もう一つの神話:オペレーション・アルゴ
のいげる
第1話 アルゴ作戦
隣の国の王様が物見遊山の行幸の途中で我が国に立ち寄り散々と自慢話をしてくれたおかげで、我が国の王様の心は火になった。
我が国イオルコスは、これと言って自慢できるような宝物も無ければ、他所に誇れるような歴史的な遺跡も無い。ヘスペリテスの黄金のリンゴも無ければ、アポロンの神託の泉のような観光名所も無い。あるのはただ荒れ地と畑と森と汗臭い男たちともっさりとした女たちだけである。 まあ、一言で言えばただの田舎の都市国家なわけだ。
それでも敢えて意見を言わせて貰えるならば、金銀財宝や総大理石作りの建物などという俗物的な事物を誇るよりは、ここのところ平和が続いていることや、幸せに暮らす国民の生活を誇れば良いと思うのだが、どうやら支配者を名乗る連中の頭の中にはそんな崇高な志が入る隙間は無いらしく、結果として国を挙げての略奪行に出かけることになってしまった。
つまりは「観光資源を我が国にも」である。
とは言え、何の当ても無く冒険に出かけるわけにもいかない。それで喧々囂々の議論が巻き起こった。
まず神託の泉や神殿のような持ち運べないものは諦めるしかない。
それに大国が大事にしているようなものや、すぐ隣の国のも無理だ。奪って来る事自体は可能でも、そのすぐ後に戦争になるのでは洒落にならない。王様自体は暗愚でも、国民はそこまで暗愚ではなかった。
良い知恵が出ずに困っているところに現れたのが、南の森に住んでいる船大工のアルゴスという男だ。
アルゴスは人間というよりは半人半怪物の存在だ。その姿は実に目立つ。全身あらゆるところに目がついている怪力の巨人で、これらの目は勝手に開き、見つめ、全部が一度に眠ることは決してないと言う。力は驚くほど強く、船の肋材を一人で担いで運んでしまうほどだ。
それでもアルゴスの中身は人間であり、近隣の住民からは一種尊敬の念を込めて扱われている。
そもそもギリシアの地に棲まう怪物の多くは神々の血を引いているものが実に多い。基本的にはどの神も変身能力を持ち、変身したままで誰かと交わったりすると見た目も恐ろしい怪物が生まれて来てしまうことになる。従って怪物を無闇に殺すと、それらの産みの親である神々の怒りを招くことになる。しかもそれが半端じゃない。美の女神アフロディーテは怒ると疫病を撒き散らすし、太陽神アポロンでさえ激怒すると日照りを引き起こして国を一つ壊滅させたりする。
そこでギリシアで生きる上で重要となるのはこれら怪物との接し方だ。できる限り刺激しないのが基本だ。生贄を差し出せば済む話なら生贄を差し出す。間違って怪物を殺そうものなら、延々と続く神々の報復合戦に巻き込まれることになる。
実に面倒だ。怪物ってやつは。
その点ではアルゴスは扱い易い。ごく普通の舟大工の親方として扱い、商売の邪魔をするような連中を国に入れないようにすればいいのだから。それに彼の作る船は水漏れもしない立派なものだ。文句をつける筋合いはない。
宮廷の中でアルゴスが語った話に皆は聞き入った。
彼の祖父のプリクソスは元は異国の地テッサリアの生まれで、そこの王子であるアイオロスと雲の精ネペレーの息子だった。王子と言う職業につきもののゴタゴタのお陰で命を狙われたプリクソスと妹のヘレは、早駆けの神ヘルメスの助けを得て、空を飛び人の言葉を話す魔法の金の羊の背中に乗って脱出を試みた。
結果としてただ一人生き延びたプリクソスは、辺境の地コルキスに辿りつき、政治的亡命を受け入れてくれた礼として金の羊を差し出した。
金の羊の毛皮は大きな木に立てかけられ、今でもコルキスの国宝として巡礼という名の観光客を呼び寄せている。
その後、プリクソスはさらに別の地に流れ、最後にその孫のアルゴスがうちの国に居を構えたということだ。
「だからな。あれは、おらっちのもんだと思うんだ。取り返すのに協力してくれたら、代わりにこの国に貸してやらんでもねえ」とアルゴスは締めくくった。
「だけどそれはプリクソスが亡命の代償にコルキスの王に送ったものなのではないのか?」
珍しくまともな意見を俺たちの王様は言った。
略奪行の言いだしっぺが今更何を言う?
「いや、爺さまが差し出したのは金の羊の肉だけらしい。おらっちは確かに父さまからそう聞いた。だからその皮は本当はおらのものだ」
それで話は決まりだ。
他の国から奪って来た黄金の羊の毛皮を王宮に飾って良しとする倫理観をどう表現するべきかは判らない。これも時代の要請だなどと嘯くならば、後の世に野蛮な行為との誹りを免れ得ないと思うのだが、それに反対の意見を述べただけで非国民とか敗北主義などという意味不明の言葉で責められて、街中でリンチされかねない状況なので、もはや何も言うことはない。
民衆は論理ではなく熱狂で動く。
さてそうして目的地が決まると、まずは船が必要だ。陸地をえっちらおっちら歩いて遠征するのもよいが、仲の悪い他国の土地を大集団で移動などできるわけがない。それぐらいだったら船で大海原を自由に行き来する方が百倍もよい。
遠征に出る船には二段櫂船が選ばれ、名前はアルゴ号と名付けられた。アルゴの名付け主は船大工の半怪物アルゴスだった。これには船を作るのに使う木材を、アルゴスが無償で提供すると申し出たのが大きい。それでも船というものは木材だけでできているわけではなく、船を動かすための巨大な帆に、色々な金属の装具、街をぐるりと取り囲めるほどの長さのロープに、船の隙間を埋めるためのコールタール。木材に塗り込むための油。それにもちろん、遠征隊のための驚くほど大量の食物に加えて、さらには酒が必要だ。
王宮の経理官がその総額を計算して結果に目を剥いた。それからもう一度計算しなおし、今度は口から泡を噴いて失神した。ようやく目を覚ますと、打ち首を覚悟で王様に勘定書きを献上した。それを見た王様も一瞬絶句したが、誰もが驚いたことに、経理官に承諾の意を伝えた。
ここに至ってようやく王様が今度の冒険にどれだけ本気なのかが判り、俺たちは肝を冷やした。
冒険に出るだけでなく、それなりの成果を上げて帰国する以外、生き延びる道はないとようやく理解したのだ。
命令は国庫を預かる番人の下に飛び、番人は国庫を納めた部屋の扉を大きく開くと、そのまま泣きながら自分の家に帰った。彼はこれから空っぽの部屋の番人として一生を終えることになるのだから。
こうしてオペレーション・アルゴは始まった。もう引き返すことはできない。
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