外伝 旅する母のラプソディ XI

「え、えぇ。英雄カナン様と言ったら一人しか居ませんよ。当時はまだルシタニアのテンプル騎士団客分指南役だったのですが、その後正式に騎士団に入団し、今ではあなたの言う通り騎士団長に就任されています」


 この言葉からするとノアの仇を討ったのは私達の宝物である息子のカナンで間違いないようだ……まぁ『手紙が真実だ』と言う前提が付くのだけど。

 しかし、そんな私の心配を余所に、隊長さんの言葉に続く兵士達が語るカナンへの賞賛は私の猜疑心を打ち消すに十分な物だった。


「英雄カナン様は私達平民の憧れなんですよ」


「小さな村を護る為に魔物大発生に立ち向かった勇者カナン!」


「魔剣フラガラッハを携え民達の為に戦う護り手!」


「カナン様が各国の勇士を集め率いたリンドヴルム討伐戦。多くの勇士達が傷付きながらも一人の死者も出なかったのは偏に最後まで最前線で戦いそして止めを刺したカナン様のお陰と聞きます」


「カナン様も凄いけど奥方のフィーネ様も素晴らしい人だぞ。数々のカナン様の活躍の陰には必ずフィーネ様が支えていたって話だ」


「あぁ、あの方は癒しと護りの術の使い手でカナン様と共に最前線で皆を護る為に戦う聖女の様なお方だ」


「実は俺、小さい頃に俺の村にカナン様が立ち寄った際にフィーネ様に会った事が有るんだ。とても綺麗で優しくて子供だった俺や友達と遊んでくれたんだよ。ありゃ女神様だね」


「う、羨ましい! 生フィーネ様に会った事があるなんて!」


「はぁ、なんで俺達の国の騎士になってくれなかったんだろうか。本当に残念だ」


「そりゃ仕方が無いって。平民を騎士に! だなんて事が許されるのはルシタニアを以って他に無いしよ」


「うちの国含めて幾つかの国じゃ公の場でカナン様を褒め称える事は禁止されてるのが納得出来ない。そりゃ他国の騎士団長だからって理由も有るけど、絶対貴族達にとって都合の悪い存在だからだぜ?」


 幾つか私が知っている事がある。

 魔剣の名前に村を護った逸話。

 それにお嫁さんの名前。

 本当はジョセフィーヌと言う名前だったかしら。

 驚いた事に元貴族のご令嬢で家門を捨てる為に名をフィーネに変えたと言っていたわね。

 王国崩壊の時に少しの間村に匿った事があるのだけど、確かにちょっと前まで貴族だとは思えないくらい良い子で、カナンには勿体無いくらい出来たお嫁さんだった。

 その時彼女からの要望で、私が幾つかの護身術と村の魔術師が護法術を彼女に伝授したのだけど、ちゃんと役に立ててくれているようね。


 どうやら噂のカナンは確かに私の息子で間違いないみたいだわ。

 疑ってごめんなさい。

 だって私の中ではいつまで経っても、やんちゃで可愛くて優しかった子供の頃の面影が残っているのだもの。

 それがこんなにも皆に讃えられる英雄になっているなんて……。


 でもこれでやっと実感が湧いて来たわ。

 他の誰でもない私の息子がノアの仇を討ったと言う事を。

 

 その事実は私の心に突き刺さっていた後悔の楔を掻き消すに十分なものだった。

 それだけじゃないわ。

 兵士達がまるで自分の事の様に笑顔で語る活躍譚の数々、そして貴族社会を否定し平民でありながら騎士団長まで上り詰めたカナン。

 それはまるで力無き者達を護ろうとして斃れた夫と貴族社会に殺された父が果たせなかった夢の遺志を継ぎ実現させたかの様に思える。


「良かった……本当に良かった。カナン……あなたは……」


 息子の名前を呟いた瞬間、私は今まで心の奥底に押し込めて来た感情が一気に噴出してくるのを抑えられず、溢れる涙と共にその場に崩れ座り込んでしまった。

 突然泣き崩れた私に周囲の人達は驚きを隠せず、慌てて周囲に集まり心配そうに声を掛けてくる。

 それでも私の感情の激流は中々収まりを見せず取り留めの無い言葉を口にするばかりだ。


「だってあのカナンがぁ~、お父さん達の仇を討って……それが嬉しくて……ヒック、うえぇぇ」


 恥ずかしいと言う思いは有るものの、父が法廷から罪人として刑場に連行されて行ったあの日から止まったままの心が動き出したかの様に、ただ幼子の如く泣きじゃくるのを止められなかった。

 だけど『仇』の部分で父と夫を一纏めにしてしまったのは失敗だったみたい。

 隊長さん達は年齢不相応に小娘の如く泣く私の姿とその口にした言葉からとんでもない勘違いをしてしまったの。


「もしかして貴女はカナン様の知り合い……いや身内の方なのですか?」


「ヒック……えぇそうよ。カナンは私の……」


 と、ここまでは良かったのだけど……。


「あぁやはり!! あなたの恐るべき強さは、英雄カナン様の妹君と言うのならば納得いきます」


「へ? い、妹?」


 あまりの言葉に抑えきれない感情もぶっ飛んじゃったわ。

 ちょっ待って? 言うに事欠いて私がカナンの妹?

 そ、そりゃ昔は村の人から『まるで姉弟みたいだね』と言われた事は有ったけど、さすがに妹って言うのは幾ら私が若作りとは言えねぇ? ちょっと無理が……。


「あ、あの……ち、違……」


「え? 違うのですか?」


 私が訂正しようと声を掛けると、隊長さんだけじゃなく周囲の兵士さん達までとても残念そうな顔で私を見て来る。

 どうも彼等の中では私がカナンの妹と言うのは希望的観測ながら確定事項にあるようだ。

 その期待を込めた純粋な瞳を見ていると……まだ少し頭が混乱していたみたい。


「そ、そうなの! カナンが私達の仇を倒したと知って嬉しくて泣き出しちゃった。てへっ!」


 思いっ切りブリッ子しながら舌をペロッと出してしまった。

 い、いや違うのよ? 彼等の期待を裏切りたくなかっただけなの、本当よ?

 決して若く見られて嬉しかったからとか、見栄を張りたかったとかじゃないんだからっ!


「うぉぉぉぉ! やっぱり!」

「カナン様にこんなお強い妹君が居られたとは知らなかった!」

「すげぇぇ! カナン様兄妹は俺達の民衆の守護者だ!」


 あわわ……皆こんなに喜んじゃって……もう冗談でしたとか言えない空気じゃない。

 どうしたら良いの……?




       ◇◆◇




「さてこれで全員かしら?」


「はい。この子の墓標を立てると最後です」


 あの恥ずかしい出来事から暫く経って、私達は私が倒したオーガ達を弔う為に、砦に遺体を運び込みやっと全員を埋葬し終わったところだ。

 お婆さんが最後の墓標を立てたのを合図に全員が静かに黙祷をした。


 村に伝わるオーガの話は村長一家の親子喧嘩に過ぎなかったり、オーガ達もただ凶暴な訳じゃなく大切な者を護る為に戦う心優しい面を持っていたり、私の息子が英雄となり父達の仇を討っていたり……。

 本当に今日は人生観が大きく変わった一日だったわ。

 

 私が手足を折り昏倒させた砦を護るオーガ達は全員既に傷薬で全快して私達と同じ様に黙祷をしている。

 オーガにもこんな風習が有ったのね。

 それともお婆さんが教えたのかしら?

 どちらにせよ仲間を大切にすると言う気持ちは持っているのだし、いつか必ず分かり合える日が来ると思うの。


 そうそう、驚いた事に過去にリンドヴルムによって負った欠損部まで再生したのは偏にオーガの強い生命力の賜物なのかしら。

 意識を取り戻したオーガ達は当初暴れたものの、お婆さんの一喝で大人しくなり、その後の経緯を聞いたオーガ達は私に感謝の意を示し大人しくなってくれた。

 それは子供達も一緒に私の事を庇いながら説得してくれたのも大きいと思う。


 部位欠損まで直るオーガの生命力に少し期待したのだけど、さすがに亡くなったオーガが生き返るなんて奇跡は起きなかった。

 オーガ達は私に殺された仲間達の痛ましい姿を見て、またその怒りを燃やすのかと少し焦りはしたけど、意外な事に遺体から私の剣筋の鋭さを感じ取った彼等はまるで敬うかの様に敬意を示して来た。

 それは亡骸となっている父親の傍らに座るラハラハも同じだ。

 思いもしなかったオーガ達の行動に驚いているとお婆さんが、少し涙を浮かべながらも微笑みながら説明してくれた。


「驚いたでしょお嬢さん。オーガは戦闘民族なのよ。強者と正々堂々戦う事が誉れとされる。貴女はこの子達の誇りを汚す事無く真正面から受け止め最期を看取ってくれた。見て? 彼等の死に顔を。強者と戦えて満足した顔をしているわ」


 との事だが、どうやらそれがオーガの価値観みたい。

 強者を求め戦い、そして強者を讃え敬う。

 こうやって私に尊敬の眼差しを向けているのはそう言う事らしい。


 何処までも愚直なまでに強さを求めるのがオーガのサガ

 でもとても純粋で綺麗な心だわ。


 お婆さんの話ではリンドヴルムに襲われた時も、ただ一方的にやられた訳ではなく、その多くは戦闘民族のサガ故に片っ端から一騎打ちを仕掛けた結果だと言う事だ。

 ここまで逃げ延びる事が出来たのは、お婆さんの説得によって目が覚めた族長である旦那さんが身体を張って他の皆を逃がしたかららしい。

 「集団戦を学ばせておけば」とお婆さんはとても悔いている。

 でも今回ラハラハ含めあの場に居た子供達は、私との戦いを通じて互いに協力して戦う事を学ぶ事が出来て良かったと喜んでくれた。

  これも『繋ぐ命』……と言う事らしいわ。



「さて……と、お婆さん達はこのまま里に向かうの?」


 黙祷を終えた私は隣に立つお婆さんに声を掛けた。


「えぇ、リンドヴルムが居なくなったのだもの。早くゾンド達が眠るあの地に帰らなくてはいけないわ。本当にありがとう、私達を助けてくれて」


 お婆さんはそう言って深くお辞儀をする。

 それに習って出発の準備をしていたオーガ達も頭を下げた。


「ちょ、ちょっと頭を上げてよ。私はそんなつもりじゃなかったの。それにあなた達の大切な家族を……」


「ツヨイヒト!」


 お礼を言われる資格なんてない私がお婆さん達に頭を上げる様に言うとラハラハが大きく叫んだ。

 驚いた事に人間の言葉だった。

 『強い人』それは私を指しているのだろう。

 ラハラハを見るとニッと笑って私に向かって手を突き出して叫ぶ。


「マタアウ。ツギハカツ!」


「えぇ、ラハラハ。待っているわ。いつでも来なさい」


 ラハラハの言葉に少し救われた気がした。

 そうね、彼女の挑戦に応える事こそ私の贖罪なのかしら。


「お婆さん達は先に故郷に向かってって。私も用事が終わったらすぐに後を追うから」


 リンドヴルムがカナンに討伐されて六年も経っている。

 もしかするとオーガ達の里には今頃人が移住している可能性も有るわ。

 そうなったら此処と同じ事が起こっちゃう。

 一度手を貸した助け舟だもの最後まで面倒をみないとね。


 私の言葉にお婆さんニッコリと頭を下げオーガ達と共に森の奥に消えて行った。

 これで全部終わったわ。


「ねぇ、ルシタニアってこっちの方角で良いのかしら?」


 私は晴々した顔をしてオーガ達の去った方を見ている隊長さん達に目的地の方角を尋ねた。


「えぇ、そうですが。って、もしかして徒歩で向かうのですか? 馬車を用意しますよ」


「う~ん、気持ちは嬉しいんだけど多分走った方が早いわ。だってお兄ちゃんが待ってるしね」


 最後は可愛くウィンクをしながら舌を出した。

 ……ちょっと恥ずかしいけど彼等の期待には最後まで応えないといけないからね。

 本当にそれだけよ? 他意は無いんだから。

 それに……。


「あぁ~なるほど~。それはそうですね……」


 隊長さん達は少し残念そうな顔をしているけど、私の実力をその目で見て、しかも『英雄カナンの妹』と言う肩書きのお陰で私の言葉を深く納得している。

 ほらね、この演技は効果覿面なんだから。


 ……まぁ正直に母親と名乗っても同じ様に納得してくれたのだろうけど……。


「じゃあ兵士さん達。私ももう行くわ。あなた達の決意は影ながら応援してるから頑張ってね」


 私が別れの挨拶をして走り出そうとした時、隊長さんが振り絞るような切ない声で私を呼び止めた。

 

「あ、あの……また会えますか?」


 瞳を潤ませたとても熱い眼差し。

 あちゃ~これってやっぱりアレよね?

 今まで気付かなかったけど、私を若い女性と誤認してるのなら彼の瞳に宿る想いが何なのか理解出来る。

 惚れた腫れたなんて数十年も前の話だもの気付くのが遅れても仕方無いわよね?

 でもごめんなさい、あなたの想いには応えられないわ。

 だって私はこれからもノアだけを愛しているのだから。


「えぇ運命が導くのなら……またね」


 私が言えるのはここまで。

 それだけを隊長さんに伝えると息子が待つルシタニアへ向かって走り出した。




「もう少し気を使ってあげたら良かったかしらね?」


 私は暫く走った後で一人呟いた。

 そうは言ったものの冷静になると恥ずかしくてこの上ない。

 なにが『お兄ちゃん』っての!

 格好付けて『運命が導くなら』なんて言っちゃったけど、もう二度と会わす顔が無いわよ。


 あまりの恥ずかしさに顔を赤く火照らせながら、私は森を駆け抜ける。

 カナンに会ったら今日有った事を話さなきゃね。

 そんな風に誇らしい息子の事を考えていたら口からポツリと言葉が溢れた。

 

「ねぇ、あなた? あの子がとても綺麗なお嫁さんを連れて来て、あなたそっくりの事を言った時は本当に嬉しかったわ。あの子が言った『声無き者の代弁者』。これはまるであなたの理念そのものよね?」


 ちゃんとあなたの想いは……命は繋がっているわ。



『旅する母のラプソディ』fin……






       ◇◆◇





「行ってしまった……」


 若き兵士隊の隊長はいつまでも森の奥へと消えた女性の事を想い立ち尽くしていた。


 このお話は彼の初恋の物語である。

 誰よりも可憐で美しく、誰よりも強く恐ろしい。

 彼にとって心を奪われるに十分な女性だった。

 「運命が導くのなら」と彼女は言ったが彼の心の奥ではこの初恋が初恋のまま終わるだろうと言う予感はしていた。

 敵国の騎士団長の妹だと言う理由も有るが、今の自分は彼女の横に立つ資格は無いと理解していたからだ。


 けど……いつか必ず……。


 彼はもう既に見えなくなった彼女の背中を脳裏に浮かべながら決意を新たにした。



 それから数十年の後の事だ。

 彼と彼の部下達の決意は血の滲むような努力と年月の果てに実を結び、この王国の有り様は大きく変革し、独善的な貴族主義国家から立憲君主制の民主主義国家へと姿を変える事になる。


 こうして後の世に『民主改革の父』と呼ばれ歴史に名を残す彼を突き動かしたのは唯一つの純粋な恋心。

 しかし、彼の初恋は生涯その口から語られる事はなく、またそれ故彼の恋が実ったのかを知る者も居ないと言う……。



 裏題『恋する兵士のノクターン』fin……

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