第31話 思い出ポロポロ

 アサギは知らせを聞き、頭の中が真っ白になった。

 いったい、なんの冗談だろうと、脳が情報の処理を拒否している。

 足元が崩れていくようだ。膝から下の感覚も無い。


「お后様!」


 その場に膝から崩れ落ちたアサギに、侍女達が駆け寄る。鶯王を抱っこしていなくてよかったと、それだけは頭の片隅で思った。


「お后様、お気を確かに」

「ええ、ありがとう。ちょっと……いえ、かなり、驚いて……」


 侍女が傍らに膝をつき、手を差し伸べてくれているけれど、その手を取ることができない。

 受けた衝撃のほうが大きくて、まだ現実を受け入れられずに呆然としてしまっている。


(チヨばかりでなく、マツも……?)


 大切な幼馴染みが二人共、自ら命を絶ってしまった。


「なんで……?」


 なんで、そんなことになってしまったのか。

 チヨについては、おおよその想像はつく。おそらく、子が流れてしまったことが原因だろう。


(でも、マツは?)


 なぜマツまでが死を選んでしまったのか、アサギには見当がつかない。

 なにか悩んでいたのだろうか。なにを思い詰めていたのだろう。


(相談してくれても、よかったのに……)


 でも、この場合は気付かなかったアサギが悪いのかもしれない。

 皇子がヤマトへ戻ってしまってから、きっとチヨとマツもアサギと同じで、これからが不安だったはず。

 様子を気にかけ、少しの変化を見逃さず、二人を気にかけなければならなかったのは、アサギの責務なのだ。ちゃんと目を向けていなければならなかったのに、正妻としての役割を怠ってしまった。


(どうしよう……。皇子が帰って来られたときに、なんと伝えればいいのかしら)


 客観的に、事実のみを簡潔に伝えるほかないだろう。


(でも、なんで……?)


 頭の中が混乱していて、アサギ自身がまともに思考できていない。

 なにが悪かったのか、どこまで遡っていけば二人を失わずにすんだのか、その分岐点さえも見付けられないでいる。

 心の奥底から湧き起こってくる叫び出したい衝動。誰の目を気にすることなく、取り乱し、叫び、暴れてしまいたい。


(ダメよアサギ。しっかりしろ!)


 侍女を始め、皆に不安や動揺が伝染してしまう。


(私は、ただのアサギじゃないんだ)


 アサギの行動や言動は、仕えてくれている者達の心理に影響を及ぼしてしまうことくらい理解している。


(なるべく、冷静に。落ち着いて。いつもどおりに……)


 アサギは足に力を込め、自らの力で立ち上がると、知らせに来た侍女に向き直った。


「取り乱して、ごめんなさい。分かる範囲でいいから、前後になにがあったか、知っていることを話してくれる?」


 威圧感が出ないように、不安や緊張を掻き立てないよう、安心を与える意識で無理やり微笑を浮かべる。

 動揺して強ばっていたマツの傍に仕えていた侍女の表情と雰囲気が、アサギの浮かべた笑みの効果か、少しだけ和らいだ。

 はい、と返事をし、マツの侍女は妻木の頭領から呼び出しがあったということから話し始めた。


 マツが一人で頭領と話したこと。部屋の外で控えていたとき、聞こえてきた会話の端々。頭領の話が終わり、出てきたときのマツの様子。


(あぁ……許せない……っ)


 アサギは妻木の頭領に、明確な殺意を抱いた。怒りに震え、物に当たりたい衝動はギリギリ抑えられている。握った拳に、深く爪が食い込んだ。


(マツを追いやったのは、頭領だ!)


 自分以外を駒としてしか見ていない頭領は、言葉でマツをズタズタに切り裂いた。

 肉体よりもまず先に、言葉でマツの心を殺したのだ。

 心が死んでしまっては、生きる気力など消滅してしまっている。


(でも、許せないからと言って、私になにができるだろう?)


 きっと、なにもできない。

 相手は妻木を統べる頭領。対してアサギは、今はこの場に居ないヤマト族の皇子の正妻。

 全てを取り仕切っているわけではないアサギには、あの頭領をどうこうするだけの権力なんて持ち合わせていないのだ。

 できて、文句を言うくらい。だけどそんな文句を言ったところで、頭領には痛くも痒くもないだろう。


(皇子様が居てくだされば、こんなことには……)


 もしもを考えても、仕方がないことは分かっている。だけど、考えずにはいられない。

 皇子が居てくれたら、子を亡くして悲しみにくれていたチヨに寄り添い、励ましてくれただろう。皇子が居てくれたのなら、妻木の頭領に呼び出されたマツが同じことを言われても、幾ばくかの希望を見い出せていたかもしれない。


(なんで、こんなときに……居てくださらないのですかっ)


 なんて、この場に居ない皇子に八つ当たりをしたところで虚しいだけ。


(どうして、こうも嫌な出来事が重なってしまうのかしら……)


 アサギは、話し終えたマツの侍女に微笑み続ける。


「話してくれて、ありがとう。あとの差配は、私がするわ。また忙しくなるから、少しばかり体を休めておきなさい」

「ありがとうございます。では……」


 マツの侍女は一礼して下がって行く。

 アサギは、心配そうに気遣ってくれている自分の侍女に声をかけた。


「ごめんなさい。少し、ほんの少しだけ、泣いてもいいかしら?」

「はい……どうぞ」


 応じてくれた侍女に「ありがとう」と呟くと同時に、アサギの表情はクシャクシャになる。

 これから、マツの亡骸と対面しなくてはいけない。マツの葬儀の段取りも。

 数日前にチヨを送ったばかりなのに、立て続けに大切な幼馴染みを送らねばならないだなんて、誰が予想できただろうか。

 正妻が、泣き腫らして真っ赤になった目で皆の前に出るべきではないだろう。だけど、まだアサギはそこまで強くなれない。


 甘えたい。誰かに甘えたい。この場に皇子が居てくれたなら、胸に飛び込んで顔を押し当て、ワンワンと声を上げて泣き崩れていだろう。


(なんで、居ないのよ。バカっ)


 胸中で毒吐き、アサギは眉間に拳を押し当てる。


(落ち込んでなんか、いられないわよアサギ。踏ん張れ。頑張れ。皇子の留守を守るのは、私よ!)


 ポタポタと涙を流しながらも己を鼓舞し、なんとか気力を持ち直そうとする。


(へこたれてなんか、いられない。鶯王のためにも、立派な母になるんだから。やれ、やるのよ!)


 アサギは「ハッ、ハッ!」と短い呼吸を繰り返し、涙を止めようと試みる。しかしアサギの意思など関係無いというように、涙は次から次へと溢れ出てきて止まらない。


「う〜っ! どうしてよ。止まれ! 止まりなさいよ……!」


 不意に、温もりに包まれる。


「お后様、御無礼をお許しください」


 アサギの様子を見かねたのか、侍女が抱き締めてくれた。

 侍女の温もりが、人の温もりがジワジワと伝わってくる。


(温かい……)


 アサギの目から、また涙が溢れ出た。張り詰めていた気力が、プツリと途切れる。


「ふっ、う〜……っ!」


 悲しい。つらい。悔しい。

 マツとチヨと楽しく過ごした生前の記憶と結びついて、涙が止まらなくなってしまった。

 本当なら、今は泣くべきではないと理解している。

 頭では分かっていても、心は違う。内なる声が、今は泣くべきだと主張してくるのだ。

 アサギは自分を守るため、理性よりも感情を優先することにした。

 自分が自分を守らねば、誰も助けてはくれない。励まし応援してくれても、立ち直って一歩を踏み出すのは、けっきょくやっぱり自分自身なのだから。 


(泣いて……気が済むまで泣いて、それから頑張ろう)


 放心してボーッとするのは、全てが終わってからだ。

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