猫に転生して飼い主を困らせワガママ放題するつもりだったのに、主が好きすぎてツンデレできません。

澁澤 初飴

飼い猫マオの日常

第1話 魔王はマオになったってさ

 その死闘は、伝説として語り継がれるほど激しいものだった。


 俺(公式の場ではカッコつけてわれと自称していたが、普段は普通にこう言っていた)はその男と対峙した時、不思議なほど運命を信じられた。何かがしっくりきた。


 来るべき時が来たのだ。


 魔王序列全二十一柱の十四番目、掠奪の魔王と呼ばれる俺にその田舎勇者が挑戦してきたのは、ちょうど楽しみにしていたプリンが亜魔存アマゾンから届いた日だった。

 3ヶ月待ちを魔王特権で2ヶ月にしてもらって、やっと届いて、勤務時間が終わったら魔王城(と言うほど立派なものではないが)のお気に入りの居間で夕日を見ながら食べようと冷蔵庫に入れておいたのに。


 勇者そいつは俺の配下を叩きのめし、揚々と俺の前に現れた。

「掠奪の魔王が、大した品揃えだな」

 配下が守っていた宝の数々を無造作に投げ出し、勇者は鼻で笑った。

 確かに奴の装備はこの辺りでは手に入らなそうな立派なものだった。見事な装飾のついたきらめく刃の剣、魔法のかけられた盾、輝く鎧に女神の加護のかけられた外套マント


 そんなん持ってるならもっと先行けよ!


 俺は怒鳴りたいのを抑え、精一杯の威厳をもって玉座から立ち上がった。

「我に挑むのか。覚悟はできているのであろうな」

 奴のレベルはそれほどでもない。甘ったれた顔だ。しかし装備の力がすごすぎる。


 奴が俺の百年目だ。


 理解はできたが、俺とて魔王だ。配下を従え、序列を少しでも上げ、配下とその家族がいい暮らしができるように人間たちと戦い続けてきた。

 黙ってやられてたまるか。貴様が笑った宝は、それでも俺たちが代々守ってきた誇りだ。


 ただではすまさない。


 俺は必死に魔法を繰り出した。奴の鎧が俺の渾身の魔法を跳ね返し、マントが癒す。勇者の剣の腕はなまくらだ。それでもその鋭い刃は俺を切り裂き、俺の魔法では回復できなかった。

 俺はじりじりと後退した。血が流れ過ぎている。


 それでも、俺は魔王だ。

 俺は吠えた。

 闇の法衣がかき消され、俺はここ何百年と誰にも見せたことのなかった真の姿になった。

ドラゴンか!」

 俺は答える代わりに炎を吐いた。人を模した仮の姿の数倍の魔力が体に満ちる。ここまでしてしまったら、また魔力を蓄えるのに何年も眠らなくてはならない。

 それでもいい。奴を倒す。


 俺はまた炎を吐いた。そして愕然とした。

 奴の盾は、俺の炎すら弾くのか!

 俺は爪を振り上げた。癒えない傷から血が流れ続けている。

 大した腕ではないのだ。こいつに使われている剣は泣いているだろう。

 しかしその剣は泣きながらも仕事を果たし、俺に傷を積み重ねていく。

 苦しい。悔しい。こんな奴に。

 剣が閃き、角が飛んだ。角は魔力の源だ。いや、もう一本ある。腕が。まだだ。翼はもういい。俺は逃げない。


 一撃。一撃でいい。ぬくぬくと装備に守られた奴に、俺の牙を。


 俺はどうと地に伏した。

「ずいぶん頑張ったが、ここまでだな」

 勇者がさすがに息を切らして剣を納めた。俺の血で床が濡れ、それを遠慮なくびちゃびちゃと踏んで奴が近付いてくる。

「この城の宝なんぞに興味はないが、僕は城がほしいんだ。この城は女性が好みそうなデザインだし、整備して観光地化したら大儲けできる。城をエサにして結婚相手を探してもいいな」

 そんな理由で。俺は怒りで息が炎になりそうなのを懸命にこらえた。


「それに、魔王の居間には素晴らしい壁画があるそうだな」


 俺ははっとした。

 彼女はダメだ。彼女は渡さない。


 居間の壁画は、俺がこの城を手に入れた時からあるものだ。

 この地域の美しい自然を描いたものだが、その隅に小さく、といっても巨大な壁画だからほぼ人と同じくらいの大きさで、祈る女性の姿が描かれている。

 描かれている人は彼女だけで、それも少し木陰になっているから、よく居間に出入りしていた配下の魔物も気付いてはいなかった。


 俺はひとりの時よく彼女と寄り添って立った。

 彼女が祈っていたのは、誰に、何を。俺はそれを知りたくて壁画を見つめた。そして永遠の謎に疲れると、彼女の横で窓の外を眺めた。

 俺は彼女と一緒に、月も、星も、朝日も見た。芽吹く春、短い夏、命が眠りにつく冬。全てを彼女と過ごしてきた。

 序列が上の魔王から娘の見合いを打診された時も、それで序列が上がることがわかっていても、俺は彼女を選んだ。


 彼女だけは渡さない。


 勇者が俺の体に剣を突き立てた。俺は炎の代わりに血の塊を吐き出した。

 用心深い奴だ。だが、もう少し。

「魔王なんてものは化け物の親玉だからな」

 勇者は俺の首に剣を当て、刃の鋭さに任せて切り込んだ。

 残る血を噴き上げ、俺の首が飛ぶ。


 この時を待っていた。


 俺は油断しきっていた勇者の喉笛に、全てを込めた牙を突き立てた。



「痛い痛い痛い!」

 俺が全力で突き立てた牙は、大の男に情けない悲鳴をあげさせた。

「マオ、ダメよ、噛んじゃ!」

 優しい手があっという間に俺を回収して胸に収める。

 俺はいい匂いに包まれ、瞬時に牙を抜かれた。もう喉がゴロゴロ鳴り始めてしまう。

「懐かないなあ、その猫」

「そんなことないわ、ねえマオ」

 男の声に被せるように大好きな声を浴びて、頭に頬を擦りつけられ、俺はたまらずにマーオと鳴いた。

「そうだってマオも言ってるわ」

 俺は上を見上げた。猫のように大きな目が俺を見つめ、そして男を見てほら、と微笑む。

 ああ、なんてきれいなんだ。

 俺はうっとりと俺を抱く人を見つめた。

 

 俺は猫になった。


 気がついたら猫だった。目も開かずに寒さに震えていたところを彼女に、正確には彼女に促された連れの男に拾われた。

 俺は保護され、あたたかい寝床と栄養のある食べ物を与えられた。

 俺が目を開けて初めて見たものは、猫のように大きな彼女の瞳、それから白い髪に縁取られた絵のように美しい顔。

 壁画から抜け出してきたのかと思った。

 彼女は壁画の女性に生き写しだった。髪も肌も真っ白で、華奢な細い体で、地味な黒いワンピースを着ていた。


 俺は彼女に会いたかった。


 俺は薄々猫になったことはわかっていた。そりゃわかる。渋い低音、震え上がると言われていた俺の声は(公式)、口を開けばにゃー、まーお。甲高いその声は可愛らしいにもほどがある。

 とにかく眠く、あくびが果てしなく出る。あー、と伸びるといっちょまえにピンクの肉球のついた毛だらけのお手てがぱあと広がる。

 彼女はそれを嬉しがって、何度も俺をくすぐった。彼女に触れられて、俺は幸せで死にそうだった。

 

 そうか、俺は死んだんだ。

 俺はあの時死んで、猫になったんだ。


 彼女に抱きしめられ、俺は初めどうしていいかわからなかった。

 しかし、何度も無条件に愛情を注がれ、見つめられ、微笑みかけられ、俺が思わず喜ぶと彼女は嬉しそうに笑った。

 笑ったのだ。彼女が。

 何百年もただ寄り添い、俺は祈る彼女のそばに立ち尽くすことしかできなかったのに。

 魔王にも神の奇跡はあるのか。神は何て平等なんだ。配下を守ることに汲々としている魔王なんかより遥かに頼もしい。

 奇跡は俺を彼女の腕の中の猫にした。

 俺は彼女の腕の中で溶けていく。

 猫は液体なのだ。


 例えばの話を、あり得ない夢の話をすることがある。

 例えば、生まれ変わったら何になりたいか。


 俺は一応、もっと序列が上の強力な魔王になりたいと言った。

 でも本当は、猫になりたかった。

 誰とも戦わず、殺さず、ほんの少しの手間と愛情を望んで与えられて生きる、誰からも何も奪わない存在。

 その上で祈る彼女を慰めるだけの柔らかさ、あたたかさ、むくむくとした可愛らしさ。そんなものがあったら、俺はもう死んでもいい。


 という願いは叶った訳だ。全く神というものは、もしもあるなら本当に平等で気まぐれだ。


 もし。

 もしも、あの勇者に倒された俺の配下が、望み通りの命を与えられていたら。


 あの時、あの人間の娘との恋を諦めた彼が人間になっていたら。

 新しいものを作り出すのが好きだった彼が、魔物より遥かに無個性で脆弱で数の多い人間の、役に立つものを作り出して喜ばれていたら。

 広い世界を見たいと願いながら職務に忠実に城を守っていた彼が、夢の通りに渡り鳥になっていたら。

 俺に彼らが語った夢が、語らなかった夢が、あちこちで叶っていたら。

 

 想像しているときりがない。

 彼女の膝の上で目を閉じ、確かめようもない甘い妄想を気怠く辿りながら、俺はそのまま眠りについた。

 

 

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