第14話 魔術法廷


 移送には三日かかった。

 その間、二人はずっとソファーに魔法で結びつけられたままであった。

「ええい、このホテルの待遇はいったいどうなっている? トイレにも行かせてくれないのか!」ファガスが何十回めの癇癪を爆発させて怒鳴った。

「その必要はないはずだ。魔法で新陳代謝は最小限に抑えられている」

 いまだに、にやにや笑いを浮かべながら、ザニンガムは言った。この状況が楽しくて仕方がないのだ。酒の入ったカップをその手の中で揺らす。

 二人が捕らえられているのは、魔術師調査局の大法廷の隣に設けられた待合室だ。ここに酒を持ちこむことは禁止されているのだが、ザニンガムはこれから裁判を受ける憎むべき二人の前で祝杯を上げる誘惑には勝てなかった。他人には限りなく厳しく、自分には限りなく甘い。ザニンガムはそんな俗物の一人であった。

「まあ、じきにトイレのことなど考えなくてもよくなるさ。裁判が終われば、処刑は即時実行となる」

 ここでザニンガムは言葉を一端止めて二人の反応を見た。ファガスは恐ろしい目でザニンガムを睨んでいる。ラングの方は静かな目でザニンガムを見つめている。

 つまらない。もっと激しいリアクションを想像したのに。

 泣いて、喚いて、命請いをする。あるいは、脅し、叫び、こちらの喉に食いつこうと努力する。そういった連中を見ながら酒を飲むのが、ザニンガムにとってはこの上ない喜びなのだ。

「お礼を言ってもらいたいな。火焙り刑のために、最高級の薪を用意したのだから。香りも良いし、熱さも一際のはずだ」

「いい加減にしろ。おれたちが何をしたというんだ!」ファガスが喚いた。

「何をしただと?」ザニンガムは目を剥いてみせた。「おいおい、いまさらとぼけてもらっては困るな。今回の事件の犯人はお前たちだ。裁判を受けられるだけましだと思え。感謝して欲しいものだな。このわたし、厳正なるザニンガムが公正なる精神の持ち主であることを」

「ファガス。それ以上喋るな」ラングは静かに言った。「無駄だ」

「ほおお、ラング。よくわかっているじゃないか」ザニンガムは嘲った。

 魔術法廷につながる扉が開き、この三日の間、二人につきまとってきた男たちが入って来る。ソファーの魔法を働かせて、二人を隣の部屋に運ぶ。

 魔術法廷は見方によっては、大聖堂に似ていると言える。広くて天井の高い建築物で、中央に被告の席が設けられている。奥にあるのは裁判官のための席で、左右に弁護人あるいは証人が並ぶ仕組みだ。法廷の手前側は椅子さえもない空間が広がっているが、これは場合によっては人間以外の証人を呼ぶためのものだ。全体が大きくかつ荘厳に作られていて、その中に入ったものに畏怖を感じさせるように計算されている。

 二階より上は、魔法攻撃から法廷を守るための魔術師の席だ。この法廷を納める魔術師調査局自体が、一種の要塞として作られていると言っても過言ではない。

 ソファーは被告席へと運ばれる。魔法の力は働いたままだ。二人をがっちりと捕らえて放さない。

「おい、どうしたラング。諦めてしまったのか」

 じたばたとソファーの上で暴れながら、ファガスは言った。

「考えているんだ」ラングは静かに言った。

 このソファーに組みこまれた魔法の力は極めて強力だ。ラングの怪力ならば、ソファーだけならば壊すのは簡単だ。しかし二人を捕らえている魔法の力は、ソファーとは別に形成されたものだから、それで壊すことはできない。下手にソファーを壊せば、魔法の力は暴走して、もっと厄介な羽目に陥るだろう。

 それに、とラングは考えた。二階席から二人を監視している魔術師たちは、二人が暴れ始めたら容赦なく撃つだろう。完全武装の魔術師に対して、何の準備もしていない二人では最初から勝ち目がないのは明らかだ。つまり、力での脱出は無理ということだ。

 生き残る可能性があるとすれば、外部からの援助しかない。

「おい、ファガス。こういうことを言いたくはないのだが。アリスタナル家に何とかしてもらうわけにはいかないのか?」ラングはささやいた。

「連絡がつけばそれも可能だろうな」ファガスもささやき声で答えた。「魔法遠話器を使わせてもらえるように頼んでみるか?」

 しばらく考えてからラングは結論した。

「無理だな」

「ああ、無理だ。やつら、何としてもおれたちを殺す気だ。せっかく世界を救ってやったというのに」ファガスは嘆いた。「こんなことなら、救うんじゃなかった。ええい、こうなれば、このソファーに粗相をしてやる。ブロンズベロー学長の泣き顔が目に浮かぶようだ」

「やめてくれ、ファガス。裁判の間中、きみのその粗相とやらの臭いに耐えなくてはいけないのか?」ラングが指摘した。

「ううむ。わかった。じゃ裁判が終わった後にしよう」ファガスは提案した。

 法廷の扉が開き、白いローブに全身を包んだ人物が入って来た。年配の女性だ。光を放つ装身具に囲まれて、これも白いローブを着たお供を三人ほど引き連れている。

 法廷で待機していた役人のうちの一人が名乗りを上げた。

「光の魔術師ギルド代表、コリント卿」

 ラングとファガスは呆然とこの人物を見つめていた。魔術師ギルドを支配している三巨頭のうちの一人。そもそも二級魔術師程度では、顔を拝むこともできないほどの、雲の上の人物である。

 光のコリントは、被告席の二人には目もくれずに、裁判官のために用意された席の一つについた。

「続いて、闇の魔術師ギルド代表、スボーク卿」

 今度の人物は黒のローブだ。痩せた顔の中に鋭い眼光だけが目立っている男だ。同じく三人のお供を引き連れて、光のコリントの反対側の席についた。

 ファガスがつぶやいた。「おれたち、大変なことになっちまった」

 ラングが答える。「やっとわかったのか」

「静粛に」光のコリントが立ち上がると宣言した。その手が動くとコリントの名前の認証魔法を見せる。空中に炎の文字でコリントの名前が浮き上がる。

「これより、魔術師ギルド所属二級魔術師ラング・ミスタドール・マイラスおよびファガス・モニメント・アリスタナルの審議を行う」

「やい、こら!」ファガスがソファーに捕まったまま怒鳴り声を上げた。「家族に連絡の一つもさせろ!」

「静粛に」闇のスボークが立ち上がった。同じく、認証魔法により自分の名前を描いて見せる。偽者がこれを行えば、たちまちにして認証魔法体が襲いかかる仕組みだ。

「この審議は、問題の大きさに鑑み、非公開とする。審議の後、判決に従い処罰は即時下される。非公開が宣言されたことにより、たとえ被告の家族といえども、連絡をすることは許されない。調査官は審議の内容を、告発文を読み上げるように」

 ザニンガムが前に出た。芝居がかった仕草で大袈裟なお辞儀をすると、喋り始めた。

 頻発する大規模な魔法消失事故。ファガスとラングが魔神召喚に手を染めたこと。そしてその結果、あの大災厄が引き起こされたこと。最後に、自分の活躍でこれらの事態が破局には至らずに、見事犯人逮捕に行き着いたこと。などなど。

 ファガスは身動きのとれないまま、歯ぎしりをして、最後に叫んだ。

「嘘だ!」

「静粛に、と言ったはずだ」光のコリントが厳しい目をファガスに向けた。

「警告しておく。今度、許可なく喋った場合には、その舌を引き抜くだろうと」

 その言葉が本気であることを示すために、光のコリントは連れてきた侍女の一人に合図をした。侍女が腕をまくって鍛えられた筋肉を惜し気もなく見せると、ローブの中から奇妙な形をした道具を引き出す。

「うへえ。携帯用万能拷問器だ」ファガスがつぶやくと、あわてて口を閉じた。

「状況は明らかであるように思える」光のコリントは発言を続けた。「この二人の罪状を確定し・・」

「待て!」闇のスボークが裁判官席で立ち上がった。「コリント。一人でこの裁判を仕切るつもりか?」

「それがよくないとでも?」光のコリントは答えた。「光の側の魔術師は今回の事件で大変な被害を受けたのですよ」

「それは闇の側でも同じだ」闇のスボークは抗議した。「おまけに事件は真夜中に起きたのだぞ」

 しばらくの間、二人はにらみ合った。

「いいでしょう」ついに光のコリントは折れた。「ではこれより共同作業ということにしましょう」

「承知した」闇のスボークは満足げに言った。

 光のコリントは中断した言葉を続けた。

「二人の罪状を確定し、早急に処刑に移るべき必要があります。王国が今回の事件の原因を調査している模様ですし、もしこれが魔術師ギルド所属の魔術師によって行われたことだと世間に知れれば、ギルドの権威は地に落ちてしまうからです。では二人とも、自分たちの罪状を肯定しますね?」

「認めない」静かな声でラングは答えた。

「おれもだ」ファガスはつけ加えた。

「では、罪状は自白により確定し、これより処刑に・・」光のコリントはそこまで言うと絶句した。「・・認めない?」

「ザニンガムの告発は間違いだ。わたしたちは魔神召喚を行ってはいない」ラングは宣言した。

「待て!」闇のスボークが叫んだ。「二人とも、ここで罪状を認めれば、特例として、火焙り刑の前の速やかで苦痛のない死を約束しよう。あくまでも火焙り刑はスタイルだけだ。しかし、ここまで言っても己の罪状を認める気がないならば、火焙り用の薪を減らすことにする。結果として、刑の執行はより恐ろしく、長引くものとなろう。さあ、罪状を認めるか?」

「認めない」ラングはきっぱりと言った。「わたしたちは無罪だ」

「往生際の悪い」闇のスボークは言った。「確かに自白がない限り、刑は確定できない。本来ならば拷問を持って自白を引き出すのが筋というものだが、今回はそのための時間がない。もちろん、わたしはこのことを想定して用意をしてきた。我々、光と闇が欲しいのは真実そのもの。それゆえに、彼らをここに呼んでおいた」

 合図とともに扉が開き、金色のローブをまとった人物が入ってきた。歳老いた、しかし活力に満ちているように見える女性で、背後に簡素な格好をした若い侍女を一人連れている。

「神人族のトランス審判師だ」ラングが息を飲んだ。

 ミッドガルド五大種族の一つが神人族である。かって神々がミッドガルド界を自由に歩き回っていた時代に生まれたという伝説のある種族で、特異な魔法能力を生まれながらにして持っている。

 トランス審判も神人族特有の能力の一つで、物事の真実を見抜く能力を持っている。

 苦労しながら長い階段を降りると、歳老いたトランス審判師は裁判官席の前に設えられた席に座りこんだ。侍女がその周囲を忙しく立ち回り、クッションなどを用意する。すべてが終わると、侍女が口を開いた。

「トランス審判師のエルナ師です。あたしは侍女のニーナです。お呼びに従い、法廷に仕えるために参上いたしました」

 光のコリントがそれに答えた。

「ご苦労。ニーナとやら。トランス審判の用意はいいか?」

「トランス審判質問師はどちらに?」

「今回は手配されていない。なにぶん極秘の法廷なのでな」

「それは、大変に困ります。今更ですが緊急に手配を願います」

「残念ながら手配がうまくいかなくてな。時間もないことだし、今回はこのまま進める。ニーナ。準備を始めてくれ」

「少しお待ち下さい」ニーナと名乗った侍女はお辞儀をしてみせると、老婆が薬を飲むのを手伝った。

 裁判法廷の全員が見守るなか、トランス審判師の老婆は意識を失い、体を硬直させた。ぶつぶつとつぶやきがその口から洩れる。

 侍女は呼吸を検査し、つぶやきに耳を傾け、老婆のまぶたを指で開くと瞳孔を覗いた。

「準備は出来ました。質問をお願いします」

 光のコリントは闇のスボークに目配せをした。闇のスボークは頷き返す。

「では。ここは公平を期して、魔術師調査局の調査委員ザニンガム。あなたにトランス審判師への質問を一任します」

 ザニンガムは弾けるように、椅子から立ち上がった。

「光栄です。裁判長」光のコリントに頭を下げてから、横からにらみつけている闇のスボークの射るような視線に気がついた「あう、ああ、光のコリントさまに、闇のスボークさま。全力を尽くします」

 ザニンガムはわざと大きな足音を立てて、ファガスとラングの前を歩き回った。それからトランス審判師の前に立つ。

「ではこれより、二人の罪状を認否させます。ああ、トランス審判師?」

 トランス審判師の侍女のニーナはザニンガムをまっすぐにみつめた。ニーナは若い女性だが、その目にはまったくどこにも恐れというものが宿っていない。その瞳に射貫かれて、ザニンガムがたじろぐ。

 侍女は説明した。

「トランス状態では、エルナ師には名前がありません。名前がないからこそ、『神』なのです。名を呼ぶ必要はありません。質問をそのまま言えばいいのです」

 心の中に浮かんだ小さな怒りに触発されて、ザニンガムは侍女を見返した。

 神人族だと?

 言ってみれば、ただの人間ではないか。ザニンガムはそう思った。しかしその魔法の力は貴重だ。このしぶとい二人を火焙りにするには、この老婆の証言が必要なのだ。茶番劇に見えようがどうしようが、トランス審判師の権威は絶大なのだから。それは自白と同様に扱うことができる。

「では質問をします」コホンと咳を一つして、声を整えると、ザニンガムは言った。

「今回の事件の犯人は誰か?」

 トランス状態の老婆は、ぶつぶつと何かをつぶやき、首を左右に苦しそうに振った。あわてて侍女のニーナはその動きをおさえ、何かをその耳につぶやいた。老婆の動きが止まる。

「質問はかならず、はい、か、いいえ、で答えられるものでなくてはなりません」

 侍女はザニンガムを見つめながら説明した。「トランス状態は体に異常な負荷をかけるのです。より多くの情報を引き出そうとすればするほど、命は削られるのです」

 侍女は裁判官席の二人に向けて言った。

「どうか、専門のトランス審判質問師を呼んで下さい。素人にどうこうできる術ではないのです」

 その言葉に闇のスボークが首を横に振った。

「これは極秘にしなくてはいけない裁判なのだ。むやみに関係者を増やすわけにはいかない。調査委員ザニンガム。質問を続けなさい」

「では」ザニンガムは書類を手に取ると、ふたたびトランス審判師の前に立った。

「ラングとファガスは今回の事件の犯人であるのか?」

 またもや、老婆がうめき始める。汗がその額に吹き出し、歳老いた指が胸をかきむしる。侍女はその手を抑えながら叫んだ。

「もっと詳しく。今回の事件とはどの事件のことです!」

「もちろん、魔法消失事件のことだ」ザニンガムは付け加えた。

 神人族とは名乗ってはいても、どうせ亜人種だ。死んでも惜しくなんかあるものか。いらついたザニンガムは心の中でそう結論した。

 老婆の口が開き、今度はしっかりした声が出た。

「はい、でもあり、いいえでもある」

 どういうことだ? 犯人ではあるが、同時に犯人ではない? ザニンガムは考えた。どうも風向きがおかしい。これは期待した答えではない。

「では、次の質問です。ラングとファガスは魔神を召喚しようとした。あるいは、召喚したか?」

「いいえ」老婆の口から言葉が出た。どう聞いても、それは若い男の声だった。

 ザニンガムはあわてた。どういうことだ?

 ファガスとラングは魔神召喚を行っていない?

 だとすると、おれは別の人間を捕まえてしまったことになる。

 馬鹿な。ザニンガムはその考えを否定した。こいつらが犯人だ。それ以外は犯人ではない。

「言葉を替えます」ザニンガムは前の発言を取り消すかのように大声で言った。

「今回の事件、魔法消失事件には、この二名、ラングとファガスが関っている?」

 老婆の苦痛のうめき声が消えた。風が洞窟を吹き渡るときを連想させる、空ろで、それでいて同時に力強い声で答えを放つ。

「そうだ」

 ザニンガムの全身に安堵の思いが広がった。これでいいのだ。これで二人を処刑できる。

 次の質問をするべきときだ。

「二人は有罪か?」

 ザニンガムはそう言うと、老婆を見つめた。またもや老婆が苦しみ始める。

「人間の感覚で言うところの『罪』というものは、『神』は認識できません」

 侍女が説明する。甲斐甲斐しく、老婆の額に浮いた汗を拭き、何かの薬液をその唇の端から流しこむ。

 ザニンガムも自分の額の汗を拭いた。どうもこれはちがう。トランス審判師が登場したときは、これですべての事件の解決がつくものと思っていた。しかし、この結果は。

 ちらりと、裁判官席を盗み見た。光のコリント、闇のスボーク。彼らはザニンガムを睨んでいた。ここで手間取れば、魔術師ギルドの三巨頭のうちの、二人に疎まれることとなる。

 冗談じゃない。魔術師調査局は表向きは魔術師ギルドの三大派閥から独立しているように見えるが、実際にはそれらに雇われている存在に過ぎないのだ。

 出世をするためには、なんとしても、ここで良い結果を出さねばならない。

 ザニンガムは手の中の書類をめくった。そうだ、これだ。

 ふたたび、トランス審判師の前に立つ。相当具合が悪いようだ。死ぬにしても、自分の質問が終わってからにしてもらいたいものだ。ザニンガムは思わず小さくそうつぶやいた。

 声が聞こえたのか、侍女のニーナが厳しい目でザニンガムをにらむ。

 それには気づかず、ザニンガムは証拠品の入った袋の中から、ひしゃげた金の指輪を抜き出して見せた。ファガスが魔神召喚の際に手にいれたはずの指輪だ。

「各地に降ったこの黄金の指輪。これはファガスが手にいれようとしたものなのか?」

 トランス審判師の首が左右に振られた。その唇が開く。

「はい」

 ザニンガムは心の中で小躍りしたが、その直後に続いた言葉にがっかりした。

「いいえ」老婆の唇が逆の言葉を放つ。

「正しい質問を。このままではお師匠さまが死んでしまいます」

 侍女のニーナはザニンガムをにらんだ。そうしながらも、老婆の心音を確かめ、ばたつく首を素早く固定する。

 どういうことだ? ザニンガムの頭が珍しくも素早く回転した。まてよ、指輪が増えるとかいう言葉がどこかになかったか? たしかパットとかいう女の子の証言だ。

 ザニンガムは書類をめくった。見落としてしまいそうな記述。この年齢の子供の証言がどれだけ有効なのかには疑問があるが、それがいったいどうしたというのだ。

 最初の指輪は一つ。それはファガスの指にはまっていた。やがて指輪は女の子の目の前で増えた。そう、このときに、故障騒ぎが起きている。

 ついに切りこむ部分を見つけたぞ。目の前の霧が晴れたような気がして、ザニンガムは喜んだ。なぜ、召喚した魔神から手に入れたのが金の指輪だったのかが謎だったのだ。

 外の世界から召喚した魔神には、人間の感覚から大きく外れたものが多い。ちょうどこのトランス審判師の体に宿った神とやらが、人間の言葉をなかなか解釈できないのと同じように。呼び出した小物の魔神に大金をくれと頼んで、その結果、家を埋めつくすほどの紙をもらった場合もある。人の顔と訳のわからない記号が描き散らされた四角い紙だ。異界の金銭。その代わりにその召喚者は魂を奪われた。魔法大学の初歩の講座で習う、笑えない笑い話だ。

 つまりファガスは金の指輪を作り、召喚した魔神にこれと同じものをくれと頼んだのだ。金貨の類は偽造防止の魔法がかかっているのですぐにばれるが、この種の装飾品は同じものが出まわっていても、誰も不思議には思わない。

 ザニンガムは質問を頭の中で組み立てた。

「この指輪の原形はファガスが作成したのか?」

「はい」老婆ははっきりと答えた。

 やはりそうだ。ザニンガムの顔に会心の笑みが浮かんだ。

 もし、自分の考えが正しいならば、次の質問ですべてが終わる。ザニンガムは息を吸いこんだ。

「ファガスの作った物が今回の事件に関っているのか?

 言い換えれば、彼がそれを作らなければ、今回の事件は起きなかったのか?」

 トランス審判師の老婆の言葉は、今までになかったぐらい、はっきりしていた。

「はい」

 ザニンガムは裁判官席に向き直った。

「これにて、二人が事件に関ったことは明確になったものと思われます。裁判長」

 まず光のコリントに話しかけ、それから闇のスボークへと話しかけた。

「判決をお願いします」

 光のコリントは腕を組んだ。ローブの中から突き出た手には、無数の魔法の指輪がはまっている。

「問題は明確になりました。二人に対する、判決を出したいと思います。わたしは。光の側は、二人に死刑を命じます。スボーク?」

 闇のスボークも頷いた。

「いいだろう。賛成する」

「では即時処刑に移りたいと思います」

 光のコリントはソファーの後ろで待ち構えていた男たちに向かって頷いた。

「二人を中庭に運びなさい。ソファーごと、焼き払うのです」

 男たちが魔法を操作した。二人を乗せたまま、ソファーが宙に浮き上がる。

 ファガスが悲鳴を上げた。

 ついに、ラングも叫んだ。「この裁判は違法だ!」

 魔術法廷の中に別の声が木霊した。

「その通り。この裁判は違法だ」

 声には、深く、明瞭で、そして有無を言わさない圧力があった。

 光のコリントが振り返った。闇のスボークも。

 いつの間にか、裁判官席の真ん中に、灰色のローブを着た人物が立っていたのだ。顔は濃紺色のベールに覆われて見えない。

 ローブがめくれ、男のものとも女のものともつかない指が、その袖口から現れた。

 空中に炎の文字が浮かび上がる。認証魔法。

「黄昏のアージャン、参る」

 灰色ローブの人物はそう言うと、裁判官席の真ん中に腰掛けた。

「重大なギルド裁判には、我ら三人の同席が必要。つまり、わたしが出席していない裁判はそれだけで違法となる」

「もちろん、あなたには連絡した。しかし、いつものようにあなたの居所がつかめなかったのです」

 光のコリントは言った。

「その場合には、わたしに連絡がつくまで、裁判を延期すべきだったな」

 黄昏の王、魔術師ギルドの支配者の一人、アージャンは指摘した。

 闇のスボークが立ち上がった。

「三人の同席が必要なのは重要と認められたギルド裁判だけだ!」

「非公開。極秘。即時処刑。二人のギルド長の出席。トランス審判師」

 一つ一つアージャンは数えて言った。「これだけ揃って、なおかつ、重要な裁判ではないと主張するのかね? スボーク?」

 黄昏のアージャンは、手を差し伸ばした。ラングとファガスが乗せられているソファーを示す。

「裁判はやり直しだ。戻せ」

 ソファーを持ち上げた男たちは動かなかった。その視線が光のコリントに、闇のスボークに、最後にザニンガムへとさ迷う。

「我が名はアージャン。その言葉が聞けぬというのか?」

 アージャンはそう言うと、はっきりとした口調でもう一度命じた。

「戻れ!」

 男たちは動かなかった。その代わりにソファーそのものが、アージャンの言葉に従って動いた。地響きを立ててソファーが床に落ちる。巨人族のラングの体重をしっかりと載せてだ。嫌な音とともにソファーに挟まれた男たちの足が折れた。

 落下の衝撃が収まると、今度はソファーが前に滑り出す。元の位置に来ると、それはぴたりと止まった。

 足を折られた男たちが床に転がって悲鳴を上げ始める。

 黄昏のアージャンは冷たく言い放った。

「静粛に。神聖なる裁判の途中だ」

 何かに口を塞がれて男たちの悲鳴が止まった。同時にラングとファガスを縛っていた魔法が消滅する。

 両側の二人の支配者から憎しみの視線が注がれるのを物ともせずに、アージャンは顔を覆うベールの下から宣言した。

「これよりひとときの休憩を持って、裁判をやり直す。法に従い、真実を再構築するために、ファガスとラングの両名に弁護人を立てる」

「横暴ではないか。黄昏のアージャン」闇のスボークが口を挟んだ。

「弁護なき裁判ほどにも横暴ではない」黄昏のアージャンは答えた。「真実に見える幻ほども横暴ではない。憎しみを裏に隠した策謀ほども横暴ではない」

 黄昏のアージャンは、闇のスボークのほうに向き直った。

「ファガスとラングは、我が黄昏に属している魔術師だ。黄昏を代表するわたしの出席なしに裁判を進める、そのことがすでに間違っているのだ。

 スボークよ。闇よ。ライドの言葉を思い出せ。創造者ライドの言葉を」

 アージャンは歌うように言葉を続けた。

「光は闇に対立し、闇は光に対立する。黄昏は間に立ち、天秤の均衡を保つ」

 光のコリントが緊張に耐えかねて、悲鳴を上げるかのように言った。

「何が言いたいの! アージャン!」

「ここでは光と闇が癒着しているように、わたしには思えるのだ。いかなる目的があろうとも、両者が混ざることは許されぬ。もしそうであるならば、黄昏の使命はそれを分かつこと。そなたもわたしが横暴と申されるのか?

 では光のコリントよ。そなたが持つ究極の炎の武器で、このわたしを撃つがよい」

 アージャンは闇のスボークに向き直った。

「それとも、闇のスボーク。そなたの氷の武器の方がよいかな?」

「何が言いたいのだ。アージャン」闇のスボークは言った。

「黄昏の領域を冒すなかれ。闇のスボークよ。わたしに所属する魔術師もまた、わたしの領域なのだ。光と闇が結託して、それを攻撃するならば、わたしは喜んで戦おうではないか」

 アージャンは静かにスボークの側に寄ると、その手を取った。

「それともわたしと手を結ぶかね? スボークよ。黄昏の盾があれば、光の側には手は出せまい。彼らを皆殺しにすることも、実に簡単であろうよ」

 闇のスボークの顔に、驚きと、そして隠しようもない欲望の色が現れた。

 アージャンは素早く身を引き、スボークとは対照的に恐怖を浮かべているコリントの横に立った。アージャンの手が素早く伸び、コリントの肩を引き寄せる。

「あるいは、コリント。自分の立場を認識したかね。わたしと手を結ぶつもりはあるかな?」

 闇と光の支配者たちの表情が素早く入れ代わる。それを確認してから、アージャンはコリントの肩を離し、裁判官席の中央に戻った。

「さて、諸君。この中の誰でも良い。黄昏の好意を欲しがる者はいるかね?

 あるいは黄昏の憎悪を?」

 その言葉に、闇のスボークは視線を床に落とした。もし黄昏のアージャンが光と手を結べば、闇は終わってしまう。均衡している光と闇のバランスが、決定的に崩れてしまう。

「そんなつもりはなかった。黄昏をないがしろにするつもりなど。ただ、我々は焦っていたのだ。今回はあまりに事件が重要だったので。決着を急がなくてはいけないと考えたのだ。黄昏相手に決戦を挑む気などない。黄昏の盾を撃ち抜けるような武器はこの世に存在しないしな」

 光のコリントもあわてて言った。このままでは、黄昏が闇の側についてしまう。

「もちろん、裁判はやり直しましょう。公正こそ、魔術師ギルドのモットーなのだから」

 黄昏のアージャンは、中央の裁判官席に座り直した。厳かに宣言する。

「ひとときの休憩を持って、裁判をやり直す。その間、全員、待ち合い室にて過ごすように」

「奇妙なことになったぞ」そうファガスはつぶやいた。

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