第50話

「で、格好いいこと言ってたみたいだけど結局僕にお鉢が回って来たわけだ」

「まぁ異界渡りなんてこと、神の御業かあなたぐらいにしか出来ないだろうし」


 出張料金五十万円を支払って病院に来てもらった御伽林に村井はこれまでの経緯を軽く説明した。相談を受けた御伽林は呆れたように村井を見る。


「また変なのを背負って。強制送還して精神にトレードかけた方が安上がりだよ?」

「そうでしょうね。因みにそれぞれ幾らぐらいですか?」

「うーん、精神トレードなら一億円、君がやりたい内容での異界渡りなら往復で二億円かな?」

「更に異界で御伽林さんのサポートを受けるなら?」

「日給一億円」


 村井の弾丸旅行計画に沿って動くとすれば締めて三億円。いつかどこかで支払った金額と同額だ。普通に考えても大きな金額だが、資金の大半を今後の展開が不透明な仮想通貨につぎ込んでしまっている今の村井にとっては更に大金に思える。


 だが、あの時と違って村井はすぐにはっきりと答えた。


「分かりました。取り敢えず三億円ですね? 払うので協力お願いします」

「ふふっ……いいよ」


 即断即決した村井の言葉を受けてどこか楽しそうに笑う御伽林。二人のやり取りを見ていた花音がおずおずと口を出した。


「あの……絶対、返します」

「分かってるよ。大丈夫だ。だから少しの間、我慢して待っていてくれ」

「あ……」


 花音を安心させようという純粋な思いで彼女の頭に村井の手が優しく乗った。ただそれだけ。それだけで花音は久方ぶりに感じるものがあった。それは彼女が自暴自棄になって我武者羅に求めても手に入らなかった感覚。その感覚が、今は近くにある。しかも、隣で手を握ってくれている姉からも同じ思いが伝えられていた。


「大丈夫。お兄さんに御伽林さんまでいるんだから。花音はここでゆっくりして」


 花音を安心させる声。琴音からの優しい言葉に花音は涙ぐむ。そんな二人を尻目にして村井は御伽林に言った。


「じゃあ準備とかあるでしょうから」

「うん。君は一度家に戻ってナイ神父とかいういけ好かない奴から貰った本を持って僕の隠れ家に来るように。二時間もあれば準備は終わるから」

「分かりました。じゃあ花音、これから何がしたいのか、迷惑かけたこの世界の自分に何て謝るかとか色々考えて待っておくように」

「はい……」


 病室を後にする二人。残されたのは琴音と花音だけ。花音は伏し目がちに琴音の方を見た。すると優しい目をした琴音と目が合ってしまう。ややあって自然と花音の口から思いが溢れて口から零れ出した。


「お姉ちゃん……」

「なぁに?」

「どうして……どうして私を置いて行っちゃったの?」


 花音の悲痛な問いかけ。事情をよく知らない琴音だが、花音の真剣な思いは自然と伝わって来た。そのため、少しためらいがちに答える。


「……本当のところは分かんないけど、今の私だったら。っていう仮定で話していいなら答えるよ?」


 琴音の問い返しに花音は頷いた。それを聞いて琴音は言う。


「多分ね、私が花音を置いて死んじゃうってことは私がいれば花音の邪魔になるって考えた時くらいかな?」

「私がお姉ちゃんを邪魔だと思うなんて!」


 即座に否定する花音。だが、琴音は軽く俯いた後、花音を真っ直ぐ見て続けた。


「花音はそう思うかもしれないけど、追い詰められた時の私はお世辞にも視野が広いとは言えないからね……」


 少し前の卒業旅行の時のことを思い出して苦笑する琴音。最善策は幾らでもあったというのに自分で何とかしなくてはという強迫観念にも似た感情で突っ走って方々に迷惑をかけた。恐らく、別世界の自分にも何かあったのだろう。そしてそれを止める人がいなかった。琴音はそう推察して花音に謝る。


「ごめんね? ダメなお姉ちゃんで。でも、その世界の私が自分で死んじゃうなんてことをする理由はそれしか思いつかなかった」

「お姉ちゃんの馬鹿……! 私は、他のことなんてどうでもいいから、お姉ちゃんと一緒にいたかったのに……!」

「うん……」


 二人が繋いでいる手の力が強くなる。空いている手で涙を拭う花音。琴音はそんな花音をあやしながら落ち着かせるのだった。





「うわ……」


 村井は自室に戻り、【昏き幽王の眠る町】の本を見て嫌そうな声をあげていた。


(瘴気か邪気か呪いか何かわからんが凄いなこれ……)


 異能を目に宿さなくても黒い靄のようなものを発しているように見える本に村井は触りたくないなと思いながら異能を手に宿して最低限の守りを固め、袋の中に入れた後に鞄の中にしまった。


「後一時間半か……まぁ、御伽林さんの準備が出来次第、すぐに行きたいからもう出るか」


 この世界にやって来た花音は昏き幽王が復活する寸前の時点からこの世界に飛んだと言っていた。そうなると、強制的にトレードされたこの世界にいた花音の目の前には復活寸前の昏き幽王がいることになる。


(この世界にいた花音の精神状態は比較的安定してたからある程度は封印が再度結実するだろうが、昏き幽王にかかればそう長いこと正気は保てないと見ていい)


 封印が緩んでいる状態の昏き幽王であれば、あの手この手で花音の精神を蝕んで封印を再度解きにかかるに違いない。特に今、花音が行っている世界では彼女の精神を安らげる存在はなく、彼女の限界はすぐに来るだろう。そして封印が解ければ昏き幽王は自らをいましめていた術者をその本能のままに食い散らかすのは間違いない。

 村井が聖から貰った資料によればその流れはほぼ確定だ。ただ、昏き幽王には対象に絶望を味わわせてから食い殺すという特性があった。花音の心が折れるまでの僅かな時間が勝負の鍵となる。


(花音、持ってくれよ……!)


 村井は花音の無事を願いながら昏き幽王との戦いも想定して装備を整えた後に呪いの本を持って自宅を後にする。向かうは御伽林邸。タクシーと徒歩で向かった先の家は大忙しという状態だった。ただ、御伽林は弟子たちに働かせて自分は優雅に座ってお茶をしている。

 そんな御伽林の下に村井はまっすぐ向かうと、彼女は村井に落ち着いて空いている席に座るように促した。


「もう来たのかい。早いね」

「準備が出来次第すぐに行きたいので」

「ふーん。ま、ちょうどよかった。久遠が随分と張り切っていてね。予定よりほんの少しだけ早く終わりそうだったんだよ。例の物は持って来たかい?」

「ここに」


 テーブルの上に呪いの本を置く村井。御伽林はそれを素手で取って何ページか捲ると興味深そうに最後の方のページを見て少し笑いながら村井に言った。


「ふむ、この本の世界に花音ちゃんは閉じ込められてるみたいだけど……その中でも更に昏き幽王とか言う奴の精神世界に閉じ込められて花音ちゃんの体感では既に数日が経過してるみたいだね」

「……状況は」

「まぁよくはないかな。連れていかれた花音ちゃんも頑張ってるけど、こっちの世界に来た花音ちゃんが味わった悲しい記憶の追体験をさせられて、こっちの世界での経験が幸せな夢だったんじゃないかって、自信を失いつつあるみたいだ」


 それを聞いて村井は歯噛みする。ただ、今の時点で村井が焦っていても何の役にも立たないどころか後々の失敗につながる恐れがある。

 村井は努めて冷静さを保ち、御伽林に自分も異界渡りの準備で何か出来ることはないか尋ねた。ただ、御伽林から返ってきたのは大人しく力を温存しておくようにという返事だ。

 村井には精神を落ち着かせる作用のある御伽林の紅茶を飲みながら彼女の弟子が準備を完了させるのを待つことしか出来ないのだった。



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