I'm So Thankful

Jack Torrance

いつもありがとう!

おふくろももう今年で76になる。


今年も5月の第二日曜日がやって来た。


母の日って奴だ。


俺は親父を13の時に亡くしちまったんで親父の分までおふくろが長生きしてくれて嬉しくも思い神にも感謝している。


おふくろは20年前に一度、軽い心筋梗塞を患ったが幸い大事に至らず、その後も大病を患う事無く元気でいてくれて有り難い限りだ。


だが、おふくろも年相応に老けちまったなと思う事は多々ある。


髪の根元には白い物が目立ち髪のヴォリュームも少なくなっちまった。


顔は皺が目立ち物忘れも酷くなっちまった。


物を何処に置いたか分からなくなっちまったり人の名前が出て来なかったり…


そんな、おふくろだがやっぱ女性なんだなと思う事もある。


髪を月に一度は美容室で染めコラーゲンも摂取している。


全力で老いに逆らい若作りして若く見られたいって気はあるみたいだ。


そして、何よりもおふくろはチャーミングで天然だ。


そんなおふくろがいじらしくて愛おしくなる。


おふくろにとっての初孫を4年前に妹が出産した。


おふくろはその孫を馬鹿が付くくらい溺愛している。


それは、おふくろのみならず俺もだけどな。


おふくろはセントラルハーレムのセント ニコラス アベニューに建っている安アパートに一人で暮らしている。


俺はアッパー イースト サイドに住んでるから目と鼻の先に住んでるって感じだ。


125丁目のアポロシアターにもアリーサ フランクリンやウィルソン ピケットを一緒に観に行った。


おふくろは映画やドラマを観るのも好きだしミステリーの小説なんかも大好きだ。


毎年、母の日には俺がセント ニコラス アベニューのおふくろのアパートを訪ねるってのが慣習となっている。


俺はパティシエをしていて俺が作ったケーキなんかをたまにおふくろに届けている。


母の日は毎年ピンクのカーネーションと俺が作ったケーキとちょいとしたプレゼントを持参している。


ピンクのカーネーションには母親への感謝って花言葉が込められているらしい。


11時前にアパートを出て近所の花屋でピンクのカーネーションを一輪購入し12時過ぎにおふくろのアパートに到着した。


いつもと変わらないおふくろが俺を出迎えてくれる。


俺は毎年そうだが部屋の玄関でピンクのカーネーションを手渡す。


「おふくろ、いつもありがとう」


おふくろが嬉しそうに謝意を述べる。


「おや、まあ、綺麗なカーネーションだね。毎年ありがとう。さあ、お入り、カーティス」


玄関でも香ばしい香りが漂っていたがキッチンに入ると胃袋がそれを欲して堪らなくなる。


おふくろの手料理。


チタリングス(豚の腸)のチリソース煮込み。


甘く煮た豚のスペアリブ。


黒目豆のシチュー。


それと焼き立てのコーンブレッド。


俺ら黒人のソウルフードでおふくろは毎年母の日に俺が訪問したら腕に縒りを掛けて持て成してくれる。


冷蔵庫にはアレキサンダー キースのIPA。


おふくろが手料理を皿によそってくれて俺の前に並べてくれる。


俺は冷蔵庫からIPAの瓶を取り出しグラスに注いでおふくろを待つ。


琥珀色のIPAが泡を立ててグラスを満たす。


クリーミーな白い泡が溢れそうになるのを俺は啜る。


おふくろは普段は酒はあまり飲まないが祝いの席ではキューバ産の安ワインを嗜む。


冷蔵庫からおふくろのワインを取り出しコルクを開栓しワイングラスにボルドーの雫を注ぐ。


飯の支度が整っておふくろと一杯やりながら親子水入らずの一時に興じる。


チタリングスの煮込みを食うと口一杯にチリソースの辛味が広がる。


美味え。


自然と顔が破顔する。


やっぱ、おふくろの味は最高だな。


チタリングスをIPAで流し込みスペアリブに齧り付く。


おふくろが嬉しそうに喋りだす。


「カーティス、昨日の教会のビンゴ大会でね」


俺は専ら聞き役に回る。


「ビンゴ大会?ふーん、それで、おふくろ、何か当たった訳?」


おふくろがワインを口に含んでテイスティングしている。


「この赤ワインはこの前のクリスマスに買ったのよりも3ドル安かったんだけど。こっちの方が飲み口が良いようだね。あっ、そう、それでね、あたしゃ後9が出ればビンゴだったんだけどね。あたしゃ食い入るようにビンゴマシーンから9が出ますようにって拝んでたんだよ」


俺はおふくろの手料理に舌鼓を打ちながら冷蔵庫からIPAを取りテーブルに置いた。


ついでにおふくろのグラスにもワインを注いでやりIPAの栓を抜きグラスに注いだ。


「ふーん、で9が出て何か貰った訳?」


「あたしゃ9が出たと思ってビンゴって叫んだら、よく見ると6だったって訳でね。あたしゃがっかりだよ。それで隣のテーブルでビンゴって叫んだのが意地悪で偏屈なメーガン マーゴリンだったって訳なのよ。あたしゃこの世に神なんていないねと思ったね」


俺はIPAを流し込みながら吹き出しそうになった。


「で、おふくろ、あのメーガン婆さんが当たった景品ってのは何だったの?」


「高枝切りばさみだよ」


俺は黒目豆のシチューを口に含んでいてまたしても吹き出しそうになった。


「おふくろ、アパートに住んでて庭なんかも無いのに高枝切りばさみなんていらないだろ」


俺はIPAで吹き出しそうになったシチューを流し込んだ。


「カーティス、何を言ってるんだい。あたしゃ夜這いされた時の用心に高枝切りばさみはあっても邪魔にはなりゃしないと思ってるんだよ。襲われそうになったら其奴のあそこを切り取ってやれるからね」


「ゴホッゴホッゴホッ」


俺はおふくろのその言葉を聞いてIPAが器官に入って咽た。


俺は喉の調子を整えて言った。


「おふくろに夜這いをかける奴がいたら其奴はよっぽどの物好きだよ」おふくろが俺を睨めつけて言った。


「カーティス、あんた親子でも言って良い事と悪い事があるってのをまだその歳で分かっちゃいないようだねえ。あたしゃこう見えても教会のビンゴ大会や土曜のピックルボールでは、じいさん達のマドンナ的な存在だって事を知らないからそんな口が叩けるんだよ」


俺は「へえ、そうなんだ」とほくそ笑んだ。


「カーティス、あんた、ホーリーがこの前来た時なんだけどね」


ホーリーてのは、さっき言ってた妹の子でおふくろにとっては孫、俺にとっては甥っ子になるんだけど、この子が目に入れても痛くない程可愛いんだよ。


おふくろと俺はホーリーの話になると目を細めていつもケラケラ笑っている。


子は鎹って言うがホーリーが天使のように俺達家族に舞い降りてきてくれた時から家の中がスポットライトで照らされたようにパッと明るくなった。


「ホーリーがどうしたんだい?」


「『スポンジ ボブ』をうちで観てたんだけど声を上げてゲラゲラ笑って観てたんだよ。それで、アウトバックに連れて行ってあげたらハンバーグをペロリと平らげてね。ウエイトレスの女の子に『僕、ママにバリカンで刈ってもらったんだよ』って頭を見せているんだよ。あたしゃ笑ったよ」


「ホーリーは最近は人見知りしなくなったもんな」


「それで、あんたがホーリーに渡しといてくれって言ってた『ドラえもん』のおもちゃを上げたら『これ、僕の宝物』って言いながら大事に抱えて持って帰っていたよ」


「そっか、おふくろ。ホーリーは癒やされるよな」


「ああ、あたしゃあの子の事を思い出すと、いつも思い出し笑いするよ」


「ああ、俺もだよ」


おふくろの手料理を満喫しながら2時間くらい飲んで食ってした。


食器を片してモカブレンドのコーヒーを淹れて俺が作ったモンブランをおふくろと一緒に食った。


「あたしゃ最近また肥えてねえ。甘い物には目がないんだけど控えなくっちゃいけないと思ってしまうんだよ。ケーキなんて3ヶ月振りだよ」


「そう思っておふくろに作るケーキは砂糖を使わずにダイエット甘味料を使ってるから安心して食いなって」


俺はショルダーバッグからもう一つのプレゼントを出した。


一昨年はケイト モートンの『湖畔荘』をプレゼントした。


心温まる衝撃のラストが気に入ったようだった。


昨年は、おふくろが好きな『ひまわり』のDVDをプレゼントした。


ヒロインのソフィア ローレンといいヘンリー マンシーニが担当したサントラといいおふくろの好きな映画らしい。


葬式の時には『ひまわり』のサントラを流して欲しいなんて言っている。


今年はアン ピープルズの『イフ ディス イズ ヘヴン』のCDをプレゼント。


「おふくろ、これ」


俺はコーヒーを啜っているおふくろに何もラッピングしていないCDを渡した。


「おや、アンのCDじゃないかい。ハイ レコードを語る上じゃ外せないシンガーだねえ。アル グリーン、O.V.ライト、オーティス クレイ、シル ジョンソン、それにアンの夫ドン ブライアントとハイには名シンガーが多いけど、その中でも紅一点の名シンガーだよねえ、アン ピープルズといったら」


俺はCDをおふくろから受け取りセロハンを剥がしてラジカセに挿入した。


3曲目の“アイム ソー サンクフル”を流した。


アンのハスキーでやさし気なヴォーカルが胸に染みる。


この曲は母親が子供に恵まれごく普通な日常に感謝しているという曲だ。


おふくろもこんな風に俺達兄妹を育ててくれたんだろうと思う。


コーラスでアンは歌う。


ああ、私はとても感謝している


愛が私をどのように変えたか私は言いたい


ああ、私はとても感謝している


俺はこの気持ちをおふくろに伝えたい。


俺を産んでくれてありがとう。


いつまでも限りない愛を注いでくれてありがとう。


おふくろが目を瞑ってあのヴォーカルにうっとりと聴き入っている。


後何年こうやっておふくろと母の日を祝えるんだろうと俺はいつも考えてしまう。


この時が永遠であってくれたらと今ある幸せをじっくりと噛み締める。


おふくろ、いつも感謝してるよ。


いつもありがとう。


まだまだ元気でいてくれよな。


来年も一緒に母の日を過ごそうな、おふくろ!

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