第二十七話:元カノに話す
「よっ」
「おはよ」
翌朝、大学へ行くといつも通り紗香がいた。
何も言わずとも隣を空けておいてくれたので、そこに座る。
紗香はいつも通り教科書を開いて、今日の講義部分を簡単に予習しているようだった。
「なあ」
「ん? なに?」
「今日、ちょっと時間あるか?」
「あるけど……何か用事?」
「あー、いや、ここではちょっと……」
「……ん、わかった。智樹も今日はこの講義だけだよね? 終わったら、どこかカフェでも行こ?」
「助かる」
不思議そうな顔をしつつも紗香は頷いてくれた。
とりあえず約束を取り付けたことに安堵する。
しかし今度は別の意味で緊張してきた。
その必要なんてないはずなのに、心臓が嫌な音を奏でてくる。静かなのに強く響くのだ。
――落ち着け……。軽い調子で言えばいいだけだ。そのはずなんだ。
その後の講義に身が入らなかったのは言うまでもない。
△▼△▼△
「で、何の話?」
大学近くのカフェへとやってきた。
俺はコーヒーを、紗香は紅茶を注文し、席に運ばれてきたところで切り出された。
紗香はそう言うと品よくカップを傾け、紅茶を一口含む。
カップから口を離し「美味し」と小さく呟いた。
「あー……えーっと……なんていうか」
何と言うべきか迷い、言い淀む。
すると紗香は不思議そうに首を傾げた。
「珍しいね。智樹がそんなに言い淀むなんて。私相手だよ? 何言われても今さらじゃない?」
「…………だよな」
――そうだよな。
もう一度、自分に言い聞かせる。
「じゃあ単刀直入に言うけど――」
言って一息吸い込んだ。
少しは落ち着いてくれるかと思ったけど、心臓の嫌な音はそのままだった。
背中がほんのりと汗ばんでいるのがわかる。
改めて気合を入れ直し、その勢いのまま告げた。
「――彼女できた」
「え――」
――カチャン。
紗香はよっぽど驚いたのか、手に持っていたカップを音を立ててソーサーに置いた。
割れこそしなかったものの、結構な勢いだったし、なんというか……らしくない。
「あ、や、……ごめん」
「俺に謝られても……」
「だ、だよね……うん」
紅茶を飲んで落ち着こうとしたのか、紗香は再びカップに手を付けた。しかし動作がどこかぎこちない。手をかけた瞬間、ソーサーとぶつかってカタカタと音を立てていた。
「……どうした?」
「……うん、ごめん、なんなんだろ。突然だったから、びっくりしちゃったのかも。――あ、さっきは言いそびれたけど、おめでとう。よかったね、智樹」
「ああ。ありがとな」
さっき一瞬、顔が強張ったような気がしたけど、驚いたからか。
よかった。
そうだよな。
――そうに決まってるよな。
「でも何度も言うけど、本当に驚いたな。そんな素振り、全然なかったじゃん。一体、いつからだったの?」
「えっと……実はこの春から高校の頃の後輩がうちの大学に入学してきたんだけど――」
俺はこれまでのあらましを紗香に告げた。
ゴールデンウィーク前に近所のコンビニでばったりと再会したこと。
それがきっかけで遊びに行く約束をしたこと。
それからも連絡をとっていたこと。
そして昨日の一件。
お試しの交際であるということは、迷ったが伝えないことにした。
紗香がどう捉えるかわからないが、あまり外聞はよくないだろう。
藍那に変な噂が立ってもいけない。
俺たち二人だけがわかっていればいいだけのことだ。
俺の話を紗香は真剣にひとつひとつ頷きながら聞いてくれた。
途中、特に口を挟むようなことはなかった。
「――と、いうわけだ」
「そっかぁ……。高校のときの後輩……。それで……」
「そんなこと考えてないと思うけど、浮気なんてしてないからな。卒業してから再会するまで、一度も連絡とってなかったし」
「わかってるよ。智樹がそんなやつじゃないってことくらい」
紗香は眉尻を下げ、力なく微笑む。
その表情が何を意味しているか、俺にはわからなかった。
そして「喉、乾いちゃった」と紅茶を口に運んだ。
話し始めてからこれまで、お互いに一口も飲み物を飲んでいなかったことを思い出した。
改めて意識すると、喉が張り付いたように感じて気持ちが悪い。続けて俺もコーヒーを煽った。
「じゃあ私たち、もうこうして会わない方がいいね。講義で見かけても無視してくれたらいいから」
「いや、そこまでする必要はないと思うぞ。『女の子と会うなとは言わない』って言ってたし。まあ、カフェで二人きりとかは……やめた方がいいだろうけど」
「――寛大な彼女さんだね。……大事にしたほうがいいよ」
紗香はそう言って、再度カップを取ろうとして、中身が空になっていることに気が付いた。
「おっと。ちょうど空になっちゃった。これで話は終わりだよね? じゃあ私、もう行くから。あ、お金……」
「いいよ。付き合わせたの俺だから、払っとく」
「……ん。任せた」
そう言うと立ち上がり、足早に歩いてどこかへ行ってしまった。
背を向けたとき「お幸せに」と小さく言い残して。
俺は追いかけなかった。
いや、追いかける理由なんてないのだが、そういうことじゃない。
「――――泣い……て……た?」
最後の最後。
背中を向けていたため、顔は見えなかった。
涙をぬぐったような動作もなかった。
しかし、声が震えていた。
微かだが、確実に、押し殺したように震えていた。
「……紗……香……?」
わからない。
紗香が何をどう思ったのか、まるでわからない。
けれど――
俺はまた、何かを間違えてしまったのかもしれない。
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