振り向いたかと思うと、突然鼻から血を噴出させた。

 突然の事態に、私の背にも緊張が走る。見ていた限り、打撃を受けたわけではない。ならば何処かから魔導の攻撃を受けたのだろうか? 即座にシオの前に立ち塞がって保護しながら店内を見回すが、ガラスなどが割れた様子も見受けられない。いったいどこから攻撃してきたのだろうか。

 そういえば鼻血を噴出させる直前、シオの目線は私の頭上すぐそばにあった気がする。具体的にはクマ耳のところ辺り。シオが見ていた場所の壁を振り返ってみる。しかしながらやはり何も発見できない。

 もしかしなくても、これは私を狙った攻撃だったに違いない。ならばモンスターではなくて人間の仕業か。いったい、どこの国が。


「い、いえ……別に誰かに攻撃されたわけではなくてですね……」

「強いて言えば、ノエルに撃ち抜かれたってとこやろな」


 私は何もしていないのだけれど。


「しかたないさ。シオくんにとってはノエルの存在自体が常に砲撃みたいなものだろうしね」


 ロナの発言に首を傾げたけれど、ともあれ、シオも立ち上がったので大事に至っていないようだし、誰かに攻撃されていないのであれば結構だ。


「……失礼しました」


 顔を拭き終えたシオが背筋を伸ばした。深呼吸を何度もして、それから頬を叩くと私にかしこまった表情を向けた。


「シオ・ベルツです。今日からお世話になります。宜しくお願いします」

「宜しく」


 歓迎の意を込めて握手すると彼の熱が左手から伝わってくる。相変わらず彼の手は熱くて、顔全体が赤く上気してる。興奮してるのだろうか。そこまでこの店で働くことを喜んでもらえて、オーナーとして嬉しい限り。仕事は掃除とコップ磨きくらいしかないけど。


「……『そうやないやろ!』って、ツッコんだらアカンのやろうなぁ」

「まあまあ。若人の青春を黙って温かく見守るのが大人というものだよ、クレア」


 二人が何の話をしているのか分からないけれど、それはいつものことなので気にしない。

 シオから手を離し、とりあえず彼にはカウンターに入ってもらいコップを磨いてもらうことにする。


「人が一人増えただけなんやけど、なんやろな、ちょっとワクワクするなぁ」

「僕もなんだかまた緊張してきました」


 私にはよく分からない感情だけれど、緊張したと言いながらもシオも楽しそうだし、普通の人間ならそう感じるものなのかもしれない。


「早くお客さんが来てくれると良いなぁ」


 シオが待ちきれないといった様子で期待を口にする。が、ここは迷宮カフェ。


「シオのこのテンションが持てばエエけどなぁ……」


 たぶん現実をそう遠くない未来に思い知るのだろう。苦笑するクレア、ロナ、そしてワクワクしているシオにホールを任せると、私はキッチンへと向かった。




 数時間後。

 キッチンの整理をしたり溜まっていた素材を剥いだりクレアに義手と義足を整備してもらったりしてからしばらくぶりに店の方に戻ると、シオがカウンター席で突っ伏していた。顔を覗き込むと、ぼーっとして魔物に魂を抜かれたみたいな目をしている。


「だいぶやられとるみたいやな」

「……本当にお客さん来ないんですね」


 事前に伝えてはいたのだけれどどうやら現実の洗礼を受けた模様。

 だから別に迷宮内に鍛錬しに行っても構わないと伝えたのに。


「初日なのにいきなりお店を放り出すのはちょっと気が引けちゃいまして……」


 どうやらシオの真面目な性格が裏目に出たらしい。私も少し彼を放置し過ぎたかもしれない。雇い主としてもう少し配慮が必要だった。申し訳ない。

 だけど――その退屈な時間もそろそろ終わりそう。


「お客さんですかっ!?」


 シオが勢いよく立ち上がる。その問いに対する答えは肯定。ただし、きっとシオの想像とは違ってると思う。

 私の返答に首を傾げるシオに背を向け、入口に向き直る。腕を変形させて軽く動作チェックが終わると同時に、その扉が「バァン!」と音を立てて吹き飛ばされていった。


「■■■ァァァァッッッッ!!」

「ひぃぃっ! モンスターっ!?」


 入口を破壊するほど激しい情熱をもってご来店頂いたのは――残念ながら人間ではなくミノタウロスだった。



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