第3話
木造の櫓のようは風車は、ギシギシと木材が擦れあう独特な音を立てながら、ゆっくりと回っている。羽が回るということは、風があるということだ。カメラを構えたミロクの肩まである切りっぱなしの髪も、風に流されている。上空に浮かぶ薄い雲も流されている。
ファインダーを覗き込みながら、これまで自ら進んで自然と向き合うことがあっただろうか、と疑問が浮かんだ。いつもは、レイが「花が咲いた」だの「かわいい石をみつけた」だのと言って、ミロクを引っ張りまわす。最近ではセハルも加わって、空を見上げることが増えた気がする。
「毒が蔓延してるはず、なんだけどな」
見上げる空は、少しは浄化が進んでいるのだろうか。カウムディーに問えば、進んではいるものの芳しくもない、という答えが返ってくるのだろうが。
レイが、セハルが、生きやすい世界になれば良い。
そう願ったところで、背後から声を掛けられた。
「ミロク兄、何やってるんすか?」
ミロクは振り向いて、カメラを正面に構え直す。
「写真、撮ってるんだ。ほれ、笑え」
急な要求だったにも関わらず、フェイファは即座に満面の笑顔を作った。直後に、カシャッという軽い音がする。
「ほら、撮れたぞ」
ミロクはフェイファの横に並ぶと、カメラを操作して小窓のような画面を見せた。小さなフェイファが、八重歯を見せて笑っている。
「おおっ。綺麗に撮れてるっすね」
小窓を覗き込んだフェイファの目が輝く。素直に感嘆の声を上げられると、気分も上向きになるというものだ。ニヤニヤと笑うミロクに、フェイファは首を傾げた。
「でも、なんで急にカメラなんて始めたんすか?」
「スクラップ市から帰ってきたところで、セハルに渡されたんだ。『趣味でも持て』ってな」
「ああ、あの時のカメラっすか」
フェイファは、セハルがカメラを買うところに居合わせていたらしい。現像するには道具がいるから、ということでフィルムではなくデジタルの方を選んだのだと教えてくれた。
「それにしても、ミロク兄って案外まじめなんすね。言われた通り、カメラ始めるって」
「昨日、同じことをシショクの連中にも言われた」
苦虫をかみ潰したような顔をするミロクに、フェイファは大笑いした。
「良いんじゃないっすか? 趣味が持てるってことは、平和ってことっすよ。生死の境をさまようような環境だったら、そんな余裕無いっすもん」
思わぬ指摘に、ミロクは目を丸くする。
「確かに、そうだな。案外賢いんだな、おまえ」
「案外は余計っすよ」
文句を言いながらも、フェイファは快活に笑った。
「んじゃ、そろそろ帰るわ。遅くなると、うるせーのが二人に増えたからな」
ぼやきに、更に「ぷはっ」とフェイファが笑い声を漏らす。
「心配してくれてるんすよ。セハル君、ずいぶん馴染んだんすね」
「まあ、戸惑う姿は減ってきたかもな」
最初は不満がっていたリキッドも当然のように飲むようになったし、道に迷うことや研究室の階を間違えることも減ってきた。セハルは体調面も良好で、検査のために研究所へ行くこともなくなった。比例して小言が多くなってきたが、世間で言う『まじめ』で『良い子』といった印象が強い。昔、ミロクが出会った彼と同一人物とは、とても思えなかった。
フェイファと別れ、カウムディーに暇を告げてから観測区を出発する。早めに出たつもりでも、研究所で空箱を下ろす作業が入るため、家に着く頃には辺りが薄暗くなり始めていた。どれだけ毒が蔓延している世界でも、時が過ぎることだけは変わらない。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「おかえり」
戸を開けると、エンジン音を聞きつけたレイとセハルが並んで立っていた。二人で出迎えるようになってから、既に数日が経つ。まるで似ていない二人だが、なぜか兄妹にも、懐く子犬にも見えて微笑ましい。
以前は、留守番を言い渡されるたびに顔を青くしていたレイも、今では笑顔で送り出してくれる。セハルを預かることに決まった時こそ戸惑ったが、存在に助かることも多く、ミロクはひっそりと研究所の上層部に感謝している。
ところが、「今日は、お茶をいれてみたんだ」というセハルの言葉に、感謝の気持ちが一変する。早く早くと急かす二人に、ミロクの眉が歪んだ。
「おい。そのお茶ってのは、どこから仕入れたんだ?」
「ミロクが出てってすぐに、ルタさんが持ってきてくれたんだよ」
上機嫌に話すレイに、ミロクはますます顔をしかめた。
「毒入りじゃねえだろうな」
「なんで、すぐに疑うかな」
セハルが呆れたように言う。
「カウムディーのとこで出されたもんならともかく、直接持ってきたやつなんて飲めるかっ」
「そんなこと言うなよ。例の場所で育てたお茶だって。『心にも余裕が必要だろ?』って言ってたぞ」
「余裕ねえ」
ミロクは観念して、セハルが手ずからいれた茶を口に含んだ。花を感じさせる甘い香りが、優しく鼻の奥をくすぐった。
「良い香りでしょ?」
尋ねるレイに、ミロクは「まあな」と素直に同意した。
「確かに、余裕があるのは良いことかもな」
「意外だな。あんたが、そんなこと言うなんて」
目を丸くするセハルに、ミロクはカメラを手渡した。
「趣味を持てるのは、平和ってことらしい。余裕が持てるのも同じことだろ?」
「『らしい』って、誰に言われたんだ?」
「フェイファ」
セハルは驚きのあまり、カメラを落としそうになる。慌てて両手で持ち直すと、「なんか、それも意外だな」と言いつつ、カメラを操作して画像を確認する。「私も見たい」と、レイが横から覗き込んだ。
「へえ。よく撮れてるじゃないか」
顔をほころばせるセハルに、ミロクはニヤリと笑った。
「腕が良いからな」
「まだ一ヶ月も経ってないのに、よく言うよ」
セハルが、笑い声を漏らす。思えば、表情が柔らかくなったものだとミロクは感心した。良いとは言えない出会い方だったため、しかたないところもあるのだが。
茶を更に一口飲んだところで、呼び鈴が鳴った。「私が出るっ」と立候補するレイに任せる。この家に来る人間は限られている。整備士のおっさんかルタだ。
ところが、家に通されたのは、どちらでもなかった。
「邪魔をするぞ」
レイと共に部屋に入ってきたのは、白衣を着たままのレンリだった。
「珍しいな。うちに来るなんて」
レンリとはしょっちゅう顔を合わせているが、家に来るのは年に二、三度あるかどうかだ。レンリは研究所に入り浸りであることが多い。休日はミロクを足替わりに使うくらいなので、出不精というわけではないだろう。単に、忙しいのだ。
今も、難しい顔をしている。遊びに来たわけではないことは明白だった。
「至急の要件だ。悪いが、私をドゥルガーまで送ってもらいたい」
「ドゥルガー?」
驚いたのは、ミロクだけではなかった。
「なんで、ドゥルガーなんかに?」
セハルから更に問われ、レンリは白衣のポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「私の元に、招待状が届いた。正確には、メールだがな」
セハルに渡された紙切れを、ミロクとレイも横から覗き込んだ。常套句がずらずらと並べられているが、要約すると『リキッドを見せてもらいたい』ということだった。
「パーパよりも先に動くとは、意外だったな」
レンリは笑顔で肩をすくめたが、目の奥は笑っていない。ミロクは彼女の目を直視したまま、口を開いた。
「本当に行くのか?」
「ああ。メールの送り先が分かる程度には、こちらのことを把握されている、ということだからな」
情報が流れているということは、上層部の予想以上に島外の諜報部隊が島に入っているということだろう。人手不足で警備に回す人数が限られていることが、大きな要因の一つとなっているに違いない。
「博士が行かないとダメなの?」
レイは今にも泣き出しそうな顔をして、白衣の袖を引いた。何が起こっているのか完全に理解しているわけではないだろうが、彼女なりに不安を感じているようだ。
レンリはレイの手に自分の手を添えつつ、笑顔でうなずいた。
「先方は、ヒヨクか私をご希望だからな。ヒヨクが当てにならない以上、私が行くしかあるまい。なに、ただの商談だろうから、さほど危険も無かろう」
「だと、いいけどな。で、行くのは俺とレンリの二人だけか?」
ミロクは、わずかに首を傾げた。常に小競り合いが起きているドゥルガーでは、地図にしろナビゲーションシステムにしろ、役に立つかが分からない。ミロクもレンリもドゥルガーのことは詳しくないため、迷う可能性が極めて大きい。
その点はレンリも自覚しているのか、「いや」と首を横に振った。
「ルタとフェイファも連れていくつもりだ。彼等はドゥルガーの出だからな。国境付近は昔と大きく違うだろうが、いないよりはましだろう」
「俺も行く。俺だって、ドゥルガーの出だ」
セハルからの思わぬ申し出に、ミロクとレンリは目を丸くした。
「行くっつっても、おまえ、記憶が曖昧なんだろ?」
「地理なら、ある程度覚えてる。ルタにキックボクシングも習ってるし、機械をいじることだってできる。多少は役に立つと思う」
彼の目力は強く、冗談で言っているわけではないことが、ひしひしと伝わってくる。
レンリは苦笑して、肩をすくめた。
「物好きな奴だ。分かった。連れていくからには、頼らせてもらうからな」
「分かった」
セハルは、力強くうなずいた。
「私も行くっ」
「おまえはダメだ」
顔を青白くしながら口を開いたレイの訴えを、ミロクは間髪入れずに拒否した。
「さっき、レンリの心配をしたばっかだろ。何かあったら、どうするんだ」
「でも……でも……」
レイの目から、涙が零れる。ミロクはため息を一つ吐いて、丸い頭に手を乗せた。
「でも、じゃねえよ。連れてって一番危ないのは、おまえだろ」
「確かに、特別な存在だからな。ドゥルガーが目をつけてるとも限らん」
レンリも深く息を吐いた。
「ミロクとセハルの安全は、私が保証してやろう。レイは、シショクでおとなしく待っていることだ」
レンリの瞳に五色の光が帯びる。すると、レイは涙を止めて、こくりとうなずいた。だましているような気分になるが、こればかりは仕方がない。
ミロクは再び、大きくため息を吐いたのだった。
軍の命令で、荒野に立っている。こうしていればレイを助けてくれると言うので、盾となっている。
立ち始めた頃は、どれだけ銃弾を受けても平気だった。服や体に穴が開いても勝手に塞がっていくし、痛みも感じなかった。それが徐々に傷が増え、痛みも感じるようになっていった。
見目麗しい紫色の髪からは、根元から色素が抜けていった。それと反比例するかのように、周りの感情が伝わるようになった。狂気と恐怖が荒野に同居していた。
敵は今日も、銃弾と共に戦神と呼ばれる人間を送り込んでくる。戦神には、くせ毛で常に笑っている青年と黒髪の表情に乏しい少年の二種類がいる。味方の銃弾を浴びて逃げ帰ることが多い彼等だが、この日は黒髪の少年がミロクの横をすり抜けて、背後で隊列を組んでいた軍に迫った。
狙いを定められた若い軍人の顔が、恐怖で歪む。いつかの夕飯時に、かわいい妹が名門の高等学校に受かったのだと写真を見せながら自慢をしていた男だ。妹は、どことなくレイに似ていた。
レイの顔が思い浮かんだ瞬間に、氷柱が戦神を襲っていた。乾いた荒野に突然現れた氷柱に、軍人達が一斉にどよめいた。襲われた戦神は、左の二の腕を右手で押さえながらミロクを振り返り見た。犯人はおまえだとばかりにミロクを睨みつけた後、土を蹴った。
ミロクと少年の距離が、一気に縮まる。その間も、氷の礫がいくつも少年にぶつかった。少年は顔に数カ所傷を作りながらも、ミロクを蹴り上げた。宙に浮いたミロクは、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。
倒れたミロクを目掛けて、更に少年の足が振り下ろされようとしていた。しかし、実行される前に横槍が入った。体格が良い男が少年を殴りつけ、更に銃を放つ。少年が距離を取ったところで、男はミロクの手首を掴んで引っ張り上げた。
「ほら、立て。帰るぞ。許可ならシエンに取ってある」
王子の名を呼び捨てにする不遜な男は、ミロクの顔を見て、「直にレンリが迎えにきてくれるぞ」と言って笑った。
木で組まれた素朴な桟橋に、船体が徐々に近付いていく。妙な夢を見たせいで眠い分、より慎重になる。ぶつかることなく停止した船は、錨とロープによって固定された。
「あんた、意外に器用なんだな」
船を手際よく着岸させたミロクに、セハルが感心したように言う。さすがに船舶を運転できるとは思っていなかったようだ。
「たまーに、諜報部の奴等の送り迎えをすることがあってな。特に、ヒガンは揺らすとうるせーから練習した」
ドゥルガー出身のあの男は、趣味が嫌味を言うことかと思うほど、人の失敗に対して生き生きとするところがある。しかも、ニヤニヤと笑いながら、しつこい。怒ってもらう方が、まだマシだ。
ミロクは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、髪をかき上げた。着岸したところは、島よりも濃い色の緑が鬱蒼と茂っていて、湿度も温度も高い。指を滑らせた頭皮も、既に湿り気を帯びている。
「ヒガンがいれば、誰よりも適任だったんだけどね」
ルタが腕にとまった虫を叩きながら言う。
諜報部員達は、スクラップ市が終わって数日後には各々の任務地へと散っていったようだ。島を出る前日にふらっとミロクの家を訪れたヒガンが、「ミロクの船でシュスまで送ってもらいたかったなー」と心にもない言葉を口にしていたので、ヒガンが出発した日と行先だけはミロクも知っている。シュスは遥か東の国にある港町で、幸か不幸かドゥルガーにヒガンはいない。
「いないものは仕方があるまい。それより、虫が多いな。フェイファ」
しかめ面をしたレンリは、両手で細かい虫を追い払っているフェイファを見た。フェイファはベストのポケットから緑色の棒と火打石を取り出すと、ルタに放り投げる。
「とりあえず、煙で虫を避けててほしいっす。俺は、おばちゃんから車借りてくるんで。行くっすよ、ミロク兄」
名前を呼ばれて、ミロクは目を丸くした。
「俺もか?」
「俺、運転できねーっすもん」
「しょーがねえなあ」
ミロクはため息を吐くと、フェイファの後を追った。小柄な体は、道なき道を慣れた様子で進んでいく。その手には、ポケットから出した小型のサバイバルナイフがあった。生い茂った枝をナイフで払い、時には折って道を作ってくれるので、後ろをいくミロクは苦も無く歩くことができた。
熱帯地方の森林を抜けると、小さな集落に出た。フェイファとウーゴウの出身地で、アウシュニャという名前の村だということはミロクも事前に聞かされている。ここで移動手段を確保する計画だ。
ミロクは、物珍し気に周囲を見回した。どの家にも、枝と蔓で組んだ庇と雨水を貯める樽が付いている。小さな集落でも上水道が敷かれていたパーパと違い、端々まで開発が進んでいないことが分かる。舗装をされていない道は石ころだらけで、手のひら大の石もそのまま転がっている。
少し気になったのは、地面から生えている煙突のようなものだ。集落とそれを囲う森林の境目辺りに、隠すようにしてある。パーパとの国境が近いことから地下に避難場所があり、その通気口なのかもしれない。
ともあれ、こんなところに移動手段があるのか疑い始めたミロクは、一台の灰色のトラックを見て安堵した。フェイファの足は、トラックが停まっている家の前で止まった。目印なのか、庇から釣り下がった蔓に褪せた黄色い布が結ばれている。
「ビーショウおばちゃん、いるー?」
大声でフェイファが呼ばわると、薄っぺらい木のドアが割れそうな勢いで開かれた。のしのしと恰幅の良い女性が出てくる。白髪混じりの黒い髪を後ろで一つに束ね、左手首には木彫りの腕輪を付けている。
ビーショウは元々丸い目を、更に丸くした。
「フェイファッ。あんた、いったいどこに行ってたんだい? 今まで、何をやってたんだい? ウーは、どうしたんだい? 体に異常はないだろうね?」
フェイファに負けない大声で矢継ぎ早に質問しながら、肉付きの良い手でフェイファを抱きしめた。小柄なフェイファは埋もれるようにしながらも、ビーショウの脇腹に腕を回す。
「今は、島で暮らしてるっす。ウーも元気だし、仕事にも困ってない」
「そうなのかい? わたしゃ、もう心配で心配で」
ビーショウはフェイファを解放すると、両手で溢れる涙を拭った。拭っても拭っても追いつかず、大粒の涙が頬を濡らしている。
「あんたの仕事場が戦に巻き込まれたと聞いた時は、どうなっちまったのかと。今や世界中に毒が蔓延してるっていうし。ああ、無事で良かった」
「おばちゃんは痩せちまったっすね」
二人を見守っていたミロクは、唖然とする。しかし、二人は彼の様子にまるで気付かない。
「これも毒のせいかねえ。村のみんなも、昔に比べて元気が無くなっちまった」
フェイファは、村を見回した。ミロクもわずかに首を動かして、様子を窺う。人口の少なそうな集落ではあるが、それにしても静かだ。畑を耕す者や衣服を干す者の姿はあるが、話声は一切聞こえてこない。
「ほんとだ。俺が知ってる村と違う」
しょぼくれるフェイファの頭を、肉付きの良いビーショウの手が優しく撫でる。
「そんなことより、何か用があって来たんじゃないのかい? 単に、戻ってきたわけじゃないんだろう?」
「そうだった」
フェイファはビーショウから離れると、トラックのボンネットを叩いた。
「おばちゃんに頼みがあって来たっす。このトラックを貸してほしいんすよ」
「こいつをかい?」
トラックの傍に寄って車体を撫でるビーショウに、フェイファはうなずいた。
「こいつで、島の博士を政庁まで運ぶっす。博士は王様の依頼で、毒の無いリキッドを説明するために来てるんすよ」
「博士って、まさかこの方かい?」
ビーショウが眉間に皺を寄せて、じろじろとミロクを見る。博士に見えるとはミロクも思っていないので、不躾な視線も特に気にならない。
「俺は運転手だ。博士は森の中で待たせてる。小さな村に、急に大勢で押し掛けたら迷惑だろうからな」
「そりゃ、お気遣いありがとうよ。でも、驚いて騒ぐ奴なんているかねえ。この通り、ほとんどの人間が無気力になっちまったからね」
ビーショウは苦笑いをしながら、力なく首を横に振った。それを見て、フェイファは両手を強く握りしめる。
「交渉がうまくいったら、毒を食べなくて済むようになるっす。そしたら、元の村に戻るかもしれない」
「ああ、そうだね。うまくいくように祈ってるよ」
ほほ笑むビーショウだが、希望を抱いているようには見えない。毒と共に暗い影が、人々の心に蔓延しているようだった。
「トラックは自由に使いな。鍵は差したままになってるから」
「ありがとう」
トラックを借りることはできたが、セハル達が待つ場所へは道なき道しかない。ミロクが集落の外へトラックを移動させる間に、フェイファがセハル達を呼びにいくことにする。
フェイファは少ししょぼくれながらも、走って森の中へと戻っていった。
「ありゃ、あんたの心を察してるな」
「あの子には悪いが、仕方ないさ。神様に願ったって、どうにもならないんだから」
「神様、ね」
ミロクは頭を掻きながら、村を見回す。村の中心には、小さいがどこの家より太い柱と厚い板材の屋根が付いた祠があった。元々は、強い信仰心があったのだろう。今は見向きもされないようで、祭壇には何も飾られていない。
「神様は願いを叶えることは滅多にない。過ぎた願いは、ただ受け止めるのみ、だそうだ。何かを成すのも、責任を負うのも、その地に生きる者達でなければならない、らしい」
『生まれたて』の頃、語って聞かせてくれた人を思い出す。あの時の瞳は、慈愛の色を帯びていた。必要以上に干渉することはない。しかし、完全に見限ることも、また無いはずだ。
「受け止めるのみ、かい。まあ、一方的に願いを押し付けるなんざ、失礼極まりないのかもね」
ビーショウは笑うと、運転席のドアを開けた。
「さあ、乗った乗った。あんた達は、何かを成して責任を負おうってんだろう? 帰ってくるまで船の番くらいは、しておいてあげるよ。フェイファを頼んだよ」
厚い手に背中を押されて、ミロクは転げるようにトラックに乗り込んだ。椅子に座り直すと運転席の周囲を見回して、チェンジやミラーの位置を確認する。普段乗っている車より三十センチほど長いが、機能面はさほど違いが無く、慣れれば運転できそうだ。
「フェイファは、あの一際背の高い木のところから出てくるはずだよ。さあ、行きな」
言い終わるなり、ビーショウはドアを閉めてしまう。ミロクは息を吐くと、エンジンを掛けた。一応、整備はされているらしい。エンジンが止まることなく、フェイファが出てくるという木の近くまで走ることができた。
ミロクはトラックを降りると、改めて外観を一通り確認する。給油口はあるが、太陽光パネルなどの発電装置は無い。近くに燃料を補給できる場所があるのだろう。
再び中に戻ってカーステレオをいじりだしたところで、レンリ達を引きつれたフェイファが戻ってきた。道中で、フェイファの話を聞いたのだろう。一様に、陰りのある表情を見せている。
特に、同じドゥルガーの田舎町出身のルタは、重く受け止めたのかもしれない。政庁に向かう前に、実家に寄りたいと希望した。あくまでミロクの依頼者はレンリであり、決定権は彼女にある。ミロクが寄って良いか尋ねると、彼女は無碍に断ることをしなかった。
ルタの故郷は、アウシュニャから北西へ数十キロのパーパとの国境付近にあった。ミロクが予想した通り、途中には街があって燃料を補給することもできた。ミロク達が住む区画の倍の規模があるその街は、活気はあまり無いものの淡々と生活をしているようだった。
ところが、ルタの故郷に近付くと、一気に景色が変わった。森林は焼き払われ、集落も焼けた柱が数本残されているのみだった。当然、人の気配は無い。戦火に巻き込まれたのは明白だ。
車を降りたルタは、畑だったと思しき場所に佇んだ。そんな彼の横に、ミロクが並ぶ。ちらりと横を窺うと、ルタは涙こそ流していないが唇が小刻みに震えていた。伝聞と現実を目の当たりにするのとでは、受け止め方に天と地ほどの差があるのだろう。
「いつか帰って来るつもりだったんだが。『いつか』とか『つもり』とか、本当にその気があったのかって、責められても仕方ないわな」
「少なくとも、カウムディーは責めてねえだろ」
研究し続けるルタを、彼女は呆れたように笑いこそするが、責め句を連ねたことは一度として無い。ルタの努力はもちろんのことだが、彼を責めても仕方がないことを、きちんと理解しているからだ。
「おまえがやることは唯一つ。堂々と、毒のねえ作物を開発してりゃ良いんだ。数年後には、どっかで生きてる村の連中にも届くさ」
村の人間が全員無事かどうかは、分からない。ただ、ミロクが以前ヒガンから聞いた話によると、瀕死の状態だったカウムディーが発見されたのはドゥルガーの中央部寄りだったらしい。怪我の程度はともかく、逃げることができたというのは確かだ。
十数秒の間の後、ルタはぽつりと「そうだな」と呟いた。
「寄ってもらって悪かったな、レンリ。政庁へ行こう」
ルタは離れた場所で待つレンリを振り返ることなく、そう言った。「分かった」とだけ言って、レンリはトラックに乗り込んだ。
「行くぞ、ミロク」
ルタにそう促されて、ミロクも運転席へと戻った。やや遅れてトラックに乗り込んだルタの顔を、バックミラー越しに確認する。眉間に皺を寄せて、険しい顔をしている。ミロクの言葉一つだけで、容易に気持ちが切り替えられるものでもないのだろう。
ため息を一つ吐いて、ミロクはトラックを発進させた。車内はエンジン音が支配している。時折、衣擦れの音がするくらいだ。普段はおしゃべりなフェイファも、ルタに遠慮しているのか口を閉ざしている。
重苦しい空気の中を運転するのは疲れる。ものの数分で、ミロクは心の中で音を上げた。
カーステレオに手を伸ばして、スイッチを入れる。しかし、電波が悪いのか、聞こえるのは砂嵐の音だけだった。諦めてスイッチを切ると、運転に専念することにした。
だが、行けども行けども変わり映えのしない荒野が続く。十数分も走ると、進路も疑わしくなってくる。道を確認したいのだが、車内の空気は相変わらずで口を開いて良いのかも分からない。
ちらちらとバックミラーで後部座席の様子を確認していたミロクは、急に現れた人影に少しばかり反応が遅れた。急ブレーキをかける羽目になり、体が前に傾く。
「荒いぞ、ミロクッ」
すかさず、レンリから叱責の声が飛ぶ。ミロクは「悪い」と短く応じてから、改めて前方を見た。トラックの前に立つ人物に、目を見開く。
「なんで、セハル君が二人いるんすか?」
率直に、フェイファが問う。助手席に座るセハルも、息を呑んだ。
「戦神か」
舌打ちをするミロクに、「あれが戦神なんすか?」とフェイファが更に問う。ドゥルガー出身といえども、全員が戦神の姿を知っているわけではないのだ。
「ああ。すぐに攻撃するつもりは無いが、見逃してくれるつもりも無さそうだな」
戦神は無表情のまま、助手席のセハルを見ている。自身と同じ姿のものを観察しているのかもしれない。
「どうするんだ? こっちから仕掛けるか?」
セハルが、拳を握る。ミロクは、彼の腕を掴んだ。
「やめとけ。降りる前に攻撃されるぞ」
「かと言って、このままというわけにもいかないだろ」
「まけば良いんじゃないっすか?」
後部座席から、あっけらかんとした声が掛かる。
「できるのか?」
「もちろん。アウシュニャ出身者を舐めないでほしいっす」
ミロクがバックミラーで後方を確認すると、フェイファはにんまりと笑っていた。小さな集落と見捨てられた祠くらいしか覚えが無いが、この自信はどこから来るのだろうか。ミロクは首を傾げた。
「俺が合図を送ったら、後ろにざーっとさがった後、すぐに大きく蛇行するみたいに走ってほしいっす」
「後ろにざーっと、すぐ蛇行」
眉間にしわを寄せるミロクを、セハルが不安そうに見ている。フェイファは構わず、右手に黒い球を持った。
「ルタさんは、俺の体を支えててほしいっす。落っことしたら怒るっすよ」
日頃から、あまり接点が無いルタにも構わず指示を出す。緊急事態で、気を遣うことを放棄したらしい。ルタも「はいよ」と応じて、細い腰に両腕を回した。
フェイファの考えを察したのか、レンリは「なるほど」と言って口角を上げる。
「うまくいくよう、手伝ってやろう。それ」
パチン、という乾いた音がする。レンリが指を鳴らしたのだ。
と同時に、戦神の後方で土が吹き飛んだ。爆発は極めて小規模だったが、戦神の目を逸らすには充分な効果があった。戦神は視線と同時に、体の向きもトラックから爆発地点へと変えた。
フェイファは素早く窓を開けると、身を乗り出した。
「ミロク兄っ」
名前を呼ばれ、ミロクはトラックを後ろへと急発進させる。黒い球はフェイファの手を離れ、戦神の足元に落ちた。地面に着いた瞬間に割れた球から、勢いよく白煙が吹き出す。ミロクはギアを前進に切り替えると、蛇行運転を始めた。
「ルタ。回収してやれ」
「はいよ」
レンリの命令を受けて、ルタはフェイファの腰を思いきり引っ張った。トラックの中に引きずり込まれたフェイファは、勢いのままにルタの上に転がった。ルタはフェイファを抱えたまま、窓を閉める。
トラックは白煙が立ち上る地点を避けて通ったが、白煙の量が多い。煙が、閉まった窓を撫で上げていく。数秒後には、すっかり白煙に包まれていた。
「前が見えねえっ」
「がんばれ、ミロク兄っ」
「充分がんばってるっつの」
アクセルを弛めるのは、ハンドルをきる時だけだ。トラックが進行方向を変えるたびに、遠心力に従って体が傾く。
あと、何度ハンドルをきれば良いんだ。そう考えが頭を過ぎった時、ハンドルを持つ腕に手がかけられた。
「真っ直ぐで良い。もう諦めてる」
ミロクはちらりと横目でセハルを見た後、ハンドルを真っ直ぐに戻した。いっぱいまでアクセルを踏み込むと、数秒後には白煙を抜けていた。なんの面白みも無い荒野でも、ほっと安堵のため息が出る。
セハルの言葉に半信半疑だったのか、白煙が抜けてからずっと後方を窺っていたフェイファが前を向いた。
「よし。まけたみたいっす」
「やるな、フェイファ」
ルタに褒められて、フェイファは満更でもなさそうに笑った。
「でも、次に来たら打つ手が無いっすよ? あれ、本当は換気のチェック用なんすけど。余ったのをポケットから出し忘れてただけっすから」
言いながら、両手を広げる。もう持っていない、ということだろう。それを見て、「ふむ」とレンリは顎に手を添えた。
「乗り込む前に、諜報部の誰かと落ち合うか」
「連絡取れるのか?」
ミロクはアクセルを弛めると、バックミラー超しにレンリを見た。
「おそらくな」
レンリは頒布製の肩掛け鞄から、小型の無線機を取り出す。真四角で厚みのある旧型だが、新型を使うよりも電波の通りが良いらしい。
無事に無線が繋がり、ルタの案内で近くの村にトラックを停車して待っていると、泥はねの跡がびっしりと付いた苔色のトラックがやって来た。乗っていたのはパーパの元軍人で、シャオウという名の人物だ。筋骨隆々で、ミロクより頭一つ分背が高い。毒を気にせずに食事ができた頃は、誰よりも飯を食い、誰よりも酒を飲んだ。気さくな人柄で、ミロクとも面識がある。
トラックから降りたシャオウは、セハルの姿を見つけるなり黒々としたつり目を丸くした。
「なんで戦神と一緒にいるんだ?」
「こいつは戦神ではない。正しくは、『今は』戦神ではない、だが」
レンリの言葉に、セハルが息を呑んだ。対してシャオウは、「なるほど」とうなずく。
「使えるものは、なんでも使うんだな。ヒガンはオリジナルだが、こいつは複製品だろう。こいつのモデルは、先の戦の前に死んだはずだからな」
セハルの下げた拳が、小刻みに震える。レンリは低く笑った。
「そのヒガンが拾ってきた張本人なんだがな。それより、一つ訂正せよ。先も言うたが、こいつはもう戦神でもなんでもない。既に新しい世界に生まれ、己の人生を歩き始めた『セハル』という名の一人の人間だ」
「レンリにとっては、そうかもしれんがな」
シャオウは、ミロクに目を向ける。浮かぶのは慈愛と心配の色だ。
「ミロクは先の戦でこいつとやり合っただろう? 良いのか?」
「コピーがいすぎて、どのセハルとやり合ったのか分かんねえけどな」
船上で見た夢が頭を過ぎる。ミロクは顔をしかめながら、乱暴に後頭部を掻いた。
「まあ、こいつは過去の記憶が曖昧らしいし。感情もしっかりあるし。車を修理してくれる奴に出てかれると整備士連中がうるせーし。趣味くらい持てってカメラ寄こす奴だからな」
「なんだそりゃ?」
「この世の全てを遠巻きに見てる感じがするから趣味くらい持てってさ」
おもしろくない、とばかりに肩をすくめる。シャオウは吹き出すと、大声で笑いだした。
「そいつは間違いねーわ」
「間違いねーかはともかく、カメラ寄こすような戦神はいねえ」
「確かにな。奴等からは感情ってもんが読めねえ」
シャオウはひとしきり笑った後、眉間にしわを寄せた。
「昔も厄介な相手ではあったが、統率が取れていた。司令塔からの指示は絶対だが、藪から棒に攻撃を仕掛けるわけでもなかった。今は、暴走してると言って良い」
「暴走?」
「世界入滅の日以来、世界中に毒が蔓延してるのは知ってるだろ? 実は、電波にも影響が出始めてるらしい」
電波への悪影響は、研究所に近しい者なら周知の事実だ。ミロクとルタは同時にうなずいたが、レンリは眉一つ動かさずシャオウをじっと見つめている。
「レンリなら分かるだろう? 浄化が始まってるナカツクニならともかく、島外じゃ通信機器がまるで役に立たなくなる日が来る。当然、指令も届かない」
「今のうちに戦神を止めねばならんな」
レンリの言葉に、シャオウがうなずく。
「現在のパーパとドゥルガーの争いも、戦神の暴走が主な原因のようだ。今はパーパが持ちこたえているが、武器も人も使い物にならなくなれば潰れちまう。パーパ以上の武力を持った国が、他に無いからな。やがて世界は、戦神しかいなくなるかもしれん」
「好戦的だという王の弟が、戦神を動かしているのだろう? 戦神が完全に制御不能となれば、いずれドゥルガーにも牙を向けると理解しておらんのか?」
「中身は十三歳の少年なんで」
シャオウは、いかつい肩をすくめた。
「周りの戦争支持派連中も、目先の欲に駆られてる」
「武器は、高価格で取り引きされるからな」
「こんな世界じゃ稼いでも意味ないって思わないんすかね?」
首を傾げるフェイファに、レンリは苦笑する。
「言ったであろう? 目先の欲だとな」
「だが、俺達がここに来たのは良い機会だ。完全に暴走する前に潰そう」
村の有様を見てきたからか、ルタの目がギラギラと光っている。対して、フェイファは首を傾げた。
「潰すのは良いっすけど、どうやって?」
「それは……」
「戦神だって動力源がいる。島外の生き物の食事、島の人達のリキッドと同じだ」
「セハル、おまえ」
答えに窮するルタに変わって答えたセハルに、ミロクは目を丸くする。ミロクが次の言葉を探している間に、レンリが口を開いた。
「動力源の場所は分かるか?」
「おぼろげにしか」
「おおよその場所なら見当がついてるぞ。こいつの記憶と照らし合わせれば見つけ出せるかもしれん」
シャオウの言葉に、レンリがうなずく。
「よし。お前達は動力源を探せ。私は、ルタと国王に会ってくる」
「俺も?」
すっかり動力源を探す気になっていたのだろう。驚くルタを、レンリがジト目で見やる。
「おまえも研究者の一員だろう。それに、シャオウもセハルも動力源を探しに行く。とすれば、他に誰が私の護衛を務められるというのだ」
ミロクとフェイファを順に見たルタは、苦笑いを浮かべた。
「……俺かな」
「分かれば、よろしい。ミロクは、セハルと共に行け。帰りは、シャオウと別行動になるだろうからな」
「あ、俺も付いてって良いっすか? 建物の構造を見てみたいっす」
ミロクの横で、フェイファが元気よく挙手をする。風車の修理を手掛ける彼は、それ以外の建物を見るのも好きらしい。普段から、「勉強のためっす」と言っては人の家に上がり込んでいるようだ。ミロクの家に来た時も、屋根裏から軒下まで隅々まで見学していた。
フェイファの希望を聞いたレンリは、シャオウに向かって小首を傾げる。
「だそうだが。守りきれるか?」
「相手にもよるけどな。まあ、努力はしてみるが」
大袈裟なほど大きなため息をシャオウが吐いた。レンリはそれを綺麗に無視すると、真っ直ぐにセハルの目を見た。
「やれるな?」
セハルは何も言わず、力強くうなずいた。
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