49話 森の裏側

「お嬢様! 起きてください!」

「んん…………あれ、ゼノス……さん?」


 私はゼノスさんの必死の呼びかけで意識を取り戻した。

 シュクラジャに連れ去られた状況で眠ったとは考えられない。


「ここは……」


 ゆっくりと起き上がり周囲を見渡す。私とゼノスさんは、横に伸びる大風樹の幹の上にいる。

 空間が広がっている。そこは森ではあるが、森ではない。

 空は白く、周囲は煌々と輝きながらも、霞が掛かっている。葉のない木々が上下、左右、四方八方から枝や幹を伸ばしているが、根を張るべき地面がどこにも見当たらない。鼻を頼りにしてみるが、土の香りは一切しない。耳を澄ませても、鳥の鳴き声や水の流れる音は聞こえない。


『森の裏側、かつての神達の棲む側へ連れてこられたようだ』


「レフィード!?」


 今まで人前に出ない様にしていたのに、傍らに座っている半人型のレフィードに驚いた。


「この方が、意識を失っていた我々を守ってくださいました。魔物は我々を連れて来ると、すぐに戻って行ってしまったそうです」


 連れ去られる直前は動揺していたようだが、今は護衛兵として心構えはしっかりとしている様子だ。ただしゼノスさんは私が目を覚ましてから、徐々に遠ざかっている。女性への苦手意識には抗えないようだ。


『ここは人間が長時間いられない。私の力で2人を守る必要があり、やむを得なかった。ゼノスは公言しないと約束してくれたので、安心してほしい』

「ゼノスさん。そうなのですか?」


 念の為、少し離れた場所にいるゼノスさんに訊く。

 悪の組織に狙われているわけではないが、誰かれ構わずレフィードの存在を知られたくはない。レフィードの言うように非常事態だが、私がリティナではない以上、ゼノスさんとの関係性は今後薄くなるので、慎重になってしまう。


「はい。御二人が皆さんに話すと決めるその日まで、私は命に代えても公言はしません」


 胸に左手を当てながらゼノスさんはしっかりとした声音で言う。視線は真っすぐとしており、揺らぐ様子は一切ない。

 この距離感は、主従に近いと思った。必要以上に接触をしない、私とゼノスさんには丁度良い距離だろう。


「……わかりました。信じます」


 私は静かにそう言い、立ち上がる。

 周囲には道らしきものは無く、足を滑らせ幹から落ちたらどうなるか予測がつかない。


「レフィード。どうやってここに連れてこられたか、覚えている?」

『突如森に発生した濃霧にシュクラジャが一直線で入り込み、一瞬で場所が変わった』


 風森の神殿で霧が発生するのは、主に秋から冬にかけての寒い時期。濃霧がここへの出入り口の役割をしているのは明白だが、〈突如〉となれば発生条件が分からない。鳥が一斉に鳴き出したのが要因の一つに思えるが、それが本当に鳥なのか怪しいと感じてしまう。


「私達が意識を失った理由は、その濃霧の発生条件を知られたくないから、かな」

『そうだ。ここは、神の時代が終わりを告げて尚その存在を残す場所。世界にとっての〈聖域〉と呼んで良いだろう。安易に人が触れるべきではない』

「うん。人間が踏み入れてしまったら、壊れそうだもんね」


 本来私達のいるべき世界と理が違うが、幻想的でとても綺麗だと思う。安易に入れては、人間が長時間いられないとしても、どれ程居られるか実験をする人が出てくるだろう。冒険者の制度が無くなっても、密猟や乱獲をする人はいる。そんな人達の目に晒してはいけない場所だ。


「私達が連れてこられたってことは、何か理由があるんだよね?」

『隣人が我々に頼みがあるようだ』

「隣人?」


 きっと私達を気絶させた張本人だ。

どんな人物か聞こうとした時、コツン、コツンと誰かが杖をついて歩いてくる音が上から聞こえてくる。

 ゼノスさんが音のする方角を警戒し、剣の柄を握る。


「あなたは、確か狩人の……」


 私は驚き、ゼノスさんは警戒をしつつも剣の柄から手を離す。

 霞の中から現れたのは狩人の老人だ。一回目の風森の神殿でアンジェラさんに連れられて帰って来た時、バンガローのオーナー達と一緒にいるのを見た覚えがある。

 白髪に豊かな髭を生やし、顔を隠すように毛皮で作ったフードを被っている。背中はそれ程曲がってはおらず、足腰もしっかりとしているが、今は白い小鳥が乗った杖をついている。


「手荒な真似をしてしまい、すまなかった」


 一瞬、老人の体が幻の様に歪んだように見えた。


「突然で驚きました。あなたは、誰ですか?」

「墓守を担う妖精だ」


 純血の妖精は初めて見る。バンガローで目にした時には何も思わなかったが、今は決定的に〈何か〉が違うように感じた。


「妖精という名は、今は畏敬を象徴する名として世界へ広まった。故に肉を持つ亜人達が身を守る為に名乗る様になり、空席となった玉座を守る為に常若の門は閉ざされ、本来の意味は薄れてしまった」


 老人は木々の枝をまるで階段のようにして、私達の元へと下りて来た。まるで体重が無いかのように、枝は一切重みでたわむことは無かった。

 風が吹いていないのに、葉がこすれ合う音が聞こえた気がした。


「精霊の器であるあなたに、頼みがある」


 懐から、どうやって納めていたのか分からない程に長い木の枝が取り出される。


「杖を作って欲しい。あの方を拠り所にしてしまった想念を導く為に」


 手渡されたのは一本の乾燥させた太い木の枝。

 年輪に結晶の層がある。千年樹だ。

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