第87話 side―ララ(ⅰ)前夜
ヴァイアージ家の屋敷にて行われる、私の婚約発表のある晩餐パーティーは、もう翌日にまで差し迫っていた。
王都のお屋敷に戻ってからは時間の流れというものがよくわからなくなっていた。
それは一歩もお屋敷の外に出ていないからか、それとも、もう考えることを止めて、ただ時間が過ぎていくのを黙って待っているだけだったせいなのかはわからない。
待ち遠しくもないことをひたすらに待ち続けるという拷問。処刑を待つ囚人の気分だった。
まるで今が悪夢で、その前まで、外で働いていた時間だけが現実だったかのよう。
本当は逆なのはわかっている。
今が現実で、外にいた時間が夢のように儚い時間だったんだ。もう戻ってくることはないんだ。
この二ヶ月間、何もすることがなく、何もする気が起きないので、外にいたときのことばかり思い返して現実逃避をしていた。
『色々調べて君が不幸になりそうだとわかったら、そのときは必ず助けにいく。約束だ』
ふと、そんなセリフを思い出す、彼に似合わないクサイセリフだった。
何も、このセリフを真に受けるほど夢見る少女ではないつもりだ。
けれど、外の世界にいて、覚悟を失くしてしまった私の甘さが、あの人に重荷を背負わせてしまったことに後悔が残っていた。
律儀でやらなくていい重荷まで背負っちゃうような人だから尚更だ。
でも、嬉しかった…… 。彼は忘れているだろうけど、思い返せば初めて会ったときもそんなセリフだったから。
『初めましてララ君。じゃあ、早速だけど最初の仕事を教えるよ。大事なことだから忘れないでね。
困ったことがあったら、必ず相談すること。
報連相なんて私の地元では言ってたけど、入社したての頃は職場の人間が必ず助けるから、一人で悩んだりしないようにね』
確か、そんな言葉だったと思う。習い事は一通りやってきて、読み書きも自信のある方だったけど、外の世界が初めてで緊張していた私に、それでも「仕事」という責任のある言葉で守ってくれていたんだと、後から気づいた。
別に男性としてとりわけ魅力的というわけでもないし、キザなセリフを吐く貴族の男性達とは全然違ったけれど、ひたすらに何かに誠実だった彼は少し物珍しかった。
こんなセリフを簡単に口にするから、新人達は先輩に任せればいいんだと手を抜くことを覚えるんだとも思ったけど、私は楽をするために社会見学にきたわけではないので、誰に認めてもらわなくても仕事は頑張るつもりだった。
普段から父に頭が上がらないブライアンさんは私にも仕事は適当でいいよと言ってきたけれど、コネ入社なのを知らないあの人は、間違ってる箇所はちゃんと指摘してくれるし、真面目に仕事をしていると褒めてもらえて、それはそれでやっぱり嬉しいものだった。
これからの私は政略結婚の道具としての価値しかないけれど、そうじゃない人としての部分を認めてくれた人がいるというだけで、何だか私でも「生きてきた」んだなんて思える。
街の結界の綻びが見つかったときにはヴァイアージ家の男児は悪い噂しか聞かないロッシという、その人しか相手としておらず、父には泣いて婚約を懇願された。
私だって生まれ育った街は好きだし、それが魔物に蹂躙されるだなんて耐えられない。
「お家のために喜んで嫁ぎます。ですが、それまで最後のワガママをいいですか?」
そういって外の世界に出させてもらい、その職場は新人の私から見ても決していい環境とは言えなかったけど。それでも、だからこそ私の「生きた証」は少しだけでも残せた気がする。
これで心置きなくヴァイアージ家に―
「嘘ばっかり」
自分で自分を誤魔化そうとしても、結局そんな本音は隠せずに呟いてしまった。
当たり前じゃない? 私だって今年20歳になる、まだ若い娘なのよ。身を焦がすような恋愛だってしてみたかった!
それがどうして、狂人の玩具になんてならなければいけないのよっ。
明日という、どうしようもない現実に急に襲われ、広い部屋で一人、身を屈めて震えてしまう。
いつもは子供の頃からずっと一緒にいてくれるエレイシアが慰めてくれるのだけど、今日は用があると出掛けてしまっている。
何も今日じゃなくても、なんて思うけどいいのだ。
私がお願いして、彼女には私が嫁いだら暇を与えることになっている。何も彼女まで地獄についてくる必要なんてないんだから。
次の奉仕先の目処でもついたのか、彼女は彼女で最近は色々と考えごとをしているようだ。
仕方がないので心を落ち着かせるために、子供の頃から好きだった絵本を見て現実逃避の続きをする。
内容はワイルドでダンディな主人公がお姫様のヒロインをお城から連れ出して一緒に冒険に出る、なんてありふれた内容だけど、いくつになっても結局、私は夢見る少女でいたいらしい。
けど、読んでいて馬鹿らしくなってくる。現実の冒険者はこんな品性も知性もない、ただの荒くれ者だったのは受付嬢として散々見てきてしまった。
「はあ〜、ナニコレ。こんなのにずっと憧れてたのかしら、私」
それでも、少しだけ気分が晴れた。
もう、このまま寝てしまおう。本を投げ捨て、そのまま身をかがめて眠りにつく。
―そうしてパーティー当日を迎えた。
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