第19話

「このビルだな。花音、準備はいいか?」

「うん」


 都内某所。大型ビルの前で村井は花音に合図を告げる。それを聞いた花音は隠形を解いて意識的に抑え込んでいた魅了を解放した。


「じゃ、行くぞ」


 花音が隠形を解除したのを見て村井はビルの中に足を踏み入れる。今日はこれから何件かレコード会社とプロダクションをはしごする予定だが、一番最初のこの会社が業界でも最大手規模のレコード会社だ。


(とは言っても花音的には相手の立場が強すぎてこっちの意見を通せなさそうという理由で乗り気じゃないんだが……)


 受付で村井が担当にアポイントがある旨を告げると受付は花音に一目向けてすぐに上階に連絡を取り、村井たちは目的の人に会うことになる。エレベーター前で出迎えてくれたのはスーツ姿の男女だった。


「どうも、お世話になります。私がお電話させていただいた森崎です。こちらは弊社グループのプロダクションでみうさんを担当させていただく予定の綾瀬です。本日はよろしくお願いします」

「お世話になります。みう、改め花音の保護者をしております村井です。本日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


(何か業界人って言うよりかはサラリーマンみたいな人だな。ただ、やっぱり顔採用とかあるのか? 二人とも顔がいい。花音たち程じゃないが)


 余計な上に失礼なことを考える村井。別室に案内されるままに移動すると彼らの方から名刺を渡してきた。

 名刺の役職と外見から判断するに森崎は三十代中盤の男性で、綾瀬は二十代後半の女性のようだ。そんな二人を相手に村井と花音の四者面談が始まる。最初は天気などの当たり障りのない会話だが、そこから話題の話になると森崎と綾瀬は花音のことを褒め千切りにかかる。それを謙遜で流す花音。彼女の目には二人の感情の色が見えていた。二人とも非常に興奮している様子だ。そんな中、話が中盤に差し掛かった頃に本題が切り出された。


「いやー、それにしても活動を始めて一年足らずでこれだけのファンがいるのは凄いですね。今後の活動も期待出来そうです。因みに今後の予定とかはございますか?」

「そうですね……正直な話、歌ってみたの活動もいいんですけど、自分の歌を歌ってみたいというのはあります」

「そうですか! そういう話であれば是非、ウチでもお手伝いさせていただきたいんですが。どうですか?」

「嬉しいです」


 会話を主導するのは森崎と花音だ。森崎は当初、村井との交渉を想定していたが、村井は別に花音の好きにすればいいと思っているので話を振られても花音に流すだけだったため、その形に落ち着いた。その態度が花音は気に入らないのだが、今は交渉中なのでそれを隠して彼女は頑張っていた。


「いやはや、是非とも弊社でお手伝いさせていただきたいですねぇ! 因みに方向性としては歌もダンスもこれだけ出来てビジュアルもこんなにも素晴らしければやはり皆に愛されるアイドルとか目指したりしたいですか?」

「アイドルは制限とか厳しそうなので、これまで通り顔出ししないでやっていきたいと思ってます」

「なるほどなるほど……因みに、制限ってやっぱり恋愛制限とか、気にしたり?」

「はい。私、かなり家族愛が強い方でして……ね? おにーさん」


(嫌なこと言うなぁ……)


 肯定も否定も難しい言葉を受けて村井は何とも言えない顔を無理矢理苦笑に変えて返事を絞り出す。


「自覚あったんだな」

「あはははは……なるほど、愛されてますねお兄さん」

「はい。ね? おにーさん」

「……因みに、差し支えなければお訊きしたいんですが……お二人の続柄は同居人となっておりますが、実際の関係性はどういったものになるんでしょうか?」


 勿論、お答えいただかなくても大丈夫ですが……そう言いながらも森崎は真剣な目を花音に向けていた。職業安定法の関連事項である公正な採用選考の基本に抵触するような質問だが、悪印象を持たれたくない一般応募者は素直に答えて来たのだろう。


 ただ、花音の回答は笑顔の威圧だった。


「今は同居人です。近い将来は分かりません」

「……なるほど。分かりました」


 どちらの意味でとらえるべきか。森崎は恐らく目の前の彼女は同居人との関係性を強固にするために会社として望まない方向へと向かおうとしていると考えた。そんな彼にフォローのつもりか村井が告げる。


「あー私どもの関係性は話すと長いですし、非常に重たい話になりますのでその辺りはご賢察頂けると幸いです。どうしてもと言うのであれば後日、花音のいない場所でお話させていただきたく」

「……ひとまず、分かりました。それでは弊社での活動についてですが……綾瀬の方から具体的な活動方針などについての説明をさせていただきたく」

「では、資料の方を……」


 綾瀬から渡されたのは読ませる気がなさそうな分厚い書類とプレゼン資料だった。その内のプレゼン資料を使って彼女は説明を開始する。説明の最中、花音は綾瀬から悪意を感じることはなかった。


(……思ってたより、融通が利きそう)


 主なプロデュース内容は花音として文句のないものであり、加えて恋愛禁止条項についても花音の方から事務所に損害を与えるべく故意に行動起こさないことや業務に支障をきたさない範囲という条件を満たせば黙認するという。


(ただ、顔出しはしてほしい、と……うーん。まぁ、おにーさんから隠形術を教えて貰ったから別にいいか)


 村井の方をちらりと見上げる花音。一応、村井も真剣な表情で契約書を見ているがあまりよく分かっていなさそうだ。


「……以上です。簡単にまとめると、みうさんとは三年間の契約で、学業を優先してもらいながらお仕事をしてもらいます。また、定額報酬と歩合でのお給料をお支払いする形を取らせていただきます。ご質問はありますか?」

「……あの、お仕事を受けるかどうかをこちらで決める権利がほしいんですが」

「なるほど。その辺りは心配になりますよね? 因みに、どういったお仕事が嫌だ、とかはございますか?」

「……肌を露出させるのは好きじゃないです。後、歌うのは好きですがあんまり口数が多い方ではないので……」

「そうですか。少し、ご相談させていただくこともあるかと思いますが、売り出し方についてはこちらに色々とノウハウがございますので基本的には安心していただいてよろしいかと」


 予め用意されていたかのようにつらつらと言葉を並び立てる綾瀬。まだ若手というのにかなり敏腕に思われる振る舞いだった。


「……おにーさん、どうしよう? 私、もうここでいい気がして来たけど」

「まぁ持ち帰って検討すればいいんじゃないか? 今回は顔合わせと条件の提示だけのつもりで来たんだ。そんなに急かすつもりはないだろうし……」

「はい。私どもとしては是非とも弊社にて担当させていただきたい案件ですが、みうさんに無理強いするわけにもいきませんから大丈夫ですよ」


 花音と村井のやり取りを受けて綾瀬はやや前のめりになったままそう告げる。そうこうしている内に打ち合わせの終了予定時刻が迫り始めた。村井が腕時計を見たのを見逃さず、森崎は告げる。


「あぁ、そろそろお時間ですね。出来ればもう少しお話したいところですが……この後の予定はございますか?」

「すみませんが、あります。申し訳ない」

「いえいえ、ご予定があるようでしたら仕方ありません。是非ともまた、お話させていただきたく。本日はありがとうございました」

「ありがとうございました」


 基本的には和やかな面談が終わり、花音と村井はこのレコード会社を後にする。


 しかし、この日はまだ始まったばかり。この後も同じような話を繰り返され、主に交渉に当たった花音は帰る頃には疲労困憊になるのだった。




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