第3章 セハルと戦神

第11話 ドゥルガーからの招待状

 木造の櫓のようは風車は、ギシギシと木材が擦れあう独特な音を立てながら、ゆっくりと回っている。羽が回るということは、風があるということだ。カメラを構えたミロクの肩まである切りっぱなしの髪も、風に流されている。上空に浮かぶ薄い雲も流されている。


 ファインダーを覗き込みながら、これまで自ら進んで自然と向き合うことがあっただろうか、と疑問が浮かんだ。いつもは、レイが「花が咲いた」だの「かわいい石をみつけた」だのと言って、ミロクを引っ張りまわす。最近ではセハルも加わって、空を見上げることが増えた気がする。


「毒が蔓延してるはず、なんだけどな」


 見上げる空は、少しは浄化が進んでいるのだろうか。カウムディーに問えば、進んではいるものの芳しくもない、という答えが返ってくるのだろうが。


 レイが、セハルが、生きやすい世界になれば良い。


 そう願ったところで、背後から声を掛けられた。


「ミロク兄、何やってるんすか?」


 ミロクは振り向いて、カメラを正面に構え直す。


「写真、撮ってるんだ。ほれ、笑え」


 急な要求だったにも関わらず、フェイファは即座に満面の笑顔を作った。直後に、カシャッという軽い音がする。


「ほら、撮れたぞ」


 ミロクはフェイファの横に並ぶと、カメラを操作して小窓のような画面を見せた。小さなフェイファが、八重歯を見せて笑っている。


「おおっ。綺麗に撮れてるっすね」


 小窓を覗き込んだフェイファの目が輝く。素直に感嘆の声を上げられると、気分も上向きになるというものだ。ニヤニヤと笑うミロクに、フェイファは首を傾げた。


「でも、なんで急にカメラなんて始めたんすか?」


「スクラップ市から帰ってきたところで、セハルに渡されたんだ。『趣味でも持て』ってな」


「ああ、あの時のカメラっすか」


 フェイファは、セハルがカメラを買うところに居合わせていたらしい。現像するには道具がいるという理由から、フィルムではなくデジタルの方を選んだのだと教えてくれた。


「それにしても、ミロク兄って案外まじめなんすね。言われた通り、カメラ始めるって」


「昨日、同じことをシショクの連中にも言われた」


 苦虫をかみ潰したような顔をするミロクに、フェイファは大笑いした。


「良いんじゃないっすか? 趣味が持てるってことは、平和ってことっすよ。生死の境をさまようような環境だったら、そんな余裕無いっすもん」


 思わぬ指摘に、ミロクは目を丸くする。


「確かに、そうだな。案外賢いんだな、おまえ」


「案外は余計っすよ」


 文句を言いながらも、フェイファは快活に笑った。


「んじゃ、そろそろ帰るわ。遅くなると、うるせーのが二人に増えたからな」


 ぼやきに、更に「ぷはっ」とフェイファが笑い声を漏らす。


「心配してくれてるんすよ。セハル君、ずいぶん馴染んだんすね」


「まあ、戸惑う姿は減ってきたかもな」


 最初は不満がっていたリキッドも当然のように飲むようになったし、道に迷うことや研究室の階を間違えることも減ってきた。セハルは体調面も良好で、検査のために研究所へ行くこともなくなった。比例して小言が多くなってきたが、世間で言う『まじめ』で『良い子』といった印象が強い。昔、ミロクが出会った彼と同一人物とは、とても思えなかった。


 フェイファと別れ、カウムディーに暇を告げてから観測区を出発する。早めに出たつもりでも、研究所で空箱を下ろす作業が入るため、家に着く頃には辺りが薄暗くなり始めていた。どれだけ毒が蔓延している世界でも、時が過ぎることだけは変わらない。


「ただいま」


「おかえりなさい」


「おかえり」


 戸を開けると、エンジン音を聞きつけたレイとセハルが並んで立っていた。二人で出迎えるようになってから、既に数日が経つ。まるで似ていない二人だが、なぜか兄妹にも、懐く子犬にも見えて微笑ましい。


 以前は、留守番を言い渡されるたびに顔を青くしていたレイも、今では笑顔で送り出してくれる。セハルを預かることに決まった時こそ戸惑ったが、存在に助かることも多く、ミロクはひっそりと研究所の上層部に感謝している。


 ところが、「今日は、お茶をいれてみたんだ」というセハルの言葉に、感謝の気持ちが一変する。早く早くと急かす二人に、ミロクの眉が歪んだ。


「おい。そのお茶ってのは、どこから仕入れたんだ?」


「ミロクが出てってすぐに、ルタさんが持ってきてくれたんだよ」


 上機嫌に話すレイに、ミロクはますます顔をしかめた。


「毒入りじゃねえだろうな」


「なんで、すぐに疑うかな」


 セハルが呆れたように言う。


「カウムディーのとこで出されたもんならともかく、直接持ってきたやつなんて飲めるかっ」


「そんなこと言うなよ。例の場所で育てたお茶だって。『心にも余裕が必要だろ?』って言ってたぞ」


「余裕ねえ」


 ミロクは観念して、セハルが手ずからいれた茶を口に含んだ。花を感じさせる甘い香りが、優しく鼻の奥をくすぐった。


「良い香りでしょ?」


 尋ねるレイに、ミロクは「まあな」と素直に同意した。


「確かに、余裕があるのは良いことかもな」


「意外だな。あんたが、そんなこと言うなんて」


 目を丸くするセハルに、ミロクはカメラを手渡した。


「趣味を持てるのは、平和ってことらしい。余裕が持てるのも同じことだろ?」


「『らしい』って、誰に言われたんだ?」


「フェイファ」


 セハルは驚きのあまり、カメラを落としそうになる。慌てて両手で持ち直すと、「なんか、それも意外だな」と言いつつ、カメラを操作して画像を確認する。「私も見たい」と、レイが横から覗き込んだ。


「へえ。よく撮れてるじゃないか」


 顔をほころばせるセハルに、ミロクはニヤリと笑った。


「腕が良いからな」


「まだ一ヶ月も経ってないのに、よく言うよ」


 セハルが、笑い声を漏らす。思えば、表情が柔らかくなったものだとミロクは感心した。良いとは言えない出会い方だったため、しかたないところもあるのだが。


 茶を更に一口飲んだところで、呼び鈴が鳴った。「私が出るっ」と立候補するレイに任せる。この家に来る人間は限られている。整備士のおっさんかルタだ。


 ところが、家に通されたのは、どちらでもなかった。


「邪魔をするぞ」


 レイと共に部屋に入ってきたのは、白衣を着たままのレンリだった。


「珍しいな。うちに来るなんて」


 レンリとはしょっちゅう顔を合わせているが、家に来るのは年に二、三度あるかどうかだ。レンリは研究所に入り浸りであることが多い。休日はミロクを足替わりに使うくらいなので、出不精というわけではないだろう。単に、忙しいのだ。


 今も、難しい顔をしている。遊びに来たわけではないことは明白だった。


「至急の要件だ。悪いが、私をドゥルガーまで送ってもらいたい」


「ドゥルガー?」


 驚いたのは、ミロクだけではなかった。


「なんで、ドゥルガーなんかに?」


 セハルから更に問われ、レンリは白衣のポケットから一枚の紙切れを取り出した。


「私の元に、招待状が届いた。正確には、メールだがな」


 セハルに渡された紙切れを、ミロクとレイも横から覗き込んだ。常套句がずらずらと並べられているが、要約すると『リキッドを見せてもらいたい』ということだった。


「パーパよりも先に動くとは、意外だったな」


 レンリは笑顔で肩をすくめたが、目の奥は笑っていない。ミロクは彼女の目を直視したまま、口を開いた。


「本当に行くのか?」


「ああ。メールの送り先が分かる程度には、こちらのことを把握されている、ということだからな」


 情報が流れているということは、上層部の予想以上に島外の諜報部隊が島に入っているということだろう。人手不足で警備に回す人数が限られていることが、大きな要因の一つとなっているに違いない。


「博士が行かないとダメなの?」


 レイは今にも泣き出しそうな顔をして、白衣の袖を引いた。何が起こっているのか完全に理解しているわけではないだろうが、彼女なりに不安を感じているようだ。


 レンリはレイの手に自分の手を添えつつ、笑顔でうなずいた。


「先方は、ヒヨクか私をご希望だからな。ヒヨクが当てにならない以上、私が行くしかあるまい。なに、ただの商談だろうから、さほど危険も無かろう」


「だと、いいけどな。で、行くのは俺とレンリの二人だけか?」


 ミロクは、わずかに首を傾げた。常に小競り合いが起きているドゥルガーでは、地図にしろナビゲーションシステムにしろ、役に立つかが分からない。ミロクもレンリもドゥルガーのことは詳しくないため、迷う可能性が極めて大きい。


 その点はレンリも自覚しているのか、「いや」と首を横に振った。


「ルタとフェイファも連れていくつもりだ。彼等はドゥルガーの出だからな。国境付近は昔と大きく違うだろうが、いないよりはましだろう」


「俺も行く。俺だって、ドゥルガーの出だ」


 セハルからの思わぬ申し出に、ミロクとレンリは目を丸くした。


「行くっつっても、おまえ、記憶が曖昧なんだろ?」


「地理なら、ある程度覚えてる。ルタにキックボクシングも習ってるし、機械をいじることだってできる。多少は役に立つと思う」


 彼の目力は強く、冗談で言っているわけではないことが、ひしひしと伝わってくる。


 レンリは苦笑して、肩をすくめた。


「物好きな奴だ。分かった。連れていくからには、頼らせてもらうからな」


「分かった」


 セハルは、力強くうなずいた。


「私も行くっ」


「おまえはダメだ」


 顔を青白くしながら口を開いたレイの訴えを、ミロクは間髪入れずに拒否した。


「さっき、レンリの心配をしたばっかだろ。何かあったら、どうするんだ」


「でも……でも……」


 レイの目から、涙が零れる。ミロクはため息を一つ吐いて、丸い頭に手を乗せた。


「でも、じゃねえよ。連れてって一番危ないのは、おまえだろ」


「確かに、特別な存在だからな。ドゥルガーが目をつけていないとも限らん」


 レンリも深く息を吐いた。


「ミロクとセハルの安全は、私が保証してやろう。レイは、シショクでおとなしく待っていることだ」


 レンリの瞳に五色の光が帯びる。すると、レイは涙を止めて、こくりとうなずいた。だましているような気分になるが、こればかりは仕方がない。


 ミロクは再び、大きくため息を吐いたのだった。

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