第41話 中野集落

 中野駅の駅ビル跡にある中野集落は度重なるモンスターの襲撃にさらされ、陥落の危機に瀕していた。


 集落の長、袴田の身体は日々の戦いの中でとうに限界を超えていた。しかし、袴田は集落で唯一の能力者。彼が戦わなければ集落の被害は甚大なものになる。戦うしかない。


「袴田さんっ!!」


 もはやドアさえなくなった袴田の居室に男が飛び込んできた。袴田は堅いベッドの上でみじろぎもせず、目だけを開く。


「……どうした。今日は昼まで寝ていられると思っていたのだが」


「南ゲートの内側に穴を掘られました! バッタ野郎が次々に集落に侵入しています! 奴等また、子供を狙っています!!」


「なんだと!」


 袴田は跳ね起き、部屋の外に向かうとするが糸が切れたように膝が落ちる。


「袴田さん……?」


「大丈夫だ。急ごう」


 袴田と男はもう動かないエスカレーターを駆け降り、地上へと急ぐ。徐々に悲鳴と怒声が聞こえてきた。


 ──バリンッ!


 突然、かつての駅ビルの窓ガラスが弾けた。そして、人間の子供の体にトノサマバッタの頭がついたモンスターが飛び込んでくる。


「なっ、飛翔可能な個体!」


 男が叫ぶ。


 キチキチと羽が擦り合わされる嫌な音が響いた。


「……死ね」


 袴田が呟くと、その右手から円錐状の氷の杭が猛烈な勢いで射出される。


 アイスバレット。


 氷を操る能力者、袴田のメインウェポンだ。鋭く回転しながらバッタのモンスターの額を穿つ。


 羽の音は止み、モンスターの体が床に落ちる。黒い血が広がった。二人はそれを忌々しく睨みつけた。


「急ぎましょう」


「……ああ」


 袴田は地上までのエスカレーターをやけに長く感じていた。脚が先程までより更に重い。能力を使ったせいだろう。この身体、いつまで持つのか。自分が倒れれば、この集落はどうなってしまうのか。新宿集落のようにバッタどもの手に落ちてしまうのでは? 嫌な考えが脳裏に浮かぶ。



「……酷い」


 やっと辿り着いた地上は地獄絵だった。


 防壁の内側にバッタのモンスターが百体以上、入り込んでいた。南ゲートのすぐ側にマンホールほどの穴が開き、次々とモンスターが這い出てくる。


「いやぁぁ」


 女の悲鳴。二、三歳の子供がモンスターに捕まり、連れて行かれようとしている。集落の男が槍で突こうとするが、背後から何体ものバッタに襲われる。


 また悲鳴。老婆が地面に倒れバッタに食い付かれている。


 悲鳴。悲鳴。悲鳴。


「……許さん」


 袴田の身体が蒼い光に覆われ、周囲に何十というアイスバレットが形成された。そして、放たれる──。


 子供を抱えていたバッタのモンスターは胸に風穴が開き、貫通したアイスバレットは別の個体の脳天を貫いた。一瞬で二十体以上が物言わぬ屍となる。


 ──鉄の臭いが漂った。


 モンスター達から警戒の声が上がる。アイツハ強イゾ。アイツヲヤッツケロ。皆デヤッツケロ。


 袴田に向けられた複眼は百を超えていた。紅く光り、人間に対する憎しみを感じる。そして……一斉に動き始めた。


「袴田さんっ!」


 圧倒的な物量が袴田に押し寄せる。集落の男達はその様子をただ見ているしかなかった。


 蒼い光が見える度にモンスターの死骸が積み重なっていく。しかし、まだまだ数は減らない。いつしか、集落を襲う全てのバッタのモンスターが袴田を取り囲んでいた。


「……はぁはぁ」


 袴田を覆う光は弱い。


 中空に形成されるアイスバレットは二つだけだ。敵に向かって放たれるも、勢いのないそれは躱され地面に落ちた。百の複眼が喜色に染まった。


 バッタのモンスターは袴田を囲む輪を縮める。飛翔可能な個体が宙を舞い始めた。


 キチキチキチと絶望の音が鳴り響く。


「……ここまでか。ならば少しでも道連れにしてやる。ォォォオオオオオオオー!!」


 俄に膨れ上がる蒼い光。命をくべて燃え上がる。


 モンスターの間に動揺が走った。そして──。


 ──ドガアアァァァン!!


 地面が捲れ上がった。集落全体が揺れる。


 人間もモンスターも何事かと動きを止めた……。


 袴田の視界には舞い上がる土砂とモンスターの姿がある。一体、何があった。まだ何もしていないぞ……。


 ボタボタと降ってくるのはバッタのモンスターの黒焦げた体だ。よくよく見ると地面に空いていた穴が広がっている。


 マンホール程だった穴は直径十メートルの大穴となり、バッタのモンスターを飲み込む。そして、その穴から何かがやってくる気配がある──。


「わぁはニコだ! 助けに来たぞ!!」


 穴から飛び出してきたのは男女二人組だった。長身の男に抱っこされた女の子が無邪気に手を振っている。


 袴田はパニックになっていた。自分の命を諦めた瞬間、訳の分からない状況に陥ったのだ。


 穴から出て来た男女をモンスターが取り囲んだ。


「……可哀想に」


 長身の男が呟く。


「……しかし、これ犠牲者を増やすわけにはいかない」


 シンとした空間に声が響いた。それを合図にモンスター達が一斉に男女に飛び掛かる。


 ──ブンッ! と風を切る音が響く。


 長身の男がハンマーを一振りすると何体ものモンスターが飛び散った。


 これは破壊の神だ。


 袴田は生まれて初めて神の存在を認めた。地下から現れた神が涙を流しながらモンスターを屠っている。何故泣いているのか?


 青白い光に包まれた破壊の神は、無言でハンマーを振るい続けた。その度にモンスターの体が飛び散った。


 ──ドシャッ!


 最後の一体が飛び散ると、破壊の神はハンマーを手放して地面に大の字になった。その隣に額に角を生やした女の子がちょこんと座る。


 女の子が涙を流す破壊の神の頭を撫でている。この子も神なのだろうか?


 ──静寂。


 集落の誰もが状況を飲み込めないまま時間が過ぎる。


「ありがとうございます!」


 誰かが声を上げた。


 それを聞いて袴田は気が付いた。この集落が救われたことを。


 袴田が男女に近寄る。


「貴方は一体……?」


 袴田の問いに男は答えない。それを見かねて女の子が口を開いた。


「こいつはルーメンだ! わぁの夫だ!!」


 地面に寝そべる男はいつまでも涙を流し続けていた。

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