第43話

「もういいだろ。御伽林さん、ありがとうございました」


 映像内で事後処理を始めた村井を見ながら村井がそう告げると御伽林が肩を竦めて映像を消した。重い空気の中、泣き崩れる聖。村井は複雑な感情でそれを見下ろしていたが、花音に目を向けると何とも言えない笑みを浮かべて言った。


「……俺の事情はこんな感じだ。どう思ったのかは分からないが、今日は取り敢えず帰ろう」


 花音も何と声をかけていいのか分からない。そんな中、珍しく御伽林が複雑な感情を込めた顔で口を開いた。


「いや、ちょっと待って。僕の推測が正しければ君たちの感謝は受け取り辛いかな。今回の件、僕の方にちょっと不手際があったみたいだからね」

「……やっぱり、さっきのは、まちがい?」


 一縷の望みをかけて聖はそう告げる。だが、御伽林は首を横に振った。


「いや、事実は村井君の記憶通りなんだけど……まぁ、真実を知りたいという契約に乗っちゃったからなぁ……仕方ない。言いたくないけど、言うよ。村井君」

「……なんですか」


 テンション低く村井は御伽林の言葉に応じる。御伽林は平時と変わらぬ口調で村井に問いかけた。


「彼女に使った僕作成の解呪の札あったよね?」

「そうですね。何ですか?」


 一枚で新車にフルオプションをつけて買える値段がする御伽林謹製の呪符だ。大抵の術者の呪いであれば解呪する。あの時点における村井の切り札だった。それがどうしたというのだろうか。


「あれで九割九分は洗脳解呪出来てるけど……あの時点では多分だけど一分くらいは洗脳が残ってたと思うよ」

「は?」

「僕の札でも消せない程の強い呪いが一分残ってた。映像越しだとはっきりとは判別出来ないけど好悪反転とかその辺りだろうね」


 参ったね。そう言いながら苦笑する御伽林だが、渦中の二人は笑っていられない。


「じゃ、じゃあ、私は操られていた……それが、真実ですか?」

「うーん……あれだと操られるまでは行ってないかな。誘導されてたのに乗せられていたくらいが正しい表現だと思うよ。当時の状況を実際に見た訳じゃないから推察になるけど。心当たりくらいはあるんじゃない? 映像内の君はあの男じゃ知り得ない君だけが知っていた本音を喋っていたと思うけど」


 御伽林の言葉に一瞬返しに詰まる聖。その隙に村井が口を挟む。


「待ってくれ。今のは全部御伽林さんの推察だろ? あんたほどの術者に抵抗出来るくらいに強い術者が弓削と二人掛りで戦って俺に負ける訳がない。それに、そんなに強い呪いなら救出後にやったあんたの検査で検出されてないと不自然だ」

「うん? 真実を教えると言ったのは僕だ。だから、責任持って答えただけだよ? 正直、僕の解呪が事の発端だと言い辛くもあったけど……」


 少しだけ逡巡して御伽林は頷いた。


「まぁ、この際だから全部答えよう。君がそう考えるのも尤もだけど……君の疑問に答えるなら、今君が言ったことがヒントだよ」


 御伽林は少し勿体ぶってから答える。


「彼は、文字通り死んでも聖くんが欲しかったんだと思うよ。聖くんを自分のモノにするために全魔力を費やした。だから僕の解呪に対抗出来た。そして、君に負けた。それが答え。二人掛りで戦ったように見えていたけど、実際は二人の間でも戦ってたって感じになるかな」


 村井は何も言えない。その間に御伽林は続ける。


「ついでに彼女に呪いが残ってなかった点については……それこそ、彼女が一途に君を思い続けた結果だね。異能の力も残ってなかったみたいだし、推察するに僕みたいに原因を特定して排除する解呪じゃなくて愛による天然ものの解呪で呪いを解いたんだと思うよ」

「そんな、馬鹿な……」


 辛うじて言葉を吐き出せた村井に御伽林は更に言った。


「まぁ、そのせいで救出後に君や彼女の両親が頼んだ僕の検査にも引っ掛からなくて彼女は君に嫌われることになるんだから皮肉なものだけどね」


 後半の御伽林の言葉など聞いていられなかった。自分が信じていたものが根底から崩されたのだ。村井は大いに狼狽する。そんな中、聖と目が合った。彼女もまた思考が上手く定まらないようだ。だが、それでもここで引けばすべてが終わるということだけは理解していた。しかし何と言ったらいいのだろうか。彼女は千々に乱れた感情のまま涙を拭い、何とか口を開く。


「……心哉さん。事情は分かりました。あれだけのことをしたのですから私を嫌うのも当然のことだと思います。本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」


 そう言いながら聖は静かに涙を流しながら続ける。


「ただ、私は、本当に、心の底からあなたを愛しています。どうか、それだけは否定しないでください」


 とめどなく涙を流しながら聖は言の葉を紡ぎ続ける。


「ごめんなさい。好きでいられる資格はないと分かっていますが、汚れてしまった私ですが、それでもどうしようもないくらいにあなたが大好きなんです。あなたが私を嫌う理由は分かりました。こんなことを言われても迷惑だということも分かります。いくら操られていたとしても、許されないことをしていました。嫌われて当然です。挙句、こんなことをしたというのに一方的に婚姻届を出して、一人で舞い上がって、私は本当に最低な人間です。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 涙ながらに頭を下げる聖。村井はそんな彼女にどう声を掛けたらいいのか分からなかった。沈黙のとばりが下りる中、御伽林が口を開いた。


「……あー、何と言うか。今回は僕の不手際もあったわけだし、村井君。君もちゃんと確認してなかったことだ。彼女を許してやってくれないかな?」

「御伽林様……いえ、ですが、この一件、私の弱さが招いたことです。心哉さん……最早そう呼ぶ資格もありませんね。村井様、罰をください。罰を受けても許されないとは分かっていますが、罰がなくては私はもう狂ってしまいます」

「……罰、か」


 意気消沈した状態で村井は黙考する。罰と言われても今回の一件はどうやら自分の方にも大きなミスがあったようだ。それを棚に上げて彼女を悪し様に言い、長いこと無視をして傷つけていた。それを踏まえると、村井は彼女に罰を下す気になれない。

 しかし、目の前の彼女がそれで納得してくれるとは思えない。そんなことは分かるというのに本当に必要なことは分かってあげられなかった。そんな自分が彼女に罰を下すなど出来るのだろうか。そう考えた村井だが、いつまでも悩んではいられない。やがて思考をまとめて決めた。


「……決めた。弓削さん、あんたへの罰は2015年の8月16日以降の全ての関係の清算だ。そして俺にも罰を与えること。その二点にする」

「え……?」

「つまり、あの事件で君が俺にやったことをなかったことにする。だからそれ以降にあった婚姻については解消したり、俺が君に言った数々の暴言をなかったことにしてほしい」


 勝手な言い分で悪いとは思うが、そう言いながら村井は言葉を続ける。


「本当なら全部、出会った頃から綺麗さっぱりやり直したいところだが……たった今お願いされた想いの否定になるから止めた。だから、君が俺を想ってくれた時点まででいいから戻したい。俺にはもう家族がいるからぎこちない形になると思う。それでもよければ、だけどな」


 花音を見ながら村井は聖にそう言った。聖は何も言わない。だが、村井は続ける。


「ただ、今言った内容だと俺の失敗もなかったことにしてしまう。そんな事は許されない。可能性を考慮せずに思い込みで行動して酷いことをしたのは事実だ。それに、相当抑えたつもりでも怒りに任せて酷いことを言った自覚はある。俺の過ちについてはそっちで裁いてほしい。出来る限り応えようと思う」

「……許して、くださるんですか?」


 再び涙を目にためながら聖が問う。村井はそれに正直に答えた。


「正直、色々と思うところはある。でも、花音が口を挟まなかった以上、これが本当のことなんだろう。そうなると悪いのは君じゃない。許すも許さないもないってことになる。寧ろ、逆に訊きたい。君はどうしたら俺を許してくれる?」

「私、私は……あなたが、許してくれるなら……」

「それじゃ俺の気が済まない」

「でしたら……この後「弓削さん?」……強く、抱き締めてください。そして、一言でいいので、私の想いを否定したことは謝ってください。それから、あの、昔みたいに優しい言葉「弓削さん?」……ひ、ひとまずは、それくらいでお願いします。細々とした話は、後で……」


 何度か冷たい目をした花音の軌道修正が入ったが、聖はたどたどしく自らの要求を村井に告げる。村井は修正後の彼女の要求を受け入れた。


「聖、信じてあげられなくてすまなかった」

「心哉さん……!」


 強く抱き合う二人。花音はそんな聖に強く嫉妬しながらも今日だけは目を瞑ることにするのだった。



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