(5)スキルの有効活用

「『全社員に通達。本館9階男性用トイレ、右端個室は終日使用不可とする。この警告を無視して立ち入った者がいかなる不測の事態に陥っても、我が社は一切関知しない』:この指示にどう対処するか述べよ」

 新規採用試験の最終面接が終了後、人事部でデータ入力をしかけた橘は、書類の中に目を疑う記述を見つけた。


「部長。今日の最終面接で、例の通達に関する質問をしたんですか?」

 今年入社の彼は最終面接に関わっておらず、質問内容を知らなかった。一方の問われた部長は、平然と答える。


「ああ。毎年手を替え品を替えしているが、今年はこれを真正面からぶつけてみた」

「こんな意味不明な質問で、一体何が分かるんですか」

「『勿論立ち入りません!』と即座に模範的な回答の、つまらんのが約9割。『どんな困難も乗り越えてみせます!』と、目立てば勝ちとの勘違いが約1割だった」

「どう答えるのが正解なんだ……」

 橘は本気で頭を抱えたが、続く部長の指示に仰天した。


「ごく稀に『何言ってる、この耄碌親父』と言わんばかりの表情で、「指示とあれば従います」と冷めきった返答をする奴らがいてな。取り敢えず、この男3名女2名は採用決定だ。事務処理に回せ」

「それで採用!? 他の担当者の承認印がありませんが!?」

「この質問に答えさせている時、ビビッときた。俺の勘に間違いはない。頼んだぞ」

 手元の書類から五人分を取り出した部長は、橘の机にそれを置きながら部屋を出て行った。動揺している橘を、周囲が宥める。


「部長の人物鑑定眼は確かだ。部長が『良し』と言った人は出世、『駄目』と言った人は不祥事を起こすか失脚する」

「因みに部長は新人の頃、例のトイレに入って丸一日消息不明だったそうだ。つまり、そういう事だ」

「さあ、どんどん進めるぞ。他の受験者の判定をしないと」

 先輩達は平然と作業を続行し、橘は職場の深い闇の一端を見た。

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