第二十四話:後輩の念願
買い物から帰ってきた俺たちは、先ほど言っていた通り、狭いキッチンに二人並んで調理を始めた。
といっても所詮は鍋なので、俺が野菜を洗い、都筑が適当な大きさにざくざくと切っていくくらいだ。
一通り洗い終えた俺は、キッチン下の戸棚から鍋に必要なあれを探し出すべく屈んだ。
「えーっと……たしかここら辺に……。――っとあったあった」
「あ、カセットコンロですか。ガスはあります?」
「それも一緒に片付けてあった。一本しかないけど、まあ今日使う分には問題ないだろ」
取り出したガス缶を手に、シャカシャカと振って音を出してみせる。
それを見て都筑はふふふ、と笑みを零した。
「どした?」
「んーん。別に。なんでもないですよー」
と言いつつ都筑は、華の咲いたような――というわけではないが、春の陽気を湛えたような、にこにこと柔らかな表情を携えている。
包丁がまな板を叩くリズムも、トン、トン、トン、と軽やかで楽しげだ。
「楽しそうだな」
「はい。それはもう。もちろん先輩と一緒だからというのも大きいんですけど、こうして誰かと一緒に何かするのって楽しいですよね。ほら、私、この春まで親元を離れたことなかったですし」
「ああ、そういえばそうだったな」
もう俺は三年生になってすっかり慣れてしまっていたが、そういえば都筑は一年生――つまり入学したばかりだった。
家に誰かいるのといないのとでは、空気からして違う。
俺も一人暮らしを始めた頃は、いつもしんとした自分以外いない空間になかなか慣れず、新しく出来た友達を誘っては一緒に食事をしたものだった。
親の代わりは出来ないかもしれないけど、俺がいることで孤独感を少しでも和らげてやれてるならいいなと思う。
「――よし。材料は全部切れたし、あとは煮込むだけですね」
△▼△▼△
食事を終えた俺たちはだらだらと映画を見つつ取り留めのない話をしていた。
その途中でふと、この関係について気になることがあったので、訊いてみた。
「そういえばこのお試し交際って最長いつまでーみたいな期間って決めてるの? ほら、この日になったら正式に付き合うか解消するか決める、みたいな」
「そんな具体的に決めなくてもいいんじゃないですか? どっちかが嫌になったらやめればいいだけですし、いいなとおもったらそう言えばいいだけですし。最初から期間が決まってるなんて、なんだか味気ないです」
「そんなもんか?」
「そんなもんですよ」
ま、それもそうか。
都築が困らないならそれでいい。
今のところ、他にあてもないようだし。
「というか先輩っ。いちいちお試しって言わないでください。本当に付き合ってるつもりにならないとお試しにもならないでしょ? 普段はあんまり意識しないでくださいよ」
「……そうだな。悪い」
「分かればいいですよ、もう」
都筑はそう言って頬を膨らませた。
怒らせたかな。
言われて見れば、あまりにも配慮に欠けていた言動だった。
少し考えればわかりそうなものなのに。
――もう一度謝ろうか。でもまた思い出させるのはちょっとな。
そんなことを悩んでいると、突然都筑が何か思いついたかのようにパッと表情を明るくした。
「そうだ、先輩! ひとついいですか?」
「なに?」
「せっかくだから『先輩』じゃなくて、他の呼び方で呼びたいです」
そういえば付き合いたての頃ってこんな会話をするもんだっけ。
なんか初々しくてこそばゆいな。
昔に戻ったような気分だ。
でも、こういうのも悪くない。
「いいけど、どんなふうに?」
「えーっと、じゃあ……『智樹くん』って呼んでもいいですか?」
「ああ、いいよ」
まさかあの都筑から『智樹くん』なんて呼ばれる日が来るとは。
人生って何があるかわからないものだ。
そんなことをしみじみと感じていると――。
「やったぁ! じゃあ、せんぱ……じゃなかった。智樹くんも変えてください」
と、要求してきた。
「俺も?」
「はい。『都築』って名字じゃないですか。彼氏には名前で呼んで欲しいです」
確かにその通りだ。
でもなんか照れるな。
まあ、すぐに慣れるだろ。
「わかった。……じゃあ――『藍那』」
何か愛称でもつけたらいいのだろうか、とも思ったが、ひとまず無難に名前呼びにしておいた。
すると藍那は途端に頬を綻ばせた。
だらしないほどに力なくゆるゆるになってしまっている。
その変わり様は劇的と言ってもいいほどだ。
「……えへ。へへ。えへへへへへへへ」
「嬉しそうだな」
「だってほら、なんか実感湧いちゃって。――彼女なんだなぁ……」
「名前くらいでそんなになることないだろうに」
「だってこれも念願ですもんっ」
念願、か。
きっとまだ他にもあるんだろうな。
「――ひとつずつ、叶えていこうな」
「はいっ!」
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