第5話 望月の逢瀬
外に出て見上げる月は、真ん丸の望月。
妻木で見ていた月と同じなのに、景色が違うと気持ちも違う。どことなく新鮮だ。
月にかかる雲は無く、柔らかな輝きは、この地でアサギが初めて見る夜の世界を優しく照らしていた。
「明るい……」
呟いても、答える声は無い。マツとチヨは、侍女のために用意されている部屋へと戻ってしまった。
初めての地で一人になると、やっぱり心細い。アサギのためにと用意された部屋が、唯一の安息の地に思えてしまう。
それまで普通に生活していたときにはなんとも思わなかったが、住む所が与えられているというのは、安心感が得られるのだと初めて知った。
「まるで……ツクヨミノミコトが、我等の逢瀬を祝ってくれているかのようであるな」
「ぅわあっ!」
なんの前触れもなく発せられた声に驚き、品のない反応をしてしまう。
「ははは! これは驚かせてしまったな。詫びを入れよう」
笑い声と共に登場し、月明かりに照らされたのはヤマト族の皇子だった。
鬟(みずら)にしていた髪は解かれ、長い黒髪が揺れている。昼間に謁見したときとは違い、今はアサギと同じくらいの軽装だ。
「あっ、これは……皇子様」
慌てて頭を下げると、皇子は「よい、よい」と笑いながらアサギの隣に並んだ。
「我は、月を眺めるそなたに見惚れていた。先程までの自然体のそなたは、女神のように美しい」
「お恥ずかしい限りです」
お世辞は結構です……と思っても、口にはしなかった。伝えても、詮無いこと。なんと思おうが、それは人それぞれ。自由な領域だ。
「ただ、直してほしいところもある」
「……どこでしょう?」
直せと要望を言われれば、直す覚悟はすでにある。
喋り方か、歩き方か、なにかの所作か。
アサギは恭しく頭を下げるも、皇子の目を見る意識でいた。
皇子は、静かな眼差しをアサギに向ける。
「思っていることは、口にして伝えてほしい」
アサギがわずかに息を詰めると、皇子が笑う気配が伝わってきた。様子を窺えば、ニヤリと笑みを浮かべてる。
「夫婦(めおと)になるのだ。我の前では、無意味な笑みで取り繕ってほしくはないな」
「そのようなことは……」
「あるだろう。昼間に顔を会わせたとき、気付かなかったと思っていたか?」
「っ!」
なんということだ。バレていた。背筋が凍るとは、今のような心境だろう。弁解の余地がない。皇子は変わらぬ口調で続ける。
「なにも言葉を発さず笑みで凌ぐのは、沈黙の美だと我も思う。だが、それは鎧ぞ。本心を隠す仮面と言ってもいいだろう。それは……我の前では、外してくれ」
そんなことを言われたのは、初めてだ。
(えっ、なにそれ。普通そういうのって、触れないもんじゃないの?)
突然の申し出に、アサギは思考を回転させて慎重に言葉を選ぶ。
「あの……えっと。私の……それは、癖になってしまっています。ですが……皇子様が仰るのであれば、直していくように善処致します」
他の答えが見付からなかった。
皇子が勝手な解釈をしてくれないのなら、判断を委ねるのではなくて自ら伝えなければならないのは必然。
皇子は満足そうに「うむ!」と笑みを浮かべる。
「心がけてみるだけでも、違ってくるものだ。我の要望を素直に受け入れてくれて、ありがとう。しかも、ただ受け入れるだけでなく、自分の考えを自分の言葉にして伝えてくれた。そういうところ、いいと思う」
「あ、ありがとう……ございます」
先程から皇子は、アサギに好意を伝えてくれている。率直な言葉は、なぜだかむず痒い。
アサギが戸惑いながらも礼を告げると、皇子の手がスッと伸びてきた。わずかに身を強ばらせれば、その手は結っていないアサギの長い髪をサラリと掬う。
心臓が高鳴り、視線は泳ぐ。アサギは俯き、固く握り締めている自分の拳を眺めた。
皇子の穏やかな声が、頭上から降ってくる。
「我は、そなたの見てくれだけに惚れたわけではないと……心に留めておいてほしい」
「っ……!」
皇子の発言で息を詰めるのは、これで何度目か分からない。
恥ずかしさに叫び出したくなる衝動を抑え、承知致しました……と、震える声で答えるのが精一杯だ。
「いつまでも空を眺めていたいが、夜は冷える。中に入ろう」
アサギは皇子からの提案に「はい」と答え、踵を返した夫のあとに続く。
(どうしよう……。皇子って立場の人だからか、なんか考え方とか面倒くさい人みたい)
上手く会話を成立させ続けることができるのか、今の会話の流れから、アサギは一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
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