第8話

 あなたに出会った冬から、私は周りが驚くほど変化した。顔つきが明るくなり、目の中には輝きが木霊し、あなたのことを話す時、私の声は聞いたことがない柔らかさを含んだ。母は笑顔を噛み殺すような、歯がゆいような、口に含んだ何かを、こぼしてしまわないように私を見ていた。時折私の居ないところで父と私の変化を話し合っては嬉しそうだった。私が恋をしている。そう思ったのだろう。

 果たして私は、恋を、していたのだろうか。あなたを失って十年生きても分からなかった。そしてもう一度あなたをこの目にした今も、私には分からない。恋というものは、こんなにも心を満たし、やさしくし、全ての加護があなたに与えられることを願い、あなたが苦しむことや悲しむことが出来る限り道を失うことを願う、そういう全身運動のような、祈りの塊を吐き出すような、ことだっただろうか。

 私の周りで騒がしく語られる恋は、もっと違う匂いがした。女の子たちは艶やかな誇りを持ち、したたかで、意図して自ら積極的に視野を狭めているようだった。男の子たちの中では獣が目を覚まし、その飢えを何とかしようともがいているように見えた。どちらにしても、そのエネルギーは驚くほど熱く、周りまで浮かせるほどのものだった。まるで熱病のようなそれを、恋と言うのなら私のこの感情は、なんだったのだろう。

 あなたのことを私は、誰にも言わなかった。なによりも大事な秘密にし、心の中の飾り棚に鎮座させて、鍵を掛けてしまっていたのだ。

 あなたは、いったいどうだっただろうか。私のことをどう思っていたのだろうか。あなたの人生のなかの、最後の数ヶ月を共にした私という人間は。どんな名前を付けてくれていただろうか。それを確かめることもなく、そうしたことを、後悔もしなかったのだけれど。

 十年経てば、会えるものだとおもっていたのかもしれない。自分自身ではあなたの死をあれほどに徹底的な抹消だと言いつのったくせに、私が死んだその後に待つものが何かあるはずだと。どこかで、圧倒的な楽観を飼っていた。それにはたらふくの餌をやり、毛並みを整えてはけして私に疑問を持たせたりしないように、慎重に、けれどある程度育ったそれを私が受け入れるように、飼い続けてきたのだ。最後の日々には、それはすでに信頼の名を持っていたかもしれない。そして確かに私はあなたにもう一度会うことが叶ったのだ。楽観を飼っていなければ、十年という年月を一口に口にすることは出来なかっただろう。そもそも十年という月日を織り上げることも出来なかったと思う。あなたに会えるはずだ。こんなに苦しく、さみしく、無力を引き摺って生きるのならば、それが叶わないはずがない。もしも、叶わないのだとしたら。

 もしも、と考えることを私は禁止していた。その先の思考はけして明るいものにはならないことが分かっていたからだ。明るいどころか、それは泥沼を瞬間作り上げては、私の足をとることを、確信していた。

 今。あなたに会うことが叶った今は、何故か全くの逆に、十年生きたからといってあなたに会えるはずがないのだと、分かってしまった。あなたに会えたのに、会えないのだと。いったい何を言っているのだろう。そう思いながら、私は自分の頭の中にくっきりと浮かんだこの一文を、薄めることができないのだ。


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