第6話



 いままで何人か敵国の間者と思われる人間を捕えてきた。その相手に対して負の感情を抱いた事は一度もない。私は国を守るために戦い、相手もまた自分や自国のため危険に身を投じている。悪人であるとは限らないし、お互いに仕事をしているだけなのだから。

 でも、今回は許せないと思ってしまった。ハウエルを殺そうとしているのが分かったからだ。……私の大事な幼馴染を。



「……買いすぎなんじゃないのか」

【両手塞がってたら不便だろ。……でもどう言えば自然に荷物を受け取れるんだ】



 ハウエルに声をかけられてハッと我に返った。その台詞と表情で荷物を持ってあげたいと思っているとは絶対に伝わらないだろうなと思って少し肩の力が抜ける。

 私はそもそも日頃から身体強化を使っているので三日分の食料だろうと全く重たくはないのだが、気遣われていると分かるとやはり嬉しい。


(ハウエルは優しいままだな。素直ではなくなっただけで)


 彼は子供の頃から優しかった。傷ついた野鳥を手当てして自然に返したり、人に踏みつけられそうな場所に咲いた花を植え替えたり、そういうことを自然とやる少年で。私はそんな彼の優しさを守りたかったのだと、思い出す。



「そうだな、買いすぎた。一つ持ってくれないか?」


「……仕方ないな」

【よし。……って重ッ】



 衝撃に弱い卵やトマトなどの野菜が入った袋を渡したら彼にはどうやら重かったらしい。用が済んだらやはり私が持つべきだろう。

 ハウエルがすまし顔のまま軽く腕を震わせて買い物袋を持ち上げたところで、一人の男が近づいてきた。マントの奥に凶器を持った手を隠しているがふきだしの言葉は隠せるものではない。

 軽くふらついてハウエルにぶつかろうとする男の手を片手で捻り上げて地面に引き倒し、その背中を膝で押さえ体重をかけ、動けないように固定する。

 間者とは目立たぬように国の様子を探る者で、それなりの証拠が揃わなければ捕えられない。しかしこの男は明確に殺意を持ってハウエルに刃を向けた。これは刺客、暗殺者である。こちらを現場で取り押さえることに迷いはいらない。



「すまない、誰かこの荷物を持ってくれるか。それから騎士か兵士を呼んでくれ」


「あ、はい!」



 辺りで呆然とこちらを見ていた男性にもう片方の買い物袋を預けて、押さえつけている男を見下ろす。抜け出そうともがいているが、身体強化の魔法もない人間が私から逃れられるはずもない。

 その心の内で【ナイフがかすりさえすれば】などと考えていたので、強く手首を握って刃物を放させた。どうやら毒が塗られているらしい。



「いッ……」

【何だこの女……!】


「大魔導士殿に刃物を向けた。敵国の刺客で間違いないな。取り調べを受けてもらうぞ」



 毒の塗られたナイフでハウエルを確実に殺す気だったのだ。容赦などしない。逃げる算段をしているらしいふきだしの文字を見ながら一段ときつく腕を捻る。他に靴底や服の中に隠しているらしい刃物を思い浮かべているので、ふきだしに出た場所を探し一つ一つ獲物を外していく。【何故分かる!?】と動揺していたが彼が考えてしまったからとしか言いようがない。……このふきだしの魔法は、こういうことにも使えて大変便利だ。



「現場はここか!? ……あっレイリン隊長! お疲れ様です!」

【隊長だ! お元気そうでよかった!】



 近くを巡回していたところだったのだろう、私の部下である兵士が三人やってきた。私を見て綺麗に揃った敬礼をしている。私がいなくてもしっかり仕事をしているようで何よりだ。



「ああ、ご苦労。これは大魔導士を襲った刺客だ。この者を連行して尋問官に任せてくれ。……いや、やはり私も立ち会いたいので、尋問の際は交代の騎士を魔塔に送るよう伝えてくれるか」


「は! 了解いたしました!」



 普段なら間者や刺客の尋問は専門の人間に任せるところだ。しかし、今の私には“ふきだし”を見る力がある。隠し事を暴くのにうってつけの能力を使わない手はない。……問題はそうやって重大なことを知れたとして、それをどうやって周りに伝えるかなのだが。


(ハウエルを守るためにできることはしたい。この者が指輪の在処を知っていればいいんだが)


 兵士に刺客の男を引き渡し、預けていた荷物を礼を言いながら受け取ってハウエルの元に戻った。彼はフードの下で大変不機嫌そうな顔をしている。



「……お疲れ」

【守られたのに、危ないことしないでくれなんて言えない。むしろお礼を言うべきだ。……けど、言いたくない。言ったら、レイリンはきっとこれからも騎士を続けてしまう】



 圧勝だったのにそれでも心配になるらしい。これは、どうしたものだろう。私は彼を守りたいし、この仕事を辞めるつもりはさらさらない。しかし不安や心配を与えたい訳でもない。どうにか安心してほしいのに、難しい。



「ああ、貴方に怪我がなくてよかった。……荷物は私が持とう。重いだろう?」


「これくらい持てる」


「……ハウエル、私は強いぞ。心配するな」



 心の声には返答できない。だから荷物を受け取る理由とも、先程のこととも取れるような言い回しをした。すると銀の瞳は不服そうに私を睨み、そして荷物を渡すことなく魔塔の方へと歩き出してしまう。



「……君が強いのは知ってる」

【それでも心配はするんだよ。好きな相手を心配しない人間なんていないだろ】



 見えた言葉に足を止めかけたけれど直ぐに彼を追いかけて隣に並ぶ。……やはり、私は嫌われていなかった。その確信が持て嬉しくなると同時に安心した。


(私も貴方が好きだ。大事な友人だ。……だからこそ守りたいんだ。すまないな)


 私が彼を想うように彼もまた私を想ってくれているのだろう。まだ以前のような友人には戻れていないものの、私たちの間にある友情は以前のままなのだ。

 素直でないからこそ私を心配するあまり厳しい物言いをしてしまう幼馴染のことが私はやはり嫌いになれないし、この人を守りたいと思う。私が無傷で帰還し続ければ彼の不安もいつか消えるのだろうか。



 その後は何事もなく魔塔に戻り、食材は一旦冷蔵の魔道具へしまって魔法の研究を再開した。ハウエルはちらちらと冷蔵の魔道具を見ては夕食のことを考え、明らかに集中を欠いていたのでどうやら進捗はよろしくなかったようだ。



「ハウエル。そろそろ夕食の支度をしたいんだが……厨房にも一緒に来てもらえるか?」


「……仕方ないね」

【レイリンの手料理】



 ふきだしは再び私の手料理で固定されてしまった。ハウエルは魔法陣のメモ書きを、私は食材を持って厨房へと移動する。扉一枚とはいえ、護衛と護衛対象が見えない場所にいるのは望ましくない。

 ハウエルは厨房の隅にあった小さな椅子へと腰かけた。……休憩用に用意されたものだろうか。いままでに使われたことはなさそうだが。



「……じゃあ、僕はここに居るから」


「ああ。出来上がるまでしばらく待っていてくれ」



 私は早速調理に取り掛かった。ハウエルは肉よりも野菜を好んでいた記憶がある。しかし肉も食べさせたいのでベーコンを刻んで野菜スープに入れておく。

 ゆで卵を使ったサラダと野菜のスープ、ミンチ入りの小さめのオムレツを作った。普段あまり食べない人間にはこのくらいがちょうどいいだろう。



「できたぞ。……ん、ちょっと待ってくれ。誰か来たな」



 出来上がった料理を二人分皿に盛ったところで誰かの階段を下りてくる足音が聞こえた。湯気を立てる料理をその場に残し、外の階段へと続く扉の前に立つ。相手は気配を消す気がないため敵意ある人間とは思えないが、一応腰の短剣に手をかけたまま待機した。



「国防騎士のロイド=サウスです。大魔導士殿の護衛の交代で参りました」


「ああ……交代を頼んだんだったな」



 昼間に捕らえた刺客の尋問の準備が整ったのだろう。せっかく料理が出来たところだがこちらが優先だ。

 ハウエルに許可をとって扉を開け、ロイドを室内へと招き入れた。ロイドは私よりも頭一つ分は背の高い男で、おそらく騎士団内で最も生真面目な同僚である。私のように敵を挑発する髪型にすることもなく、短く整えられた黒髪と引き締まった表情からもその堅物な性格は窺えるだろう。



「レイリン。……元気そうで良かった。知らせを聞いて心配しましたよ」


「ありがとう、ロイド。大魔導士殿のおかげでこの通りだ」


「さすが大魔導士殿ですね。……しかし、あまり無茶をされないでください。私だけでなく、多くの者が貴女の身を案じていましたから」



 それはもう充分思い知らされた。騎士団に顔を出した時もすれ違う騎士や兵士に「無事でよかった」と多く声を掛けられたし、街でも市民に同じような反応をされた。極めつけは素直ではない幼馴染の声にならない心配の言葉があまりにも長かったことだ。


(そういえばロイドにはふきだしがでないな。……素直な性格だということか)


 彼は普段からとても真面目だ。冗談もほとんど通じないくらい根が正直で嘘がない。この心配も本心からの言葉なのだろう。その心配はありがたく受け取ることにして、笑みを浮かべて礼を言う。



「心配してくれてありがとう。次はないようにする。……では、大魔導士殿を頼む」


「ええ。お任せを」


「ハウエル、私はしばらく外に出るが……」



 振り返るとハウエルは無表情でありながらそのふきだしの中身が【この男、気に食わない】となっていて驚いた。ロイドはお堅いが真面目だし善人だ。あまり人に嫌われるような性格ではないのに、何がそんなに彼を刺激したのだろう。



【僕だってあんな風に心配したって言えたら……】



 そういえばハウエルはそれを口にしてはいない。彼が私を心配してくれていたことはもう伝わっているしそれを嬉しくも思ったけれど、彼が声にしていない言葉だからこそ私もそう思ったことを伝えられていないのだ。


(……もどかしい、な。感謝を伝えられないというのは)


 素直でない性格というのは、随分生き辛くもあるのかもしれない。せめて貴方の心配はしっかり受け取ったと、理解していると、どこかで言えたらいいのだけれど。



「……遅くなるかもしれないし、夕食は先に食べてくれ。じゃあ、行ってくる」



 いっそのことこの力のことを打ち明けてしまおうかとも思った。けれどそれは、私が楽になりたいだけの、自己満足にも思える。家族以外には打ち明けないと決めたのだからそうするべきなのだ。そして私に今、家族はいない。この魔法もその重みも一人で抱える。

 ロイドに後を任せて魔塔を後にする。尋問が行われるのはいつも騎士団の中央本部だ。国の中心である魔塔からそう離れた距離でもない。私の足なら徒歩一分である。


 普段なら全く足を踏み入れない、本部の建物に併設された小さな小屋へと入る。この小屋はただの入り口で、尋問――もしくは拷問を行う部屋はその地下にあった。悲鳴が市民に聞かれないように、という配慮だ。



「おや、レイリン殿。……英雄である貴女が来るなんて珍しいこともあるものですねぇ」



 地下には尋問官の男と、椅子に拘束された顔色の悪い刺客の二人だけがいる。この現場を見たい人間などそう居るものではないため、基本的に騎士も兵士も訪れない。

 聞き取りは尋問官である彼、サディコフが一切を任されている。一応記録を取る魔道具が使われているものの、彼の聞き取りの記録を見たがる変わり者の話は聞いたことがない。



「今回は少し気になってな。先にいくつか、私に尋問をさせてほしい」


「ええ、構いません。……そのあとはどうされます?」


「……すまない」


「いえ。……私と同じ趣味の方はそういらっしゃいませんからね」

【残念。英雄レイリンと喜びを分かち合えるのかと少し期待したのですけれど】



 そう、サディコフにとってこの仕事は趣味と実益を兼ねた天職なのである。だから彼の仕事は丁寧で、容赦がない。自らが望んでやっているので任せきりという一面もあるが――彼自身が「他人が居たら止められることもあるので一人でやらせてほしい」という要望を出したのも大きな理由だろう。


(催眠の魔法使いがいればこんなことは必要ないんだがな……)


 その貴重な魔法の使い手は現在、ゴルナゴにいない。だから敵国の情報を得るためにはこういう原始的な方法を用いることになる。普段はあまり考えないようにしているが、今まで捕らえてきた者達についても同情してしまい気が重くなった。



「……では、話を聞かせてもらおう。何故、大魔導士ハウエルを狙った?」



 刺客の前に立ち、一つずつ質問を始めた。願わくば洗いざらいすべてを吐いてくれと思いながら。……背後で鼻歌交じりに道具の手入れをしているサディコフの出番があるかどうかは、この男次第である。

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