第27話 世界入滅の日

「なんだと?」


 レンリの眉間にも皺が寄った。


「戦ってるわけじゃない。死なないのを利用して、おとりにしてるって感じだな。数日、傍で見てきたが、傷が残るようになってたのが気になるな。全身紫色だったのも、色が抜けてきてるし」


「それは汚れて人化が進んでる、ということだね」


 振り返ると、部屋の入口にヒガンが立っていた。相も変わらず、柔和な笑みをたたえている。


「ヒガン。帰ってたのか」


「それは、こっちのセリフだよ。久々の最前線は、どうだった?」


「おまえの顔を飽きるほど見てきた」


 ヒガンは「あはは」と愉快そうに笑いながら、レンリの隣りに立った。


「僕の祖父も、元々は全身紫色だったらしい。それが人の負の感情に触れるにつれて、抜けていったんだそうだ。完全に力が無くなるわけではないみたいだけど、人の子ができるほど人に近い存在になる。まあ、人の子ができるって言っても、僕みたいな感情の一部がすっぽり抜けたような奴ができることもあるけど」


 ヒガンが常に笑顔でいるのは、喜怒哀楽の内の怒もしくは哀が無いから、ということのようだ。


「もう手遅れかもしれないけど、引きずってでもここに連れてくると良いよ。何者でも受け入れる場所が、ここにはあるから。人手不足だしね」


 「あっはっはっ」という快活な笑い声と共に送り出されたレンリ達は、港でシエンと合流し、ミロクとレイがいるはずの研究所に戻ってきた。シエンはレンリの顔を見がてら送り届けるためだけに来たようで、「会議があるから、僕はこれで」と言って去ってしまった。彼も立場上、忙しいのだ。


 階段でヒヨク達と別れたレンリは、久し振りに自室として使っていた部屋に赴いた。戸に鍵は掛かっておらず、中には人の気配がする。どうせミロクだろう、と思いながら戸を開けると、部屋の隅でうずくまっている青年の背が見えた。厚手のカーテンを閉めきり、明かりもつけていない部屋は薄暗い。


「帰ったぞ。明かりもつけずに何をしているんだ?」


 尋ねながら、レンリは室内灯をつける。ぱっと明るくなった部屋の中で、レンリは目を丸くした。背を丸めた青年は軍服を着ていて、髪は藁色をしている。しかし、「レンリ」と小さく呼ぶ声は、確かにミロクのものだった。


「何があった? 話してみろ」


 レンリは長期戦を覚悟して、どっかりと椅子に座った。背中を向けたままのミロクは、なかなか話し出さない。飲み物でも準備すれば良かったか、とレンリが思い始めた頃、ようやく「絶対、怒るから嫌だ」という声が聞こえた。離れている間も、心の成長は無かったとみえる。


「怒るか怒らないかは、話を聞いてみなければ分からんな。ただ、今も呆れてはいる。このままでも私は構わんが、機嫌は下降の一途を辿るだろうな」


 正直に心の内を話してため息を吐けば、ミロクの肩がおもしろいほどビクリと跳ねた。


「レンリが急にいなくなった後、軍の偉い奴が来たんだ。そいつは、俺に戦場に立てと言った。そうしたら、レイの実験をすべて止めてやるって」


「なるほど。利用されたわけだな。それで?」


 レンリの声の調子が凪いでいるためか、ミロクが振り向いた。紫色に金が混じった綺麗な瞳も、いまや黄昏色に変わってしまっている。寝ていないのか目の下には隈ができ、肌も荒れている。数か月前の奇跡の存在は、どこへ行ってしまったのだろうか。


「レンリ、怒ってない?」


「怒るか怒らないかは、話を聞いてみなければ分からんと言ったはずだ。今は怒っていない」


 その言葉に安心したのか、ミロクは四つんばいになって、レンリのすぐ傍まで近付いた。


「レンリの傍は、安心する」


「まあ、同族のようなものらしいからな。で、戦場に行って、どうした?」


「最前線に、一人で立たされた。最初は、銃に撃たれても、切りつけられても平気だった。でも、だんだん髪の色が抜けてきて。そしたら、怪我をするようになった。戦神も一人、怪我をさせた。シャオウって、レンリの知り合いなんだろ? その人が助けてくれて、俺をここまで連れてきてくれた」


「あいつが……」


 本人からは何も聞いていない。恩に着せないためかもしれない。シャオウとは、そういう男だ。


「もうすぐレンリが帰ってくるって聞いて、待ってた。待ってる間、ずっと怖かった。レイの声が聞こえないんだ」


 それを聞いて、レンリは目を丸くした。


「レイには会いに行ったのか?」


「行こうとは、した。けど、見張りがいて、近付くと撃たれるんだ」


 ミロクをよく見ると、軍服には数カ所穴が開いていて、体には治りきっていない傷まで見える。どれが戦場で負ったもので、どれがここで撃たれたものなのかは判別できない。シャオウもレイのことは見ていないらしいが、見に行けなかったというのが正しいのかもしれない。軍に所属しながら島を行き来する彼は、揉め事を極力避けているに違いない。


「ヒヨクが帰ってきた今なら、会えるかもしれん。私が行ってくる。おまえは、ここにいろ」


 レンリは言いおくと、足早に上階へと向かった。最奥の部屋では、白い部屋の入り口でヒヨクが震えていた。


「ヒヨク。どうした?」


「レンリ。ぼ、ぼくのレイが……」


 普段からあまり血色が良い方ではないヒヨクの顔が、更に青ざめている。レンリはヒヨクを押しのけると、白い部屋の中へ入った。


 レイはいたが、無事ではないことは一目で分かる。ミロクと同じように藁色の髪に変わってしまった彼女は、寝台の上にぐったりと倒れ込んでいた。体はやせ細り、浅い息を繰り返している。それでもレンリが近付くと、懸命に腕に力を入れて起き上がろうとする。


 レンリは、一度レイを抱き上げると、寝かせなおして薄布を掛けてやった。


「起き上がらなくていい。今は、安心して休んでいなさい」


 そう耳元でささやくと、すうっとレイは眠りについた。土気色に近い頬を、一筋の涙が伝う。


「無理な実験をさせられたようだな」


 手首には、無数の傷跡がある。今はワンピースで隠されているが、おそらくは体中に同じような傷跡があるのだろう。軍が、ミロクとの約束を守らなかったことは明白だ。


「まあ、守るわけがないだろうな」


 レンリが息を吐くと、背後で叫び声が上がった。と同時に、何かに背中を押されたような感覚に陥る。


 振り返ると、いつの間にか背後に立っていたミロクが、狂ったように叫び声を上げ続けていた。彼の叫びは空気の振動を起こし、小さな波となって辺りを襲っている。


 しかし、その波はレンリには見えるが、他の者には見えないらしい。ただ、圧力は掛かるようで、ヒヨク達は突然の耳鳴りに頭を抱えて苦しんでいる。


「この馬鹿。むやみに力を暴走させるな」


 顔をしかめたレンリは、ミロクの両肩に手を掛けた。


「だから、どんな存在であれ受け止めることしかできないと言ったんだ」


 両手に、ぐっと力を籠める。すると、ミロクは叫ぶのを止めた。彼の目には、涙が浮かんでいる。


「レイは、救えないのか?」


「いいやっ」


 力が無いミロクの言葉を強い口調で否定したのは、ヒヨクだった。両手を握りしめ、眉を吊り上げて二人を見ている。


「レイは、僕の最高傑作なんだ。失わせない。明日の朝には出立するから、準備して」


「ああ。島に連れていくんだな」


「それだけじゃ足りない」


「足りない?」


 レンリの問いに、ヒヨクは勢いよくうなずいた。


「世界を変える。新しい発明、『再利用』をお披露目するんだ」


「あれはまだ、完成していないだろう。それに、どうやってお披露目する気だ?」


「実施検査はまだだけど、ほぼほぼ完成してるよ。レイを作った時の技術を横流しにしてるだけだからね。すぐには効果は現れないけど、後々思い知ることになるね。でも、軍部の人間は気付きもしないのかもしれないな」


 「せっかくのお披露目なのに、残念だな」と言いながら、ヒヨクはその場でくるりと回った。


「明日の朝、十時にここを出発するから、それまでに荷物をまとめておいてね。遅刻して巻き込まれちゃっても、僕は知らないからね。僕が何をするかは、明日になってからのお楽しみ、だよ」


 口元に長すぎる袖を寄せて、ふふっと笑う顔は純粋な子供のようだった。ろくなことをしない、ということだけはレンリにも分かる。普段はおどおどとしているくせに、開き直ると善悪の区別が付かなくなるらしい。


 レンリは一つため息を吐くと、ミロクを引っ張って自室へと帰った。


 ***


 翌朝、あまりにもミロクが「レイ、レイ」とうるさいので、レンリは荷物を持って白い部屋を訪れた。レイも既に身支度が済んでいるだろう、とため息交じりで戸を開いた彼女は、寝台の上にいるレイの姿に目を丸くした。


 やつれてしまったレイのすぐ傍らに、彼女にそっくりな少女が座っている。少女はレイと同じような藁色の髪ではあるものの、輝きのある丸い瞳で興味深そうにレンリとミロクを見上げていた。


 ミロクは少女には構わずに、レイに近付いて手を差し伸べる。


「レイ。俺と一緒に逃げよう」


 しかし、レイは首を弱々しく横に振った。


「ヒヨク博士にも同じことを言われたけど。私にはもう、逃げる体力さえ無いの」


 レイを見ていれば、納得せざるをえない有様だった。頬は痩せこけ、髪や歯はところどころ抜け落ちてしまっている。普通に話してはいるが、本当は声を出すのも辛いのだろう。時折、肩で息をしている。


「ヒヨク博士にね。一番新しい『レイ』を連れてきてもらったの」


 それでも彼女は、ほとんど光を失った目で、懸命にミロクの顔を見上げていた。


「ミロクに、お願いがあるの。『レイ』を一緒に連れていって。実験なんて知らない世界へ、行かせてあげて」


 レイの願いに、ミロクが戸惑いをみせる。願いは受け止めるだけのもの、と思い知らされたばかりだからだろう。


 レンリは一つため息を吐くと、ミロクの背中を軽く押してやった。振り返るミロクに、うなずいてやる。


「……わかった」


 ミロクの返事を聞いて、レイは顔をほころばせて『レイ』の顔を覗きこんだ。


「良かったね、レイ。これからは、ミロクがずっと傍にいてくれるって」


「行こう、『レイ』」


 ミロクが『レイ』に、手を差し出す。瞬きを繰り返していた『レイ』は、やがて「うんっ」と大きくうなずくと、無邪気な笑顔でミロクの手を取ったのだった。


 ***


 この日の午前十一時頃、レンリ達がいた研究所は大爆発を起こした。建物は跡形もなく、研究所にいた人間は行方不明となった。約半年に及ぶ調査が行われたが、依然として彼等の消息がつかめないことから爆発に巻き込まれ全員が死亡した、という結論に至った。


 研究所のいたるところに化学物質を詰め込み、大爆発を引き起こした張本人は、爆発が起きた同時刻に船の上で高笑いをしていた。レンリやアハンカーラでも、見たことのない笑い方だった。


 やがて、この日は『世界入滅の日』と呼ばれるようになった。

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