2.流浪の少女 (3)
※
少女が初めて村に姿を現したあの日から、半年が過ぎようとしていた。
長老の言葉にも関わらず、少女は依然村はずれの森の小屋に棲み付き、立ち去る気配を見せなかった。
雨期が終わり、夏がやって来ると、森の湧き水が干上がったのか、彼女はしばしば川辺に下りてくるようになった。始めは畏怖の目で見ていた村の水汲み女たちも、やがて慣れたのか、少女に対してあからさまな悪意を見せることが多くなった。
「あら、またあの臭い娘が来たよ」
「川の水が汚れるわね」
女たちは、わざと避けるような態度をとったり、皮肉や、罵声まで浴びせる者も現れた。だが少女は、そんな女たちを一瞥こそすれ、反撃の言葉を返したり、危害を加えたりはしなかった。
その忍耐強さを、少し離れた対岸から眺める姿があった。
あれ以来、少年は、彼女のことが気がかりで仕方なかった。
自分と同じほどの歳でありながら、誰の庇護も受けずに自活し、そして何よりも恐るべき破壊の力を身に秘めている、らしい……
少女は、決まって夕暮れ前に川辺に姿を現した。それゆえ少年は、日が傾き始めると橋を渡り、土手に寝そべった。そして草木に身を隠し、少女が現れるのを待つのが日課になった。今日はどの村女がちょっかいをかけるのか。いささかの不安を抱きながら。
少年が、枝葉のあいだの空を仰ぎ見る。
赤、黄色、紫、そして黒……さまざまな色に染まる美しい夕暮れの情景を見上げながら、彼は脳裏に反響する問いを抑えることができなかった。
強力な攻撃用魔術を身に付けているなら、なぜ彼女は女たちに一矢を報いようとしないのか。
確かに彼女は、村人と目が合ってもにこりともしない。そして体から発せられる臭いはひどいものだった。しかしそれとて体質的なものであろう。好き好んであんな臭いを発散させているわけではあるまい。彼女が
そして少年にとって、もうひとつ腑に落ちないことがあった。それは父親の態度だ。
彼の父親は少年に似ず――と言うより、彼が父親に似なかったと言うべきだが、非常に精力的で、また勇猛果敢な男だった。現にこれまでも、オークやリカントロープとの戦いでは、斧や槍を手に最前線で戦ってきた。彼は、自分が村を守る立場にある者たちの一員であることを自認していた。
その彼が、少女が初めて村に現れた時……彼女と男たちの丁々発止のやりとりを遠巻きに眺めるだけだったのだ。父親の性分なら、男たちに混じって少女を挑発したはずだ。それなのに、なぜ?
少年の疑念を強める事実はまだあった。
あの時を境に、父親の態度は明らかに変わった。以前の威厳はなく、どこか落ち着かなげで、また苛立っていた。その苛立ちのとばっちりを少年が受けることもしばしばだった。もちろん、少女のことを父親に対して話題にしたことは一度もなかった。
少年には、父親の態度がまるで少女に怯えているかのように見えた。そう、女たちでさえ、もはや恐れの対象としていない彼女に対して。
だがその問いに答えを与えてくれるような出来事はなく、夏は終わり、秋がやって来た。少女は、以前ほど頻繁には姿を現さなくなった。秋が去り、冬が訪れるころになると、父親の態度にも落ち着きが戻った。そして春が来た。さらに時は流れた。少年は十五歳になり、そして十六歳になった。
同年代の村の少女たちは、みな髪を伸ばし始めた。(個人差はあれ)胸も膨らみ、体つきは次第に女らしさを増していった。
しかしそんな少女たちを見ても、彼の男としての精神が突き動かされることはなかった。それよりも何よりも彼の心を捕らえて放さないのは、あの少女だった。
時おり見かける少女の姿に、少年は、自分でも不思議なほど心揺さぶられるのを自覚した。背丈も、初めてこの村に現れたころより伸び、大人の女たちとそう違わないまでになった。胸の膨らみは豊かで、そして何よりも美しかった。少年は自分で、彼女を美しいと形容できる人間はこの村で自分ただ一人であろうと自負していた。
だがここで断っておくと、彼の少女に対する想いは、単純な恋愛感情などではなかった。それはむしろ、『憧れ』に近かった。腕っ節に自信があるわけでもなく、身長だって、同い年の友人たちに次々と見下ろされてゆく。凡たる者として生まれた彼が、類まれなる美貌と力を備えた少女に憧れを抱くのは、実に自然なことだった。
『彼女との距離をもっと縮めたい』……
谷を流れるこの川の幅が、すなわち彼女と自分との距離に等しいこの現実を打破したい欲求を、やがて彼は抑えられなくなった。
気付いたとき、彼は禁断の森の中へと足を踏み出していた。
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