楽隠居を目指して

古人

第1話

 村井心哉という青年は気が付くと見知らぬ建物の中に居た。しかも、記憶が曖昧な状態で、だ。


 ただ、目の前の光景が非日常的なものであることだけははっきりと理解していた。彼が腰かけている少し高い場所になったステージの下では大量の死体が転がっていたのだ。

 あまりに酷い光景だった。夢を見ているのかと疑いたい気持ちにさせられるが、噎せ返るような血臭が彼にこれが現実であることを伝えている。加えてぼんやりとしていた意識が次第に明瞭になり始めたのだ。

 そして彼は気付いた。気付いてしまった。明らかに死体と思われるレベルの損壊をしている物の中に動いている者がいることを。

 そしてその死体と思われる者も気づいた。祭壇の上に、彼らの儀式の成果がいるということを。


 その死体……頸部が半分以上消し飛び、胴体が床に対して水平になっているのにもかかわらず、頭部が地面に対して垂直になっている生首が叫ぶ。


「救世主よ! 外なる世界の者よ! よくぞ我らの呼びかけに応えてくれた! 我らの悲願は成された! さぁ! この世界の真理を我々にッ!」


 声帯もないはずの生首が悍ましい声で口上を述べた瞬間、扉が乱暴に開いて発砲音が炸裂する。額に穴が開いて以降、生首は沈黙した。代わりに人が入って来る。


「あーあ。召喚されちまったか……魔女さんよぉ、やり合って勝てる相手か?」


 そう言いながら入って来たのはスキンヘッドだが無精髭の目立つ三白眼の男。


「待ち給え。やり合う必要もない相手かもしれないよ」


 そして、未だに状況の把握が出来ていない村井がこれまでの十六年の人生で見た事もないくらいに美しい美少女だった。


 銀髪に空色の目をした透き通るような肌をした美少女はそのままステージの上から動かない村井に問いかける。


「ねぇ、君。僕たちについてくる気はあるかい?」


 後に諸角龍斗と御伽林柑奈と名乗って村井の身元を預かってくれる彼らとの出会いがこれだった。村井にとってのこの世界の初めての記憶はそんなものだ。


 その代わり。


 その後の四年間は凄まじいものだった。


 平行世界の日本から来たことを知った諸角と御伽林の二人は村井に寄る辺がないことを知ると自分たちの駒……もとい仲間になるように持ちかけた。

 この世界には戸籍すらなく他に選択肢のない村井はそれを受け入れざるを得ない。彼らの仲間となった村井はそこから一年間この世界で死なないために血反吐を吐くような基礎トレーニングと異能のトレーニングを課せられ、そしてそこから三年間は実戦を積み重ねることになる。


 思い出したくなくても勝手に夢に出てくるような悪夢の体験をした村井がある程度の自由を手にしたのは2011年のこと。彼がこの世界に来て四年が経過し、二十歳になってからだった。

 彼はこの世界のがめつい育ての親に独り立ちするにあたっての雑費や生活費と教育費の返済をしながら独り暮らしを始める。

 翌年、生活にある程度余裕が出て来てからは元の世界……彼が来た2022年の日本での知識を活かして仮想通貨を買った。その後は仮想通貨が値上がりすることだけを楽しみに余剰資産を全て仮想通貨に突っ込んでは修羅場を潜り抜け、彼が気付いた時には二十六歳になっていた。


 2017年時点で仮想通貨の価格は2012年の時に比べて暴騰。村井は二十六歳にして約二十五億円の資産を獲得。諸角たちからの借金に色を塗りたくって返済させられても余裕で楽隠居出来る金額を獲得し、実際に隠居生活を送るための準備を始めた。


 そんな彼の生活は諸角から最後の依頼を頼まれることで再び一転することになる。




 その日は朝から冷たい雨が降っていた。人目を避けるのにちょうどいい天候だが、季節は冬。行動するには少し億劫な気がする天気だ。


「ここか……」


 雨音の中に自身の声を混ぜ込んで村井は目的地の門前に辿り着く。今回の目的地は新興宗教団体が借り上げたという施設だ。閑静な住宅街にあるそれは中々の敷地を誇っており、建物も大きい。


(……あぁ、変なもんが見える。当たり、だな)


 仕事道具を片手に村井は溜息を吐いて道路と敷地を分かつ門を開いた。彼にこの件を依頼した仲介人である諸角の言葉では敵勢力の構成は司祭一人に助祭が三名だが、信者が二十名程いるということだ。かなり厄介な状態だ。


(熱心な信者が何人いることか……取り敢えず、一家惨殺して変なもん呼ぼうとしている時点でここに居る連中は概ね全員アウトだな)


 施設の入口である立派な扉のラッチを特殊なワイヤーで静かに切断して村井は中に入る。敷地内の人間が敵対行動を取れば殺害することは決まっていた。村井は懐から銃を取り出すと魔術が正しくかかっていることを確認し、スニーキングミッションを開始する。

 まずは入口から入ってすぐ右。通路からは衝立で少し見えなくしたバックオフィスと思われる場所だ。静かに衝立の内側に入るとそこには事務員と思われる中年女性が事務仕事に勤しんでいた。村井は静かに接近し、その女性がこちらを視認するや否やすぐに銃口を向ける。


「騒ぐな。後ろを向け」


 銃口を向けられて村井の要求に素直に応じる女性。これだけ素直であれば教会の暗部には触れていないだろうということで後ろ手にした状態で結束バンドで両手の親指を縛り、ガムテープで口を塞いで足を縛るだけに済ませておいた。


(……次は、キッチンの方に回るか)


 一度外に出て勝手口から侵入する村井。だが、そちらはもぬけの殻だった。そうなればもう本丸である礼拝堂に突撃するしかない。

 キッチンから礼拝堂には直通のドアがある。その向こうには村井がこれまで幾度となく嗅いだことのある生臭い、鉄のような臭いが漂っていた。


(行くしかないな……)


 もう楽隠居できるだけの金は手に入ったと言うのに、何でこんな命懸けの仕事をしなければならないのか。全部諸角のせいだ。そう思いつつも今回でそれが最後であると思い直すことで村井は正気を保ち、静かに現場に入る。


(……やっぱりか)


 礼拝堂に入った途端に悪臭は更に強まった。臭いの原因は言うまでもなく、礼拝堂の中央に積み上げられた死体と壁一面に塗りたくられた血の魔法陣だろう。

 明らかに異様な光景。しかし、その惨劇の中で修道衣を着た男は血に酔っているかのようにステンドグラスの方を向いて高らかに何かを歌い上げていた。


(何を呼んでいるのか知らんが、止めさせてもらうぞ)


 威嚇射撃もない無言の発砲。サイレンサーの代わりに魔術を付与されたそれは無音で放たれ、直進していたかと思うと急に奇妙な角度に進んだ。誤射と見間違える方向に進んだ銃弾。だがしかし、何故か再び独りでに進路を変更すると村井の狙い通りに歌っていた男の頭部を破壊した。男は額から血を流しながらその場に崩れ落ちる。


「司祭様!?」


 歌っていた男の近くに居た別の男が駆け寄って司祭を抱き起す。そこを狙ってまた一撃、銃弾をくれてやる。再び奇妙な角度から救助に当たろうとした男に命中した。


「ガッ……」

「な、何だ? 何が……」


 演奏が止み、混乱が場を駆け巡る。だが、誰も逃げ出そうとはしていない。ここに居る連中は全員が黒。村井はそう判断すると更に狙いをつけて倒れた司祭の下に駆け寄る者目がけて発砲を続ける。


「敵だ! 我らが神に仇為す者が近くに居るぞ!」


 二階や周辺を見渡す信者たち。その間にも一人始末しておいた。生存者は残り五人だろうか。出来ればこのまま処理したいところだった。だが、そうは問屋が卸さない様子。


「キッチンの方だ! 扉の向こうに誰かいる!」


 私服姿の男、恐らく信者と思われる者が叫んだ。端的に情報共有を済ませた彼らは奇声を上げながら村井目がけて殺到して来る。


(チッ……だが、向かってきてくれるのであれば好都合)


 扉の開いた幅を広げ、視界を確保して猛進して来る信者たちを撃ち抜いて戦闘不能に追いやっていく村井。十分もしない内に礼拝堂にいた敵勢力は鎮圧した。


「ふぅ……人の反応はっと……」


 息をついて仕事道具を確認する村井。最後の仕事で色々と危ぶまれる内容だったが思いの外呆気なく終わったものだと思いながら村井は魔具を確認だけして後は別部隊に任せて引き上げようとする。だが、礼拝堂にはまだ二人ほど人の反応があった。


「……面倒臭いな」


 乱雑に頭を掻いてから村井は慎重に礼拝堂に続く扉を開く。こういった儀式の類で時間をかけていると何かしら呼び出される可能性があるため、悠長に迷ったり悩んだりしている時間はなかった。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」


 万一のことを考えて会衆席に身を隠しながら進むと、そこにいたのは。


「……生贄か」


 死体の山の前で血で描かれた魔術陣の中央に寝かされた二人の美少女だった。



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